マルタ日記

感謝な出来事。聖書からのみことば。
思いのまま吹く風と共にきらきら輝くキリストの花嫁の日々

ヤコブの神の祝福

2006-09-04 | みことばの種
昨日のメッセージは創世記のヤコブがラバンに故郷に帰らせてくれと願う箇所。

ヤコブ・・・あまり好きでないという人もいると思う。
私も聖書の人物の中ではあまり好きにはなれないタイプ。
ヤコブは、図々しいし、欲しいものはちゃっかり手に入れるし、姑息な手を使うし・・・。
ヤコブに試練が多いのは、それは神様がヤコブの性格があんまりなので訓練する必要がたくさんあるからでしょうと思ってしまう。

昨日の箇所では、ラバンに対して「私が来る前には、わずかだったのが、ふえて多くなりました。それは、私の行く先で主があなたを祝福されたからです。」(創世記31:30)と言う。

「私の神があなたを祝福しているのだ。」
・・・なんとも傲慢に聞こえないであろうか。よく図々しくも言い放てるものだ。

私を通して、他人に祝福が与えられる。
それは、わかるのだけれど、それを大きな声で他人に傲慢に聞こえないように言えるには、本当に、全く、主の前にへりくだり、主のみが祝福を下さる方である事、今の祝福、恵みが自分の手の業によるものではないことを他人が、私の生き方を見て認めることができるぐらいでなければいけないのではないかと思う。

ラバンがヤコブが創世記31:30の言葉を言う前に告白しているように。
「私はあなたのおかげで、主が私を祝福してくださった事を、まじないで知っている。」

私を通してたくさんの人に祝福が与えられています
そんな素晴らしい事を、確信を持って図々しく言えるようになるまで、
まずへりくだり、まず与えられているものに感謝していきます


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