5/4に行われた萩往還マラニック(70kmの部)完走しました。
これで、ウルトラマラソン完走は3回目になりました。
時間は12時間制限のところ、11時間23分でした。
まず、前日の状況をお話しします。
空港から、すでに大雨でした。
大会の受付会場に行ったときにはシューズもビショビショでした。
その時の映像がこれです。
大粒の雨が傘にあたるボタボタ音がすると思います。
ホテルについても散歩する気もなく、ガストで食事をしながら中生3杯を飲み、早めに就寝しました。
大会当日です。
うって変わっての快晴になりました。
そのスタート時点の様子がこれ↓
天気予報では1日快晴なので、雨合羽は持たず、寒くなってきたら羽織るビニール袋と行動食、スマホ、テッシュ、iPod、他をウエストポーチに入れて走ることにしました。
走り出してからは、チョット体が重いかなという感じのベストコンディションだったと思います。
(前回DNFの四万十川ウルトラでは、最初は体が軽かった。)
問題は色々ありました。
----------
その1.
コースは高低差の激しいコースだったこと。
特に一升谷はキツイ!
また、所々が石畳で危なくて走れないのでした。
その2.
そして、昨日の雨量が多すぎました。
足元は一部の山道がグショグショの泥濘で、シューズは泥だらけになりました。
下手なところを踏むとズボッとはまります。
萩往還に石畳が多い理由がわかります。
その3.
さらには、強風でしたので、私のゼッケンは安全ピンで留めたところが風で破れてしまい、付け直さなければならないほどの強さでした。
(あのゼッケンはかなりの強さがある不織布?で、なかなか破れるようなものではないのですが…。)
場所によっては、体を低くして走らなければ真っすぐ走れない有様でした。
その4.
そして、5月のカンカン照りの日差しですから紫外線は強かった。
私は、折り返し後半の一升谷の山越えを終え、国道に出たあたりで、シューズに入っていた小石を取り除こうと脱いだ時に、突然、
ふくらはぎの「こむら返り」
になりました。
痛くてたまらず、路上に寝転んでしまいましたが、近くにいたレースの観戦応援に来ていた方に足を伸ばしてもらい、サロメチールを吹き付けていただき、なんとか立つことができました。
それ以降は殆ど走れない状況でやっと歩いてゴールしたという感じです。
練習不足であるということも否めないのですが、暑かったので、汗で体中のミネラル分が出てしまったのが、「こむら返り」の原因かもしれません。
顔に触ると汗が干上がってできた塩でザラザラしていましたから。
その時、以前、伊南川ウルトラマラソンのときに参加賞でもらった「海宝さんのミネラル塩」を2個持っていましたので、それを指先につけて舐め舐めしながら歩き続けました。
そのおかげでしょうか、その後はつることなく歩けました。
ミネラル分の補給の大事さを知りましたね。
----------
それと、いつものように、美しい萩往還の景色のスマホ写真を撮るつもりでした。
ですが、もう寿命で、すぐバッテリー不足気味になる私のスマホは、スタート前の写真1枚のみ悲しい成果しか残しませんでした。
走った後の写真で使用前、使用後という感じにしたかったのですが、残念です。
ただ、公式の写真記録班(オールスポーツ)が写真を撮っていましたので、何枚かは私の写真が見られるかと思います。
大会終了後、懇親会があり、参加してきました。
140kmの部、250kmの部の方が多かったのですが、歴戦の強者たちは意外に年配の方が多く、スリムな普通のお爺さんが多くてビックリポンでした。
背筋がピンとして、飄々とした感じが妙にカッコイイ!
私もあのように歳を重ねたいと思いました。
ということで、来年、62歳になりますが、萩往還140km(制限時間24時間)に挑戦しようと思います。
(ただし、人気殺到のため抽選らしいです。)
今回は本格的練習はスリランカから帰ってきてからの2か月ほどでしたが、140kmは半年ぐらいの長期練習を考えないとダメですね。
ホテルに戻り、温泉に浸かったのち、コンビニでビールとツマミを買い、呑みなおしの一人祝賀会を行いました。
すでに、ビールをかなり飲んでおり、また追加で飲みましたので体も疲労したことも重なってグッスリ眠れるかと思ったのですが、頭が興奮していて、あまり寝れませんでした。
皆さん、どうなんでしょうかね?
さて、大会翌日は萩の町に行き、吉田松陰にまつわる場所を尋ねてきました。
以下が、その写真です。
松下村塾
伊藤博文の生家
吉田松陰の生家前の庭からみた萩の景色
生家は土台のみしかないのですが、とても小さい家だったことがわかります。
ただ、庭からの眺めは素晴らしい絶景でした。
吉田松陰の墓
毛利家の菩提寺、東光寺内にある毛利氏廟所
毛利家代々の墓
というわけで、今しばらくは、この満足感が続くでしょう。
一度しかない人生、楽しく、感動するような生き方をしたいものです。
(おわり)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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これで、ウルトラマラソン完走は3回目になりました。
時間は12時間制限のところ、11時間23分でした。
まず、前日の状況をお話しします。
空港から、すでに大雨でした。
大会の受付会場に行ったときにはシューズもビショビショでした。
その時の映像がこれです。
大粒の雨が傘にあたるボタボタ音がすると思います。
ホテルについても散歩する気もなく、ガストで食事をしながら中生3杯を飲み、早めに就寝しました。
大会当日です。
うって変わっての快晴になりました。
そのスタート時点の様子がこれ↓
天気予報では1日快晴なので、雨合羽は持たず、寒くなってきたら羽織るビニール袋と行動食、スマホ、テッシュ、iPod、他をウエストポーチに入れて走ることにしました。
走り出してからは、チョット体が重いかなという感じのベストコンディションだったと思います。
(前回DNFの四万十川ウルトラでは、最初は体が軽かった。)
問題は色々ありました。
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その1.
コースは高低差の激しいコースだったこと。
特に一升谷はキツイ!
また、所々が石畳で危なくて走れないのでした。
その2.
そして、昨日の雨量が多すぎました。
足元は一部の山道がグショグショの泥濘で、シューズは泥だらけになりました。
下手なところを踏むとズボッとはまります。
萩往還に石畳が多い理由がわかります。
その3.
さらには、強風でしたので、私のゼッケンは安全ピンで留めたところが風で破れてしまい、付け直さなければならないほどの強さでした。
(あのゼッケンはかなりの強さがある不織布?で、なかなか破れるようなものではないのですが…。)
場所によっては、体を低くして走らなければ真っすぐ走れない有様でした。
その4.
そして、5月のカンカン照りの日差しですから紫外線は強かった。
私は、折り返し後半の一升谷の山越えを終え、国道に出たあたりで、シューズに入っていた小石を取り除こうと脱いだ時に、突然、
ふくらはぎの「こむら返り」
になりました。
痛くてたまらず、路上に寝転んでしまいましたが、近くにいたレースの観戦応援に来ていた方に足を伸ばしてもらい、サロメチールを吹き付けていただき、なんとか立つことができました。
それ以降は殆ど走れない状況でやっと歩いてゴールしたという感じです。
練習不足であるということも否めないのですが、暑かったので、汗で体中のミネラル分が出てしまったのが、「こむら返り」の原因かもしれません。
顔に触ると汗が干上がってできた塩でザラザラしていましたから。
その時、以前、伊南川ウルトラマラソンのときに参加賞でもらった「海宝さんのミネラル塩」を2個持っていましたので、それを指先につけて舐め舐めしながら歩き続けました。
そのおかげでしょうか、その後はつることなく歩けました。
ミネラル分の補給の大事さを知りましたね。
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それと、いつものように、美しい萩往還の景色のスマホ写真を撮るつもりでした。
ですが、もう寿命で、すぐバッテリー不足気味になる私のスマホは、スタート前の写真1枚のみ悲しい成果しか残しませんでした。
走った後の写真で使用前、使用後という感じにしたかったのですが、残念です。
ただ、公式の写真記録班(オールスポーツ)が写真を撮っていましたので、何枚かは私の写真が見られるかと思います。
大会終了後、懇親会があり、参加してきました。
140kmの部、250kmの部の方が多かったのですが、歴戦の強者たちは意外に年配の方が多く、スリムな普通のお爺さんが多くてビックリポンでした。
背筋がピンとして、飄々とした感じが妙にカッコイイ!
私もあのように歳を重ねたいと思いました。
ということで、来年、62歳になりますが、萩往還140km(制限時間24時間)に挑戦しようと思います。
(ただし、人気殺到のため抽選らしいです。)
今回は本格的練習はスリランカから帰ってきてからの2か月ほどでしたが、140kmは半年ぐらいの長期練習を考えないとダメですね。
ホテルに戻り、温泉に浸かったのち、コンビニでビールとツマミを買い、呑みなおしの一人祝賀会を行いました。
すでに、ビールをかなり飲んでおり、また追加で飲みましたので体も疲労したことも重なってグッスリ眠れるかと思ったのですが、頭が興奮していて、あまり寝れませんでした。
皆さん、どうなんでしょうかね?
さて、大会翌日は萩の町に行き、吉田松陰にまつわる場所を尋ねてきました。
以下が、その写真です。
松下村塾
伊藤博文の生家
吉田松陰の生家前の庭からみた萩の景色
生家は土台のみしかないのですが、とても小さい家だったことがわかります。
ただ、庭からの眺めは素晴らしい絶景でした。
吉田松陰の墓
毛利家の菩提寺、東光寺内にある毛利氏廟所
毛利家代々の墓
というわけで、今しばらくは、この満足感が続くでしょう。
一度しかない人生、楽しく、感動するような生き方をしたいものです。
(おわり)
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