田老漁協のすぐ前には東洋一と言われた防波堤が3.11の津波にびくともせつずあります。
漁協の鉄筋コンクリートの建物は津浪にあい浸水したもの二階以上は何事無かったように今でも事務所などとして使われいます。 津浪にあったあの日にここで働き防波堤に上り津浪の写真を撮った職員から話を聞く事ができました。 地震直後に海の様子見に防波堤に上がるのはある意味当然と思えました。 それは壁のように立ちはだかった防波堤が遮りビルの三階まで上がらないと見られ無いからです。
津浪の一波は通常の高浪とかわらないのように見もえたようです。それが二浪になるとそれが凄まじいいき良いで迫ってきたようです。
事務所にいる職員には防波堤に遮られた津浪は見られず避難を呼びかけても応じる気配も見られず迫りくる津浪に追われるように職員を急き立て高台へ逃げて難を逃れたようです。
そこには自身の自宅も含め木造の建物はすべてが津浪に押し流されてしまった恐怖を語る姿がありました。
この漁協の建物は良く残ったと感心しました。それは内部には津浪で浸水した以外は目立った被害が無かったからでした。
田老地区はわかめの養殖で成り立ってきた地域になり多くの船が流され復興の途中にあるようです。 流された船をすべて揃えるのには時間がかかり残った船と新造船、中古船を共同所有し復興に繋げているようです。
当面の問題は鮭の回ゆうなそうです。昨年、今年と回ゆうが少なく漁が成り立たないと話していました。 確かに鮭もそうだけどいくらも高くてとても買えるような値段では無かったでした。
最も深刻なのは2015年問題なそうです。それは鮭は回ゆう魚で稚魚の放流が震災の影響で極端に少なくなり先行きに不安があるようです。
悪い話しばかりでは無く真崎わかめが高級ブランドとして認められつつあり年明けには東京のデバートの店頭に並ぶようです。
ついしん
漁協の前には組合長山本徳太郎さんの胸像も津浪に流されずに健気に鎮座していました。(合掌)