35kmあたりは暑さと疲労と筋肉痛でヘトヘトだった。
大腿四頭筋に乳酸がたまって、足が弱音を吐いていた。
今回は大会前に3か月間200km走ってきた。
また、山手線1周40km走などもやってきた。
それでも、まだ駄目だった。
200km程度では筋力不足なのだろうか?
それとも、もう年齢なんだろうか?
前回は90kmまで足はもったのに?
後で、女房とそんな自信喪失気味な話をしたら、
「今回は毎日よく練習していて感心したけど、細切れで、足して月間200kmでしょ。
前の伊南川ウルトラの時は、週に2~3日しか練習してなかったけど、旧東海道をよく走っていたじゃない。
あの時は、それで月間200km。
あれは、それなりの結構な荷物を背負って2日連続してロング走してたから、あれが良かったんじゃない。」
といわれた。
さすが、夫婦というのはお互い何も見てないようで、肝心なところはよく見ているものである。
名コーチは意外なところにいたのだった。
そうかもしれないと、俺は思った。
5~6kmをダラダラと毎日練習するよりも、たまに旧東海道走のように荷が重くて厳しいが、景色見ながら楽しいラン旅したほうが、結果的には効果があるのかもしれない。
毎日ストイックに練習することや、合計200km以上走ることに拘りすぎたような気がする。
練習方法を考え直そうと思った。
とにかく35kmからは完全に歩いた。
女房に電話し、リタイアする予定だと連絡した。
40kmの昭和大橋で待っているからとの返事だった。
「もう、皆さんとっくに通過してしまって、応援者の方は次のカヌーセンターへ行っちゃってる。ここで待っているのは私ともう一人だけなのよ!昭和大橋の上で待ってるから頑張ってね。」
・・・
申し訳ない気持ちになった。
女房は朝暗いうちから、その橋で待っていたのだ。
夜明け前の昭和大橋からの眺め(女房のカメラ撮影)
だが、昭和大橋では、女房に会えなかった?
昭和大橋はコースの上なので、必ず会えるはずなのである。
応援者用のバスと応援者は、橋の上で待機し、応援するスタイルなのだ。
そのことで、レース後お互いに何故会えなかったのか?、ちょっと論争になった。
(映画 Memoirs of an Ivisible Manより)
「四万十川、昭和大橋の不思議?透明ランナーの怪!」
となったのだが、後日、その理由が判明した。
偶然が重なって、女房はまったく俺の方を見ていなかったのである。
その橋のそばには鉄橋があり、土佐くろしお鉄道が走っているのだが、その鉄橋に1車両だけの可愛い新幹線?が突然走ってきて、そのカワイイ姿に女房がビックリして見惚れていた時であったのである。
そして、よく見たいがために鉄橋側であるバスの後ろに隠れてしまったのだった。
わずか、その間10秒・・・
ちょうど、その時に俺は橋を通過したのだった。
まさにこれぞ、すれ違い夫婦である。
(写真は幡多はた波多100景よりコピーさせていただきました)
なお、この電車は土佐くろしお鉄道が作った初代の新幹線にそっくりのホビートレインなのだ。
こんな電車が四万十川の鉄橋を走っていたら、俺だってそちらのほうを見てしまうに違いない。
(女房が、そのことに気づいたのは東京に戻って冷静にその場の出来事を考えたときにである。
これは実に傑作な出来事だ、とお互いに大笑いした。
そりゃぁ、俺より新幹線モドキのホビートレインを絶対見るべきだ!
俺もみたかった)
結局、そのときは携帯電話で
「おーい、いったいどこにいるんだぁ?」
などと話し合ったが、その時は、すれ違うはずがないとお互いに思っているから女房と話しても全く話がかみ合わない。
結局、女房は俺が過ぎ去った後もいまか、いまかと橋の上で待っていたのである。
まるで、宮本武蔵のお通さんのように、橋の上で朝から4時間も待っていたのだ・・・
俺は通り過ぎてしまったというのに。
とにかく、自分では沈下橋までは歩くつもりでいた。
そして、62kmのカヌーセンターで、リタイアするつもりでいた。
どうせ、歩くならと、周りの景色を見ながら、自然の音も聴きながら、楽しく?(辛く!)歩いた。
人間というのは辛くなると共感してもらいたくなる。
だから、俺と同じく歩いている人、道端で応援してくれる人に声をかけたりした。
ここにきて、お腹の調子は完全に回復したようだった。
何故なら、お腹が空いてたまらなかったからである。
お腹の調子は空腹になるかどうかで、わかるのだということを実感したのだ。
痛みの出てきた足をかばいながら歩いていると、昔の人は徒歩で江戸まで歩いたのだから、ものすごく健脚だったのだ、ということを身をもって痛感する。
あのNHK大河ドラマ「花燃ゆ」などは、簡単に萩と江戸を登場人物たちが行ったり来たりしているけれど、実際には歩いて一か月はかかっていたわけで、とんでもなく健脚な人たちなのだ。
しかも、ランニングシューズなんかではなく、クッション性など微塵もない、あの薄っぺらい草鞋で歩いたのである。東海道で1日あたり、男の大人で10里(40km)、女で8里は毎日続けて歩いたというのだから、すごいことである。龍馬などは、なんども長崎や京都や萩、江戸を行ったり来たりしていたのだから、ウルトラランナーなのだ。
半家沈下橋
本当は、沈下橋から川に飛び込んで泳いでみたい。
暑さもあるが、足がオバーヒートしていた。
が、これでは水量がなく、橋から跳んだら骨折してしまう感じだ。
水量が少ないせいか、普通に山の沢にかかる橋みたいな感じがした。
こうなったら、70kmのところに岩間沈下橋というのがあって、そこは水量があって、沈下橋らしく感じられるようだから、そこまで行ってみようかなと思ったりもしたのだが、悲劇が起きたのだった。
大体55kmぐらいかと思うけれども、理由はわからないが
大転倒してしまった。
回転レシーブみたいな感じで転んでしまった。
足は膝から擦りむき血が出てしまい、CWXに穴が開いてしまった。・・・(注1)後日談
左手で最初に着いたから、痣が手のひらの中にできた。
CWXに隠れみえないが、小判ぐらいの擦りむき傷ができた。
一番問題なのは転倒したら、足がつってしまったことだ。
必死に足先をつかんで、筋肉を伸ばした。
だが、足が痛くて、なかなか立てない。
そうこうしてると、後ろから偶然、救護車が通りかかり、俺は「ハイ、そこまでよ!」と回収されたのだった。
たぶん、気持ちは先に進もうとしていても、足腰の限界がきていたのだと思う。
これで、おれの四万十川ウルトラマラソンは終わったのであった。
女房とはずっと会えず、ゴール会場でしか会えなかった。
彼女にとっては、せっかく、ここまで来て他人の応援ばかりで、俺とはスタートの時も会えず、途中応援もできず、なにしにきたのかわからない四万十川ウルトラマラソンであったが、お互い、何故か晴れ晴れとした、爽快な大会だったように思う。
なお、宿に着いたら猛烈な空腹で、女房がたまげるぐらいの大飯喰いを演じた。
ビールも本当にうまかった。
今回のストイックな俺は、俺ではなかったように思われた。
腹は出ていても、大酒のみの、大飯喰らいの俺のほうが、俺らしく、そんな奴が完走してしまうぐらいのほうが、面白くてカッコいいように思われた。
(当然、これだけではありませんよ。)
それと、恥ずかしい話であるが、実は、数週間前までは完走できるという過信があった。
だが、実際はいまだに普通のオッサンであって、ウルトラマンにはなれていなかったのだ。
俺には来年5月、山口100萩往還マラニック大会がある。
維新回天の志士たちが駆けた萩を走るウルトラマラソンである。
今度は、どんなふうに完走できるよう挑もうか?
そう考えるのも楽しいことだ。
翌朝の高知へ向かう特急列車の中で、ウトウトしながら俺はそんなことを考えていた。
健康であるということは素晴らしいことだ。
(おしまい)
(注1)後日談
CWXの補修
CWXは以前はワコールで無償修理がきき、実際にCWXプロを直してもらったことがある。
現在は一定の制限があり、以下の場合は補修がきかない。
※素材全体に傷み(薄くなる、伸びや戻りが悪くなるなど)が見受けられるもの
※機能ラインの縫製(ステッチ)部分にかかっている、あるいは、そのステッチ部から5mm以内にある破れ
※穴があいて素材の欠損が見受けられるもの
※同じ箇所の2回目以降のお修理
※修理することでサイズが変更してしまうもの
今回、俺のはステッチ部を跨いでしまったカギ裂きである。
もう、諦めて捨ててしまおうと思ったが、ネットで検索すると補修するものが売られているというので試してみた。
アイロンをあてるだけのものである。
実際にしようしてみるとまったく、問題なかった。
あとは、何回か洗濯するとどうなるかが問題だ。
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大腿四頭筋に乳酸がたまって、足が弱音を吐いていた。
今回は大会前に3か月間200km走ってきた。
また、山手線1周40km走などもやってきた。
それでも、まだ駄目だった。
200km程度では筋力不足なのだろうか?
それとも、もう年齢なんだろうか?
前回は90kmまで足はもったのに?
後で、女房とそんな自信喪失気味な話をしたら、
「今回は毎日よく練習していて感心したけど、細切れで、足して月間200kmでしょ。
前の伊南川ウルトラの時は、週に2~3日しか練習してなかったけど、旧東海道をよく走っていたじゃない。
あの時は、それで月間200km。
あれは、それなりの結構な荷物を背負って2日連続してロング走してたから、あれが良かったんじゃない。」
といわれた。
さすが、夫婦というのはお互い何も見てないようで、肝心なところはよく見ているものである。
名コーチは意外なところにいたのだった。
そうかもしれないと、俺は思った。
5~6kmをダラダラと毎日練習するよりも、たまに旧東海道走のように荷が重くて厳しいが、景色見ながら楽しいラン旅したほうが、結果的には効果があるのかもしれない。
毎日ストイックに練習することや、合計200km以上走ることに拘りすぎたような気がする。
練習方法を考え直そうと思った。
とにかく35kmからは完全に歩いた。
女房に電話し、リタイアする予定だと連絡した。
40kmの昭和大橋で待っているからとの返事だった。
「もう、皆さんとっくに通過してしまって、応援者の方は次のカヌーセンターへ行っちゃってる。ここで待っているのは私ともう一人だけなのよ!昭和大橋の上で待ってるから頑張ってね。」
・・・
申し訳ない気持ちになった。
女房は朝暗いうちから、その橋で待っていたのだ。
夜明け前の昭和大橋からの眺め(女房のカメラ撮影)
だが、昭和大橋では、女房に会えなかった?
昭和大橋はコースの上なので、必ず会えるはずなのである。
応援者用のバスと応援者は、橋の上で待機し、応援するスタイルなのだ。
そのことで、レース後お互いに何故会えなかったのか?、ちょっと論争になった。
(映画 Memoirs of an Ivisible Manより)
「四万十川、昭和大橋の不思議?透明ランナーの怪!」
となったのだが、後日、その理由が判明した。
偶然が重なって、女房はまったく俺の方を見ていなかったのである。
その橋のそばには鉄橋があり、土佐くろしお鉄道が走っているのだが、その鉄橋に1車両だけの可愛い新幹線?が突然走ってきて、そのカワイイ姿に女房がビックリして見惚れていた時であったのである。
そして、よく見たいがために鉄橋側であるバスの後ろに隠れてしまったのだった。
わずか、その間10秒・・・
ちょうど、その時に俺は橋を通過したのだった。
まさにこれぞ、すれ違い夫婦である。
(写真は幡多はた波多100景よりコピーさせていただきました)
なお、この電車は土佐くろしお鉄道が作った初代の新幹線にそっくりのホビートレインなのだ。
こんな電車が四万十川の鉄橋を走っていたら、俺だってそちらのほうを見てしまうに違いない。
(女房が、そのことに気づいたのは東京に戻って冷静にその場の出来事を考えたときにである。
これは実に傑作な出来事だ、とお互いに大笑いした。
そりゃぁ、俺より新幹線モドキのホビートレインを絶対見るべきだ!
俺もみたかった)
結局、そのときは携帯電話で
「おーい、いったいどこにいるんだぁ?」
などと話し合ったが、その時は、すれ違うはずがないとお互いに思っているから女房と話しても全く話がかみ合わない。
結局、女房は俺が過ぎ去った後もいまか、いまかと橋の上で待っていたのである。
まるで、宮本武蔵のお通さんのように、橋の上で朝から4時間も待っていたのだ・・・
俺は通り過ぎてしまったというのに。
とにかく、自分では沈下橋までは歩くつもりでいた。
そして、62kmのカヌーセンターで、リタイアするつもりでいた。
どうせ、歩くならと、周りの景色を見ながら、自然の音も聴きながら、楽しく?(辛く!)歩いた。
人間というのは辛くなると共感してもらいたくなる。
だから、俺と同じく歩いている人、道端で応援してくれる人に声をかけたりした。
ここにきて、お腹の調子は完全に回復したようだった。
何故なら、お腹が空いてたまらなかったからである。
お腹の調子は空腹になるかどうかで、わかるのだということを実感したのだ。
痛みの出てきた足をかばいながら歩いていると、昔の人は徒歩で江戸まで歩いたのだから、ものすごく健脚だったのだ、ということを身をもって痛感する。
あのNHK大河ドラマ「花燃ゆ」などは、簡単に萩と江戸を登場人物たちが行ったり来たりしているけれど、実際には歩いて一か月はかかっていたわけで、とんでもなく健脚な人たちなのだ。
しかも、ランニングシューズなんかではなく、クッション性など微塵もない、あの薄っぺらい草鞋で歩いたのである。東海道で1日あたり、男の大人で10里(40km)、女で8里は毎日続けて歩いたというのだから、すごいことである。龍馬などは、なんども長崎や京都や萩、江戸を行ったり来たりしていたのだから、ウルトラランナーなのだ。
半家沈下橋
本当は、沈下橋から川に飛び込んで泳いでみたい。
暑さもあるが、足がオバーヒートしていた。
が、これでは水量がなく、橋から跳んだら骨折してしまう感じだ。
水量が少ないせいか、普通に山の沢にかかる橋みたいな感じがした。
こうなったら、70kmのところに岩間沈下橋というのがあって、そこは水量があって、沈下橋らしく感じられるようだから、そこまで行ってみようかなと思ったりもしたのだが、悲劇が起きたのだった。
大体55kmぐらいかと思うけれども、理由はわからないが
大転倒してしまった。
回転レシーブみたいな感じで転んでしまった。
足は膝から擦りむき血が出てしまい、CWXに穴が開いてしまった。・・・(注1)後日談
左手で最初に着いたから、痣が手のひらの中にできた。
CWXに隠れみえないが、小判ぐらいの擦りむき傷ができた。
一番問題なのは転倒したら、足がつってしまったことだ。
必死に足先をつかんで、筋肉を伸ばした。
だが、足が痛くて、なかなか立てない。
そうこうしてると、後ろから偶然、救護車が通りかかり、俺は「ハイ、そこまでよ!」と回収されたのだった。
たぶん、気持ちは先に進もうとしていても、足腰の限界がきていたのだと思う。
これで、おれの四万十川ウルトラマラソンは終わったのであった。
女房とはずっと会えず、ゴール会場でしか会えなかった。
彼女にとっては、せっかく、ここまで来て他人の応援ばかりで、俺とはスタートの時も会えず、途中応援もできず、なにしにきたのかわからない四万十川ウルトラマラソンであったが、お互い、何故か晴れ晴れとした、爽快な大会だったように思う。
なお、宿に着いたら猛烈な空腹で、女房がたまげるぐらいの大飯喰いを演じた。
ビールも本当にうまかった。
今回のストイックな俺は、俺ではなかったように思われた。
腹は出ていても、大酒のみの、大飯喰らいの俺のほうが、俺らしく、そんな奴が完走してしまうぐらいのほうが、面白くてカッコいいように思われた。
(当然、これだけではありませんよ。)
それと、恥ずかしい話であるが、実は、数週間前までは完走できるという過信があった。
だが、実際はいまだに普通のオッサンであって、ウルトラマンにはなれていなかったのだ。
俺には来年5月、山口100萩往還マラニック大会がある。
維新回天の志士たちが駆けた萩を走るウルトラマラソンである。
今度は、どんなふうに完走できるよう挑もうか?
そう考えるのも楽しいことだ。
翌朝の高知へ向かう特急列車の中で、ウトウトしながら俺はそんなことを考えていた。
健康であるということは素晴らしいことだ。
(おしまい)
(注1)後日談
CWXの補修
CWXは以前はワコールで無償修理がきき、実際にCWXプロを直してもらったことがある。
現在は一定の制限があり、以下の場合は補修がきかない。
※素材全体に傷み(薄くなる、伸びや戻りが悪くなるなど)が見受けられるもの
※機能ラインの縫製(ステッチ)部分にかかっている、あるいは、そのステッチ部から5mm以内にある破れ
※穴があいて素材の欠損が見受けられるもの
※同じ箇所の2回目以降のお修理
※修理することでサイズが変更してしまうもの
今回、俺のはステッチ部を跨いでしまったカギ裂きである。
もう、諦めて捨ててしまおうと思ったが、ネットで検索すると補修するものが売られているというので試してみた。
アイロンをあてるだけのものである。
実際にしようしてみるとまったく、問題なかった。
あとは、何回か洗濯するとどうなるかが問題だ。
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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