走っていると街道沿いにレース鳩市場オグラ鳩舎というのがありました。
昔は東京でも鳩をたくさん飼っている人がいましたが、今は殆どみかけませんね。
日光という文字の入った看板を見つけました。
東京からトロトロ走ってきて、日光街道という文字列以外で日光の文字はあまり見てません。
まあ、地面ばかり見てたからかもしれませんが、…。
日光の名物である「ゆば」ですね。
今、ふと考えました。
湯葉をとった後の液体はどうなるんでしょうか?
豆腐と違って、結構豆の成分が残りますよね。
タンパク質のない豆乳だと思うのですが、何かに利用されるんでしょうか?
捨てられるだけなのかな?
材木屋さんのようです。
遠くから煙突がみえたので酒蔵か醤油工場かと思ってました。
ところが、入り口の門に「小野塚イツ子記念館」とありました。
記念館というからには公共の施設なのでしょうが、どう見ても何かの工場にしかみえません。
なんか入りにくい。
とりあえず、通り過ぎましたが、後で調べてみたら以下の様でした。
----小野塚家遺産(コトバンクより引用)-----
小野塚家は江戸時代から続く商家で、「万久」の商標でしょうゆを醸造。2003年に死去した故小野塚イツ子さんの遺言で計16区画の土地・建物、預貯金(約9千万円)、有価証券など約4億円相当が小山市に寄贈された。市は約1億円で「小野塚記念青少年健全育成基金」を設立。問題の住居地はJR小山駅から南西に約700メートル。敷地は約1200平方メートル。市は当初、土蔵だけを残し、他は解体して緑地公園にする計画を立てたが、歴史遺産として保存を求める声が高まり、08年6月にれんが煙突、土蔵、旧しょうゆ工場の保存を決めた。
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要するに地域学習施設のようでした。
須賀神社参道
須賀神社は、天慶3年(940)藤原秀郷公が京都の八坂神社より分霊を迎えて祀ったことに始まるという言い伝えがある神社です。
ここで有名な話は、この神社の境内で打倒石田三成で家康に忠誠を誓った小山評定があったということですね。
関ヶ原の戦いが始まる歴史的転換点、重要な場所で、その碑があります。
小山評定(NHK大河ドラマ真田丸)
境内はとても広いです。
祇園城(小山城)址に向かいました。
----小山城-----以下、ウィキペディアより
小山城は栃木県小山市城山町にあった日本の城。別名は祇園城。地元では主に祇園城と呼ばれている。城跡は、祇園城跡の名称で中久喜城跡、鷲城跡とともに小山氏城跡として、国の史跡に指定されている。 また、関東の富士見百景の一つに選ばれている。
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なお、小山城のあった場所は、現在、小山城址公園となっています。
曲輪からの景色は素晴らしい!
橋の袂で水遊び
本丸のあったあたりがコレ
内堀は結構深いです。
ご近所の名所・旧跡紹介 小山祇園城
今回はココで終了としました。時刻も15時過ぎ、風呂に入り一杯やりたいところです。
小山駅近くには歓楽街のはずれに銭湯が一軒だけありました。
昭和30年開業の幸の湯です。
開くまで20分ほど時間がありましたので、銭湯脇のコインランドリーでコーラを飲みながら休んでました。
熱い湯に富士山という典型的な銭湯で、最高です。
のんびり湯に浸かることができました。
風呂からでてきて、駅の方に向かって居酒屋探しに向かいました。
歩いていると家からメールが届いていることに気がつきました。
開けてみると義母が突然倒れて緊急入院したというメール!
早速、女房に電話し、様子を聞いてみたのですが、非常に危険な状態であり、現在その原因を調べているとことで、これは居酒屋なんぞに寄らず、病院へ直行したのでした。
しかも、編み笠にワラーチ姿のままで、・・・。
(なお、我慢できず電車の中で缶ビール1本と唐揚げをコンビニで購入し、車内で呑んでしまいました。
幸いにも小山駅あたりではガラ空きでしたので他人に迷惑かけずに済みました。
なお、義母は大動脈解離でしたが、強運の持ち主で結局、奇跡の復活し、現在は絶好調でリハビリ中です。)
(おわり)
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