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旅ラン「日光道中膝痛シ」…(今市宿~日光東照宮)その1

2019年01月05日 | 日光道走膝痛シ(旧日光街道ランニング)
新年が始まってしまいましたが、昨年の晩秋を思い出しながら投稿しています。

前回の終了地点、今市の追分地蔵から出発です。




とりあえず、地蔵の前にて写真を一枚!
ですが、腕と足の動きが反対でした。


まずは、コンビニにて腹ごしらえです。
朝早く起きたので、まだ何も食べていません。
とりあえず、カロリー高めの朝食にしました。




報徳二宮神社

二宮金次郎を祭る神社です。
ところで、疑問が・・・。
なぜ二宮尊徳神社じゃないのでしょうか?

一体全体、報徳って何?



これは報徳思想(二宮尊徳が説き広めた経済思想、経済学説)からきたみたいですね。

---------以下、ブリタニカ国際大百科事典より
報徳思想(読み)ほうとくしそう

報徳思想【ほうとくしそう】
二宮尊徳の根本思想で,人は天・地・人の徳に報いるために,自ら徳行を実践しなければならないとの考え。財政再建に取り組む上で,経済力に応じた消費支出限度(分度(ぶんど))を守り勤倹節約し,倹約して生まれた余剰を社会公共のために提供する(推譲(すいじょう))生活態度によって,困窮を救うことができると説いた。江戸末期,各地に報徳社が生まれ,明治には政府が農政策上で国民教化を企図した報徳会も生まれた。
---------


自分は徳をあまり積んでないです。
今からでも遅くないので善行を行っていきたいです。


本殿


小学校には大抵設置されていた二宮金次郎の像


半生を下野国で過ごして、1856年に報徳役所で70歳で死去した尊徳の墓?

勝海舟が言ってる言葉
「二宮尊徳には一度会ったが、至って正直な人だったよ。」

うん、なるほど!

そこで、二宮金次郎をマンガで勉強してみることにしました。

Ninomiya Kinjiro - Parte 1


Ninomiya Kinjiro - Parte 2


Ninomiya Kinjiro - Parte 3


Ninomiya Kinjiro - Parte 4


Ninomiya Kinjiro - Parte 5


さて、報徳二宮神社の尊徳の墓なんですが、自分は第二の疑問を抱いていました。

なぜかというと、
墓は文京区の吉祥寺にある
ことを知ってるからです。

ここじゃないハズ???

これは、調べるしかありません。




二宮尊徳(金次郎)を祀る神社5か所もありました、

・報徳二宮神社 (栃木県日光市)
・桜町二宮神社 (栃木県真岡市)
・報徳二宮神社 (神奈川県小田原市)
・報徳二宮神社 (神奈川県相模原市南区上鶴間)
・二宮神社 (神奈川県相模原市南区南台)

ですが、これら神社とは全く関係のない東京のお寺に何故あるのか?


わからなくなりました。
尊徳翁の墓所は本当はどこなんでしょうか?


文京区吉祥寺にある尊徳の墓


安政3年(1856年)尊徳翁の葬儀の行われた如来寺(報徳二宮神社の近くにある)
→ということは、やはりココが本当の墓なのか?



調べたら以下の様でした。




実は、没後84年にわたって埋葬されず、昭和14年、吉祥寺に保存されたままになっていたのです

昔の新聞記事がありました。

---------以下、神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 人物伝記(6-054)
報知新聞 1939.9.24 (昭和14)より

報知新聞 1939.9.24 (昭和14)
尊徳翁に安住の地

駒込吉祥寺で発見の遺骨八十四年振りに埋葬

国民精神総動員で産業開発、勤倹貯蓄の叫ばれている折、その化身ともいうべき報徳精神の権化二宮尊徳翁の遺骨がお膝元帝都の城北"八百屋お七"で名高い駒込吉祥寺に保存されたまま尊徳翁の没後八十四年の今日に至るまで埋葬されていなかったことが初めて公にされた、幼い時代から日本国民の良き教材として偉大な役割を果し、尊敬の的となっている尊徳翁の遺骨が埋葬されず安住の地を得ていないことは偉人に対してこの上ない非礼でもあり、遺憾なことであると、今度地元中村本郷区長等が中心となってこの遺骨を埋葬、同寺を報徳精神の聖地とし帝都の一名所にしようという運動が進められ着々具体化している
二宮尊徳翁は嘉永六年徳川幕府より御普請役を仰付けられ日光廟祭田の荒廃整理に取りかかり、同年日光御神領三十箇年計画を立て、荒野九千四百八十町歩を開発、途中安政三年十月二十日日光今市の官舎報徳役所において七十歳の高齢で大往生を遂げたので、翁の片腕となって当地に活動していた嗣子尊行氏が、今市の如来寺に仮内葬し相模国足柄上郡桜井村東柏山の先祖代々の菩提寺善栄寺には翁の歯と遺髪を納めたものであったが遺骨そのものは誰の手にも渡さないでおいた、ところが曾孫の徳氏の代になってから四谷区左門町に居を移し、同氏は大正十二年東洋拓殖会社から南洋方面視察の旅に上ることになったので、同年四月十一日翁の遺骨は翁の令けいお歌夫人の遺骨と共に本葬するまで一時吉祥寺に預けて出発したが、途中同氏は船中で病死したので、尊徳翁の遺骨は今日に至るまで同寺に安置されたまま埋葬されずにいたものであった、ところが尊徳翁の精神は今日に生き全国地方行政、町村自治、学校教育にまで広められ、あるいは報徳二宮神社、報徳社、報徳会等によって国民精神の振興がなされている時、肝腎な遺骨が埋葬されないのは遺憾であると伝え聞いた中村本郷区長は尊徳翁の遺族、吉祥寺の住職岩本勝●氏等の助力を得てこの埋葬計画を進めることになったものである、同寺には翁の子孫の菩提があるので大体その側に墓地を求めて尊徳翁の墓を建立、丁度来月二十日が翁の命日に当るのでそれまでに出来れば作りたいものと関係者一同着々計画を進めているが、中村区長は若し実現すれば当日は区内の小学校児童を参列させて追悼会を営まうということになっている


小田原の善栄寺にある尊徳翁の墓

吉祥寺に預けた" 子孫の語る遺骨の経過

右に関し尊徳翁の子孫で現当主二宮尊道氏(三〇)を中野区氷川町二に訪えば尊道氏は
祖先尊徳翁の遺骨を吉祥寺に預けた経過は母がよく知っていますから聞いて下さい、吉祥寺を菩提寺と定めて檀家になったのは父徳の代です。

と語るそばから故徳氏の未亡人そのさん(五三)は次のように語った

尊徳翁の本葬は明治御維新となったので延々になり、翁の長男尊行さんが福島原の町新祥寺に預けておいた遺骨を夫徳が南洋に行くについて大正十二年四月十一日私の生家の菩提寺であり宗教が同じ関係上吉祥寺に預けて置いたものですが、旅行中死亡したのでそのままとなっていたのです、今度住職岩本さんのお骨折り等で墓地が定まることになったので、吉祥寺に墓所が出来ることになり、こんな嬉しいことは御座いません

中村区長談

区内吉祥寺に二宮翁の遺骨が安置されていることは今度初めて知りました、小学校で時局柄勤倹貯蓄の教育をしても真に精神的教育が必要であるから、出来れば十月二十日の尊徳翁の命日には生徒に礼拝させ慰霊祭を行い、その徳を永遠に伝えたいと思います

二宮神社では否定

小田原発= 尊徳翁の遺骨が吉祥寺に埋葬されるとのことに神奈川県小田原町所在県社報徳二宮神社草山神職はこれを否定して次のように語る

 そんなことはない、遺骨は翁の生地たる足柄上郡柏山、栃木県今市等幾つか由縁の地に分けられたもので、遺骨が今以て埋葬されていないということはないと思う、何かの間違いではないか

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まるで、お釈迦様の仏舎利のようです。

尊徳翁の遺言があります。
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予が死近きにあるべし。
予を葬るに分を超ゆる事なかれ、墓石を立る事勿れ。
碑を立る事勿れ。
只土を盛り上げて其の傍らに松か杉を一本植え置けば夫にてよろし。
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そうはなりませんでしたね。



話は前後するのですが、報徳二宮神社と如来寺の間に日光市ひきこもり相談センターがありました。

それと関係するのですが、いままで当会で応援していた不登校・ひきこもり親の会の名前が変わりました。

FIRST STEPとなりました。

今まで同様に当会ではバックアップしていきます。

(つづく)



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