武の道へのこころざし

大道塾の横須賀・湘南支部の責任者が、日々の活動に関する出来事や想いを綴っていきます。

世界大会の感想

2023年06月09日 | 大会記録
5月13日(土)から14日(日)の二日間にわたり、大道塾の第六回となる世界大会が開催されました。

格闘空手の名称で始まった大道塾が、現在、空道という名称の新しい競技スタイルで大会を開催しています。

全日本選手権大会のみならず、世界大会でも「北斗旗」の名称が用いられています。


元々は空手界の仕切りを取っ払う意味を込めて、大会の名称にはあえて「空手道」という文字や「大道塾」の団体名を用いず、大会名称には「北斗旗」という名称のみが用いられていました。その名も『北斗旗選手権大会』です。




これは、夜空に一年を通してその位置を変えずに北の位置を示す北極星を絶対唯一のものととらえ、その位置を指し示す北斗七星から命名された北斗旗選手権大会。

全日本という名称すら用いず、単に北斗旗選手権大会の名を用いていたのは、国の垣根をも取り除き、誰でもが参加可能な ”オープントーナメント” としての意味合いがありました。



世界大会の名称の大会が開催されるまでは、各種の他流派の団体から、そして数多くの海外の選手もこの北斗旗を目指して激しい戦いが繰り広げられていたもので、そうした理念に、私自身がとても大きな影響を受けて戦いを続けていたという思いがあります。


しかしその後、全日本と世界大会が別々に設けられるようになり、2001年には世界大会の名称で、第一回の世界大会が開催されています。

その時期からは、さらに多くの海外の強豪が続々と大会に参加するようになり、私が戦っていた時代よりも大幅にレベルが向上しているように感じています。


トップ選手の平均的な技量もかなり向上していますが、ポイントを狙いに行く技巧派の選手が増えていく中で、世界から参戦する選手たちの中には、がむしゃらに相手を倒しに行こうとする、迫力のある昔ながらの攻撃的な攻めが数多く見られ、とても刺激を受ける攻防が多くみられました。



そんな今大会の世界大会には、横須賀支部から1名の選手が出場しています。



また演武者として、少年部から中学部、高校一年生までの子供たちの有志が、基本演武のメンバーとして支部から参加してくれました。

自信が無かったり、迷いがあったりして、声をかけてみたものの参加に至らなかった子も多くいた中で、声をかけると真っ先に、「やってみます!」と、前向きな声をかけてくれる子も見られました。



世界から集まる多くの選手たちや観客の前で、演武を披露することに前向きなこの子たちのこの逞しさとその勇気は、何においても、今後の人生においての大きな力になるものだと考えています。



演武自体は、あまり統制が取れておらず、十分な演出はできていませんでしたが、演武前の入り口付近の待機場所で、支部の皆でまとまって、大きな声で基本演武の事前練習をしたことと合わせて、多くの選手や観客たちの前で演武ができたことは、とても大きな財産になっていることもいます。



ちなみに過去の世界大会で、世界各国の選手団の入場の際の、先頭のプラカード持ちの役割が関東地区の子供たちに回ってきたときに、支部から数名が参加したことがあります。



皆の前でプラカードを持って立派に行進をしたその子たちの多くは、その後、全国大会に出場したり、その全国大会で入賞したり、また社会に出てからも自分の道をしっかりと見つけて、立派な社会人として道を歩んでいる子たちもいます。


これは決して偶然ではなく、大きな舞台を経験した子たちならではの、大きな可能性だと私は考えています。

(横須賀支部からは、小学生と中学生の女の子も二人、演武会に参加してくれました)


大会全体の試合の様子は別に譲るとして、今回は私の身の回りの感想を述べたいと思います。


例年の大会では、マイナス面に目が行きがちだった傾向がありますが、今大会では、とてもうれしい出来事がいくつかありました。


一つは現在の、大道塾の団体幹部クラスの方々や、S級の審判団のメンバーの方々としっかりとしたコミュニケーションが取れたことです。

普段はなかなか密なコミュニケーションや会話をする時間も余裕もない中で大会が進行されていきますが、今大会では大会の合間に、色々な方々と比較的穏やかに、密にお話ができたことは私としてはとても喜ばしいことでした。

審判員の数が多く、比較的待機の時間が多かったことと、幹部クラスの方々と近い席で待機をしていられたことが幸いだったと思います。



また基本演武では、横須賀湘南支部から14名の子供たちが演武に参加してくれて、わずかな時間ではありましたが、お互いにコミュニケーションが取れ、事前練習に取り組み、世界大会という舞台で大きな刺激を受けることができました。


「演武」という意味での見栄えとしては、事前準備等が不十分だったところもありますが、総本部の掛け声に応じて、支部から多くの参加者が集まってくれたことで、全体としても演武会の形が整った気がします。

支部内の何名かの保護者の方々のご感想ですが、上の観客席から見ていて、「横須賀湘南支部の子達は、皆とても上手かった!」、「技がきれいだった!」、「皆とても上手だった!!」というお話が聞けて、とてもうれしく感じました。


支部内の、特に少中学部は、基本動作の技量の高さを大きな目標にしています。

幼い年齢で、組手の試合での勝った負けたよりも、武道の基礎となる動作の「基本」や、学ぶための「武の心」がしっかりと出来ている子の方が、将来性において、私は高く評価できるものがあると考えています。



他の良い出来事としては、ある北海道の強豪支部の支部長さんのお話です。

強豪の少年部を数多く育てている支部長さんとのお話の中で、「北海道の選手は試合でいい成績を残せている子がたくさんいて、いいですね!」と声をおかけしたその返答が、「いやいや、うちの支部、というよりも、団体全体が盛り上がればいいと考えている」というお話が伺えたことです。

「我が支部」の成績や、「我が道場」の評価ばかりを気にする風潮のある昨今の情勢なのかで、多数の強豪選手を育てている有力な支部の責任者の口から、こうした言葉が聞けたことが、私にとってとても励みになり、共感できる考えを持っておられる支部長がいることに、感謝の気持ちすら感じるものです。

強いジュニアの選手を数多く育てつつも、この方のように、団体全体の成長を願い、それを臆せずに口にすることができる支部の責任者の方がおられることは、団体の将来につながる、とても大きな財産だと考えます。


また、今大会の期間中に、病気で体に大きな障害を抱えているというお話を、複数の支部責任者の方々から伺いました。

話自体はとても痛々しく悲しむべきお話ではありますが、しかし、そのすべての方々が、とても明るく、力強く、たくましく生き生きとしておられ、まだ現役で指導者として立っておられること。

これは励みになります。

脳出血、脳梗塞、そして心筋梗塞と、聞くのも恐ろしいような症状が出た後も、必死にその病と闘いつつも、支部の責任者としてご活躍されている姿にはとても励まされるものがあります。


皆さん、実に「強い」です。

とても「逞しい」です。

そして若者風に言えば、とてもとても、”格好いい” と思います。


言葉ばかりではなく、その姿に、その存在に強さと逞しさを感じるとともに、武の道を通して自身を磨いてこられた武道家としての「威厳」すら感じられます。



また別の話になりますが、何年か前に、湘南支部に入門して7,8年間の修業期間を経て、大道塾の黒帯を取得し、ブラジルに帰国したゴミデ・ジーアンさんのお話です。

現在、ブラジルのある地区で支部長をしておられて、今回ブラジル選手とともに日本に来日してご挨拶をしてくれました。

今回の来日で、世界大会後に開かれた海外の支部長審査会で見事に弐段に昇段し、また一つ、成長した姿を見せてくれました。

ブラジルに帰国後には、柔術の本場ブラジルで柔術の黒帯も取得をされたとのことで、寝技の技術に磨きがかかり、一方では打撃でもしっかりとしたセオリーが身についており、実力も兼ね備えた、とても立派な指導者となっています。

そんなジーアンさんと、来日前から密にコミュニケーションをとっていただいていて、お忙しい中でも会場まで足を運んでくれた湘南支部の稽古生がおり、そうした仲間を大切にする心の輪が、武道を通してさらに深まっていきます。

ありがたいことです。


(大会後に、ブラジルチームと一緒に記念撮影)

尚、今大会には大会主催者の話として、現在戦時下にあるウクライナとロシアの選手たちにも声をかけていたとのことですが、開催ギリギリまで交渉を続けた結果、最終的に両国ともにそれぞれの国のスポーツ相からストップがかかり、出場できなくなったそうです。

私個人としては、戦時下にある国の選手を大会に呼ぶという行為には、違和感を覚えるところですが、政治とスポーツを分けて考えるべきというスポーツ憲章の考え方にのっとってみると、色々な判断があるものだと思います。

ただし結果的に、ウクライナやロシアなどの戦争当事者の両国の選手の出場を、団体として断ることなく、両国が出場しなかったことに、安堵した気持ちでいるのは事実です。

十分に練習する環境があるかどうかという意味においても、決して平等な環境にあるとは言えず、一方でそうした有力の国の選手たちの出場がない中でも、他の国々の選手たちによる非常にハイレベルの戦いが見られたという点において、評価すべき点が多くあったように感じています。

ちなみに、ウクライナの支部長とは私自身、過去に何度か、昇段審査での対戦経験があり、戦時下での無事を祈るばかりです。



ところで、横須賀支部から出場した選手の話に代わります。


準決勝の延長戦で惜しくも敗退しましたが、前回の世界大会成績の4位から、今回は3位の表彰を受けることができ、優勝には手が届きませんでしたが、実に立派に戦い抜き、以前よりも上位の賞を得ることができました。


ちなみに敗戦した試合の対戦相手は日本人で、現在、毎日稽古を続けている総本部の現役寮生です。

幼い頃から大道塾という団体の大きな大会で活躍を続けてきたいわゆるサラブレッドであり、自分の練習を中心に生活をしているプロ選手のような存在です。


そんな中で支部の谷井選手は、大学生になってから大道塾に入門し、今現在、三十代にして公務員として日々の多忙な仕事にいそしみながら稽古に励む、立派な社会人です。


そうした谷井選手が大会後の表彰式の合間に、選手団の中から唯一ただ一人、表彰者の皆さんの列からひょこっと離れて、舞台わきで佇んでいる私の元へ。。。

表彰式の後に、支部の皆さんと一緒に記念撮影をする予定にしていたのですが、その表彰式がとても長引いており、表彰式の終わりを待っている支部の仲間を気遣って、「長く待たせてしまって、すみません!」と声をかけにきてくれました。


一番疲れているはずの選手が、

誰よりも辛く悔しい思いをしているはずの選手本人が、



称えられている表彰席の自分よりも、長い時間待っている応援する仲間を気遣って、声をかけることができるというのは、

試合に勝利して優勝した人へのトロフィーよりも、もっと大きなトロフィーを与えたい気持ちになります。



武道を通して、立派な人間性を育んだという面においては、人物としては最優秀賞にふさわしいと感じています。



ちまにみ以下、私事ですが、


過去に、いくつかの苦い思い出があります。

キックボクシングの元世界チャンピオンであり、軽量級の体格ながら大道塾の無差別の王者にも輝いた経歴のある、行徳・中野支部の加藤支部長。

その加藤支部長が、現役のヨーロッパ地方のあるキックボクシング連盟のチャンピオンだった頃のお話です。

その加藤支部長が試合直前に怪我で出場ができなくなり、その代打としての指名を受け、ベルギーで当地のとある連盟のチャンピオンと代理試合をしたことがあります。

その当時の私は、現役の総本部職員ということで声をかけていただき、初めてのキックボクシングの試合を、いきなりヨーロッパの連盟のチャンピオンと行うということになりました。

その試合では試合途中で、相手の拳の怪我により試合が中断され、そのことで腹を立てて、リング上で怒りがこみあげて日本人のヒールを演じたこと。

試合開始早々、顔面に強烈な前蹴りと膝蹴り喰らい、口の中は血だらけで、顔を真っ赤にして、「この野郎!」とばかりにスロースターターの私が反撃に出ようとした矢先の、相手選手の手の怪我による試合中断の申告に、「殴られっぱなしでノコノコ日本に帰れるか!」的な感情があったように思います。

加藤支部長には、「落ち着いて!落ち着いて!」、「頼むから落ち着いてくれ!!」などと、リング上でなだめられる始末・・・



また別の、大道塾の対外試合の興行で、総合格闘技の選手に相手側のルールで初挑戦をした時の試合。

総合格闘技の対外試合は初挑戦であり、相手はその総合格闘技のランキングの一位にランクされているプロのトップ選手です。

私は北斗旗の体力別選手権大会で優勝とともに最優秀勝利者賞を獲得しており、相手側のルールとはいえども、お互いに団体のプライドをかけての一戦となりました。


当初は、まわりの予想を覆すように、相手の寝技を凌いで、打撃技を中心に試合を有利に進めていました。

いい調子で押していたものの、打撃では有利だったはずの私が、相手選手の不意のパンチをもらってワンダウン。

それが判定に響き、判定負けを喫したことで湧き上がった、自分に対する不甲斐なさへの大きな怒り。

リングを降りた後に、励ましてくれる応援の皆様をしり目に、鉄製の防火扉を拳で「ドカン!!」と大きな音を立てて思いっきり殴りつけ、セコンドや励ます周りの仲間を振り切って、一人別室へ。

そこで、おさまらない怒りを冷ますように大の字になり、一人で天井を見ながら寝転んでいたところへ、初めて、私の試合を見るために京都からわざわざやって来ていた私の母親が一人入ってきて、寂しそうに私を見つめる目がそこにあった。。。



さらに、1997年の秋、オランダから来た体の大きな外国人に、無差別の決勝戦で惨敗し、二年連続で団体外の選手にタイトルを奪われた日。

試合後に舞台を降りて、何とか東塾長には挨拶をすませることができましたが、その後は我を忘れ、周りの目があることも忘れ、悔し涙とともに会場の一室で、大声で一人号泣したあの日。

自分の人生が終わって、我が身が散ってしまったようにも感じたあの時は、応援する仲間のことも、相手選手のことも、観客のことも何もかもが吹き飛んで、見えなくなってしまっていたのは、29歳の終わり頃の時期でした。


現役選手の頃の私は、武道家としてはとても未熟でしたが、その後、武道家として生きる覚悟を決め、一人でも立派な武道家を育てる覚悟で今の人生を歩んでいます。



懸命に、実に懸命に強さを求める中で、

必死に、実に必死に努力を重ね、

我が身を見つめて、自分の心を立てて、人として恥ずかしくない人生を生きられるよう、今後の我が身をもって、大切な思いを伝えていきたいと思っていますが、、、


しかし今現在、いろいろな意味で、既に自分よりも立派な心を持ち、十分な実力を持つ人物が、今の道場には多く在籍しているような気がしている。


決して謙遜ではなく。


そんな中で私が為すべきことといえば、

皆さんの稽古場所、稽古環境を確保するために、今後も懸命に頑張るのみです。



大きく話が横道にそれましたが、本大会、とても良い大会だったと思います。

支部の皆さん、大会関係者の皆さん、ありがとうございました。






 
 
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