武の道へのこころざし

大道塾の横須賀・湘南支部の責任者が、日々の活動に関する出来事や想いを綴っていきます。

子供の心の許容範囲

2019年07月18日 | 子供の心


大人と同じように、子供の柔軟な心にも許容範囲があるのではないかな? というお話です。



親の前ではいつも駄々をこね、我がままを言い、親の言う事を素直に聞かない子供のしぐさにイライラされている親御さんは多いもの。

授業を真面目に受けていない子、集中力の無い子、直ぐにふざける子。

教師の話をきちんと話を聞いていないばかりに、何をしてよいか分からず、同じ間違いを繰り返してしまう。

いわゆる「問題のある」と表現される子供達。


親子で、兄弟で、そして友達同士で、どうしても我慢が効かずに、直ぐにイライラしたり、けんかをしたりして大人を困らせてしまう場面も多いかもしれませんが、しかし、それでも私は、子供達の心の許容範囲の広さに、正直に驚いているところがあります。

多くの子供達はそれぞれの生まれ育った環境の中で、必死な気持ちで、実に必死な気持ちで真剣に生きているのではないでしょうか。


一説では、「子供は親を選んで生まれてくるんだよ!」 なんて言うお話もありますが、現実的な解釈の中では、生まれてくる環境自体には子供たち自身には責任がないにもかかわらず、どの国のどのような家庭に、そしてどのような社会環境の中で生まれてくるかということは、その子の今後の人生環境に大きな影響を及ぼすもの。


裕福な家庭に生まれれば、金銭面での苦労は少ないまもしれませんが、恵まれない環境の中で育てば、欲しいものを得ることや、学習の機会さえ、その子に与えられるものには大きな差が生まれるのが現実です。

優しくて思いやりのある人たちに囲まれて育てば、心地いい幼少期を過ごせるでしょうが、過度に、そして理不尽に厳しい親の元では、激しい葛藤の中で、とても多くの事で悩み、苦しみ、その子の表情の中には厳しさが刻み込まれるか、はたまた人を信じることができずに、面を上げて生きてくことが難しくなってくるかもしれません。



子供はもともと 「子供らしさ」 という大きな武器を持って、どの家庭でも逞しく生きています。不機嫌な親の愚痴や、教育に厳しい親の元でも、すきを見ては子供らしさを表に表出しようと、楽しい事、面白い事、興味の持てる者に心を奪われ、社会の中で為すべきことに集中できないこともあります。しかしこうした ”為すべきこと” とは、親や教師など周りの大人から子供たちに求められる物事であり、必ずしも子供が好きで、自分の意志で取り組んでいるものではない場合も多くあるもの。子供が自分の意志で取り組み、夢中になる場合は、ほっておいても、何を先においても自分から進んで取り組むことでしょう。


たとえ、子供が自分の口で 「何々をやりたい!」 といったからと言って、その発言は、大人が宣言するものとは異なり、まだまだ世の中のいろいろなものが、また自分自身が全く分かっていない、未熟な子供が発した言葉であり、その言葉に全責任をかぶせてしまうのは、時と場合によっては、子供の心に傷をつけてしまう場合があるようにも感じています。


一方で、子供の教育はとても重要だと思います。私は娘が幼稚園に通うようになり、その後小学校に通い始め、その間のこどもの様子を継続的に観察をしていますが、教育のすばらしさ、特に日本の公教育のすばらしさに、改めて開眼したような思いで見ています。


しかし、その子供たちに接する周りの大人たちの中には、「子供の心が擦り切れてしまうのではないか・・」 と、とても心配になる事象がテレビのニュースを見ていても、また普段の日常の生活の中でも、所々で垣間見えてしまうのが残念なところです。


理不尽な言葉や要求が長く続けば、ついには子供の心は離れてしまいます。


いくら子供の事を考えた行動だとしても、子供の本人の気持ちを考えず、親の一方的な押し付けになっていたとすれば、柔軟な子供の心であっても、限界を超えた時には、子供の心は離れていってしまいます。


年齢や成長に応じて、子供との距離感を考えつつ、適切な接し方をしていれば、子供は子供らしく成長し、親への信頼感も増し、自分を活かせる自分の人生を、自分自身の力で築いていけるのではないかと思います。


”親の期待” というものも必要かもしれませんが、”親の期待に応える” ということが必ずしもその子にとっての、”最善” であるかどうかは、考え物です。

「こうこう、こうやって、こうなってほしい!」 というあまりに具体的な親の期待が、子供の心に大きな負担を掛け、その後の成長に大きな障害になる事も考えられます。



ここで言いたいことは、「子供たちの心の包容力を時には見習いたい」という事と、「大人自身の理不尽な言葉や態度を常に反省してみる心の余裕の大切さ」、そしてそんな「柔軟で大きな心の包容力を持つ、子供たちの心の大きさに対する期待と共に感謝の気持ちを持ちたい」 という事です。


子供を散々に叱った後でも、あどけない表情で話しかけてくれる子供の笑顔に、救われるような思いをすることもあるでしょう。


多少の大人のイライラや愚痴、多少の理不尽な発言さえ、子供の心が包み込んでくれて、大人が笑顔を向ければ、実に無垢で、心のこもった笑顔を向けてくれるものです。




子供達の柔軟で包容力のある心を大切にしていれば、子供たちは、子供らしさの表出を堂々と行うもの。

そういう意味では、わが道場の幼年部や少年部のクラスは、少々甘いところがあるかもしれませんが、子供らしさを失わずに、それでも懸命に、そして何よりも、みなほとんど休まずに稽古に出席しており、本当によく頑張っていると思います。

(この当たりは保護の方々の理解の賜物でもあり、とても感謝したいところです。)


子供達の何よりの宝は、その笑顔、その表情です。


時には懸命な表情で、踏ん張りの利く努力の中で、それでも、いつも自然ないい笑顔があふれる道場でありたいものです。






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