狭い歩道が片側しかない吉野橋を渡りました。
道路に面した囲いもないところで玉ねぎやジャガイモを干している民家
以前、武蔵嵐山で畑をやっていた時があり、ジャガイモがたくさん採れたのですが、東京では風通しが良くて雨を避けられそうな適当な干す場所がなく、干すのに苦労しました。
ここは決して大きなスペースとは言えないですが、自分も自宅の脇に欲しい空間です。
東京じゃ誰かに . . . 本文を読む
苔の絨毯の新緑の美しさに思わず立ち止まりました。
この日は7月15日でお盆の中日でしたが、自分自身の先祖への墓参りは1週間ほど早めに済ませていました。
天気は生憎の小雨。
ですが、濡れても寒くはないですし、今日は山の中を走って滑りまくるということがなさそうだと思われたので、思い切って走ることにしました。
写真をとればよかったのですが、上下カッパ姿にワラーチという極端 . . . 本文を読む
人知れぬ静かな山奥にあったトンネル出口
機関車が出てきたら感動的なんだが・・・。
さて、
旧甲州街道は、小仏峠から山道の下りになります。
ワラーチで小仏峠からの下り
車道にでました。
下の写真が車道からみた旧甲州街道の山道部分への入り口
ココからは小枝で足がチクチクすることなく安心して走ることができます。
そのうち、中央線のトンネルが見えてきました。
電車 . . . 本文を読む
臨済宗南禅寺派、寶珠寺(ほうしゅうじ)に着きました。
入口になにか?、都天然記念物 カゴノキと書いてあるのですが・・・。
この小さな木が都天然記念物???
実はこれじゃなかったようです。
ブログを書きながら、調べていくうちに判ったのですが、この寺の中に大樹があって、それが都天然記念物らしいです。
「カゴノキ」自体も全く知りませんでした。。
---------ウィキペディアより
カゴノ . . . 本文を読む
JR中央線の日野駅の裏手に坂下地蔵堂がありました。
お地蔵さんが沢山一か所に集まっています。
ところが、その写真がとれてませんでした。
そこでGoogle Mapより、以下をお借りしました。
旧甲州街道はここで中央線に遮られてしまいます。
ただ、昔はここに踏切があって、旧甲州街道は続いていたそうです。
地蔵堂の隣の飯綱権現社
その階段下にある小さな石仏群
街道を若干戻り、日野駅前 . . . 本文を読む
この日(4/28)の天気は快晴でした。
朝からJR中央線は人身事故で、電車は中野でしばらく停まっていました。
天気の良い日は人身事故が多いと聞きます。
この国は明るい未来に向かっているのでしょうか?
などと考えているうちに、電車は動き出し立川駅に予定より30分遅れくらいで到着しました。
立川駅から前回終了したポイントまで、ゆっくりジョギングしていったのですが、太陽の日差しを直に感じる素 . . . 本文を読む
熊野神社であるが、本殿の裏に古墳がありました。
こういうタイプの神社は中仙道ではよく見ました。
武蔵府中熊野神社古墳
飛鳥時代の上円下方墳だそうですが、素晴らしい石組で大変立派ですね。
相当な権力者の墓なんでしょうね。
甲州街道の常夜灯
昔の真っ暗な夜道では、この常夜灯が陸の灯台のように人々の安全、安心に多大な貢献をしたでしょうね。
こんな曲がありまし . . . 本文を読む
市川團十郎 (7代目)の『勧進帳』の弁慶(ウィキペディアよりお借りしました)
府中高札場(復元)と中久本店のある府中市役所前交差点
旧甲州街道と府中街道が交わる場所です。
この辺りだけ大正昭和レトロの雰囲気がある一角でした。
幕末に創業された造り酒屋の中久本店
黒漆喰で仕上げられた重厚な蔵造りの商家です。
現在は酒の醸造はしてないようでした。
カフェと酒屋です。
. . . 本文を読む
源正寺の六地蔵
お寺は改築中でした。
立派な屋敷発見!
西光寺内の近藤勇座像を発見!
幕末動乱の慶応4年3月、勝海舟の命により、近藤勇は新選組の生き残り他200名「甲陽鎮舞隊」を率いて江戸を発ち、土方歳三のふるさと「日野宿」に宿泊しながら、ここ「西光寺」に立ち寄ったそうです。(甲陽鎮舞隊ですが、200名のうち実際のところ新選組の残党はわずか二十名たらずだったようです . . . 本文を読む
調布の旅ランで知りました。
「ひょっとこ」は「火男」からきたらしく、すなわち製鉄の竈(かまど)の火を竹筒で吹く男であり、昔の鍛冶と関係あり、そして子孫繁栄と関係があるようです。
つづきの始まり
さて、
ゲゲゲの鬼太郎が住んでいる森のある布多天神社の参道にきました。
鬼太郎が住んでいるだけあって、創建時期があまりに古いくて、はっきりと分かっていないほど 歴史の深い神社だそうです。
まあ、見 . . . 本文を読む
柴崎駅入口交差点の角に立つ風化してしまった小さな石仏がありました。
ここは佐須街道(さずかいどう、深大寺への参拝道である)の入り口です。
甲州街道を旅した人が深大寺に立ち寄るための参道だったようで、昔はそれなりに賑わっていたと思います。
野川を馬橋にて渡ります。
橋を渡ると再び国道を離れ旧甲州街道を走ります。
国道を離れると正直ホッとしますね。
排気ガス、騒音、似たような街並みから解放され . . . 本文を読む
金龍寺山門の仁王像だが、筋肉隆々だけど、右手が???
「おいっ、金出せ!」と言ってるみたいに見えてしまった。
すみません!
さて、つづきを・・・
さらに国道沿いを走っていくと段々と下り坂になりました。
右手に大きく下がっていく下り坂が見えてきます。
旧甲州街道瀧坂旧道の碑
ここは江戸時代に甲州街道が開設される以前、江戸と府中を結ぶ街道であった
滝坂道
(中世の「府中道」の一つで、 . . . 本文を読む
日頃の煩雑な用事が多すぎて、走った記録を残すことを忘れてしまいます。
それでもスマホの写真が色色なことを思い出させますね。
それにしても、書き出すと止まらなくなり、しかも長文になるので短く切ってブログアップすることにします。
この日は3月17日の日曜日、千歳烏山駅から甲州街道沿いに走り、立川のあたりで終了し、風呂屋に入って立川駅周辺で一杯呑むつもりでありました。
(その「ラン+銭湯+居酒屋 . . . 本文を読む