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旅ラン「甲州道走膝痛シ」…千歳烏山~立川(その2)滝坂道

2019年06月29日 | 甲州道走膝痛シ(旧甲州街道ランニング)
金龍寺山門の仁王像だが、筋肉隆々だけど、右手が???
おいっ、金出せ!」と言ってるみたいに見えてしまった。

すみません!




さて、つづきを・・・

さらに国道沿いを走っていくと段々と下り坂になりました。
右手に大きく下がっていく下り坂が見えてきます。


旧甲州街道瀧坂旧道の碑

ここは江戸時代に甲州街道が開設される以前、江戸と府中を結ぶ街道であった
滝坂道
(中世の「府中道」の一つで、江戸時代には「甲州街道中出道」と呼ばれていた。)
の終点になる場所です。

-----------以下、世田谷の古道を行くより抜粋

「滝坂道」は徳川幕府が慶長7(1602)年に甲州道中(甲州街道=現在の国道20号線)を整備する以前、江戸と武蔵国府のあった府中方面を結んでいた中世の「府中道」の一部だったとされる道筋です。
 この道は渋谷の道玄坂で大山街道(矢倉沢往還=現在の国道246号線)から分かれ、目黒区北部を横切り、世田谷区内を横断して、調布市の東つつじヶ丘1丁目で甲州街道に接続しています。江戸時代には「甲州道中出道」と呼ばれ、甲州道中とは「滝坂」で合流するため「滝坂道」とも呼ばれたわけです。また江戸方面へ向かう者にとっては青山に通じるという意味で「青山道」「青山街道」とも呼ばれました。
-----------


滝坂道(滝坂道道中記よりお借りしました。)


画像は仙川ポータルよりお借りしました。

距離的には17~18㎞ぐらいなので、いつか旅ランで走ってみたいと思います。
ただし、なるべく正確なルート地図を用意しなければなりませんね。


急な瀧坂旧道


瀧坂旧道の薬師如来像
この裏手は蔵でした。

すぐ国道と合流します。


暗渠道ですね。国道沿いにあります。


ショッキングなほどに真っ赤な金龍寺山門


金龍寺の「閻魔大王」

この閻魔大王像の台座の赤い扉の中に古くから安置伝承されている小さな木造の大魔王像と、十王が納められています。なお、閻魔大王は十王のひとりでした。

十王とは---津金学校、十王信仰より抜粋させていただきました。
-----------
十王とは、死後初七日から3回忌まで10回にわたり、前世の功罪を裁き来世の生を定める王のことである。
現世に生きるものが、死者のために十王を祈ることで、死者の罪科を救済できると信じられていた。
閻魔大王をはじめとする十王と、罪状の重さを計る業秤や罪科を写す鏡がある。』
この世で犯した自分の罪を軽減してもらうという庶民信仰である。
(中略)
十王の思想の起源は中国の道教にある。道教は老子を祖とし、不老長生や無為自然を説く教えが仏教の教理と合体して宗教となったもの。とくにその冥府(冥土)思想が特徴で、日本に伝わると、後に奪衣婆(だつえば)や十王それぞれに本地仏(ほんじぶつ)があてられるようになった。奪(脱)衣婆は、三途(さんず)の川辺で罪人の衣服を奪い取る老鬼女のことで、だいたい十王石像とセットで置かれていることが多いようである。
-----------



隠れキリシタン信仰?
これを見た時、聖母マリアかと思いました
何故なら、山門脇にこれがあったので・・・



しかも錫杖の飾りが十字架のようだし・・・


ですが、年代的にそう古いものではなかったので勘違いですね。
アハッ!(照笑)



たぶん庚申信仰の青面金剛ですね。
下に「見ざる言わざる聞かざる」の三猿が彫られてますから。

再び国道沿いを走りました。




これまた立派な家ですね。
諸葛孔明が住んでいそうな感じです。



つつじが丘あたりでクロスガーデン調布というショッピングモールでトイレに入りましたが、店の前にお地蔵さんが立ってました。


地蔵菩薩立像(妙円(みょうえん)地蔵)

以下、調布市のHPより
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妙円尼は、俗名を熊といい、武蔵国多摩郡酒井(境)村の六右衛門の長女として生まれました。若くして、金子村(現・調布市西つつじヶ丘・菊野台のあたり)の新助に嫁ぎましたが、恵まれない境遇のうえに失明してしまい、出家して寿量妙円と名のりました。
以後、村びとのために路傍で鉦をたたいては念仏を唱え、集まった浄財でこの地蔵菩薩像を作りました。それからは甲州街道のこの地蔵の傍らで念仏三昧の日々を送り、村びとに頼まれては加持祈祷(かじきとう)をしました。
文化13(1816)年の春、妙円は村びとに「来年の10月28日に念仏往生をとげる」と告げ、翌年秋には棺桶・帷子(かたびら)などを買い整え、10月26日になると村中をまわって、世話になった人びとにお礼をいい、村びとが見守る中、29日に念仏往生をとげました。妙円の墓は、深大寺三昧所にあります。
失明後、妙円がたどった運命は、滝沢馬琴の「玄同放言」に詳しく紹介されています。
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(つづく)



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