前回のつづきです。
11月下旬。
サマンサさんの教室の後、周南の社会福祉協議会で行われている、リス会さんの写真洗浄会にお邪魔してきました。
そして代表のDさんにお会いしたのですが、あれ?。なんだかどこかでお会いしたような印象が・・。
新聞にでていたDさんのご住所が我が家から近かったので、「ひょっとして○○公園によく行かれていますか?」とお聞きすると、Dさんのほうから、
「行きます!。ひょっとしてMちゃんたちのお母さんですか!?」
と、言ってくださいました。
休日に主人がよく子どもたちと行く公園に、Dさんもお子さんとよく行かれていて、パパと子どもたちは顔見知りでした。
(実は、私はこの頃全然一緒に公園に行ってなくて、Dさんとお会いする機会がなかったのです。涙。)
こんなに近くで、写真にたずさわる被災地支援活動をしていた方がいたなんて、本当にびっくりでした!!。
緊張もとけて、いろいろDさんに質問させていただきました。
そして、実際に陸前高田市から送られてきたアルバムや作業の様子を見せていただきました。
こちらが作業の様子。
写真をアルバムの台紙からはがしているところです。
この日は山口県内だけでなく、広島や、遠くは熊本からボランティアの方がいらっしゃっていました。
そして、できるだけアルバムの束をくずさないように、ダンボールにわけていれられ、たくさんの写真が処理を待っていました。
個人情報ですので、写真のUPの画像を撮るのは差し控えていますが、震災から8カ月。
はっきり言って、想像以上に写真の痛みがすすんでいました。
やはり流されて海水につかってしまっているので、写真がまるでやすりを全体にかけたように白く変色し、写真が半分以上消えてしまっていました。
アルバムの台紙から写真をはがす際に、細心の注意を払うのはもちろんですが、洗浄の際にわずかに残ったカラーの部分がさらにはげてしまうおそれがあるので、傷みのひどい写真は洗う前やはがす前に、一枚一枚スキャナーで取りこんでおられました。
そうして、アルバムから丁寧にはがされた写真は、洗われて干されて
ポケットアルバムに入れられて、
その家族の様子がわかる写真を表紙に貼り、写真に載っていた日付や名前など、その家族の手がかりとなる情報も丁寧に書き出して貼って、写真をさがしにいらっしゃった方が見つけやすいように工夫されておられました。
そのポケットアルバムに、被災したアルバムの中に写真と一緒に保管してあった手紙なども一緒に入れてあって、文章が目に入ってしまったのですが、
小さい赤ちゃんの写真と一緒に、その赤ちゃんのママ=娘さんからでしょうか・・
「こんなに大きくなりました。次は抱っこしてやってね」的な手紙が添えてありました。
このアルバムの持ち主は、お元気なのだろうか。
写真に写っておられる家族は、今はどうされているのだろう・・・。
そう思うと、胸がしめつけられるようで、涙がでました。
写真の劣化が進んでいくので、時間との戦いでどんどん処理していかないといけないのですが、こうしたひとつひとつの思い出を大切に、とてもとても時間がかけての作業なのだということがよくわかりました。
11月末の時点で処理が終わったものはこちらだそうです。
実際に現場を見て、自分の考えの甘さを痛感しました。
6インチの台紙を送るにしても、必死で作業をされているみなさんの手をとにかくわずらわせてはいけないと思いました。
Dさんから、アルバムをはがして洗浄し、ポケットアルバムにするまでの作業を手伝ってくれる人(短時間でなく、まる1日。できたら継続して参加できる方。)がまだまだ欲しいのだとお聞きしました。
そして、本当にいろんなことを考えながら、帰路につきました。
もう1回つづきます。
11月下旬。
サマンサさんの教室の後、周南の社会福祉協議会で行われている、リス会さんの写真洗浄会にお邪魔してきました。
そして代表のDさんにお会いしたのですが、あれ?。なんだかどこかでお会いしたような印象が・・。
新聞にでていたDさんのご住所が我が家から近かったので、「ひょっとして○○公園によく行かれていますか?」とお聞きすると、Dさんのほうから、
「行きます!。ひょっとしてMちゃんたちのお母さんですか!?」
と、言ってくださいました。
休日に主人がよく子どもたちと行く公園に、Dさんもお子さんとよく行かれていて、パパと子どもたちは顔見知りでした。
(実は、私はこの頃全然一緒に公園に行ってなくて、Dさんとお会いする機会がなかったのです。涙。)
こんなに近くで、写真にたずさわる被災地支援活動をしていた方がいたなんて、本当にびっくりでした!!。
緊張もとけて、いろいろDさんに質問させていただきました。
そして、実際に陸前高田市から送られてきたアルバムや作業の様子を見せていただきました。
こちらが作業の様子。
写真をアルバムの台紙からはがしているところです。
この日は山口県内だけでなく、広島や、遠くは熊本からボランティアの方がいらっしゃっていました。
そして、できるだけアルバムの束をくずさないように、ダンボールにわけていれられ、たくさんの写真が処理を待っていました。
個人情報ですので、写真のUPの画像を撮るのは差し控えていますが、震災から8カ月。
はっきり言って、想像以上に写真の痛みがすすんでいました。
やはり流されて海水につかってしまっているので、写真がまるでやすりを全体にかけたように白く変色し、写真が半分以上消えてしまっていました。
アルバムの台紙から写真をはがす際に、細心の注意を払うのはもちろんですが、洗浄の際にわずかに残ったカラーの部分がさらにはげてしまうおそれがあるので、傷みのひどい写真は洗う前やはがす前に、一枚一枚スキャナーで取りこんでおられました。
そうして、アルバムから丁寧にはがされた写真は、洗われて干されて
ポケットアルバムに入れられて、
その家族の様子がわかる写真を表紙に貼り、写真に載っていた日付や名前など、その家族の手がかりとなる情報も丁寧に書き出して貼って、写真をさがしにいらっしゃった方が見つけやすいように工夫されておられました。
そのポケットアルバムに、被災したアルバムの中に写真と一緒に保管してあった手紙なども一緒に入れてあって、文章が目に入ってしまったのですが、
小さい赤ちゃんの写真と一緒に、その赤ちゃんのママ=娘さんからでしょうか・・
「こんなに大きくなりました。次は抱っこしてやってね」的な手紙が添えてありました。
このアルバムの持ち主は、お元気なのだろうか。
写真に写っておられる家族は、今はどうされているのだろう・・・。
そう思うと、胸がしめつけられるようで、涙がでました。
写真の劣化が進んでいくので、時間との戦いでどんどん処理していかないといけないのですが、こうしたひとつひとつの思い出を大切に、とてもとても時間がかけての作業なのだということがよくわかりました。
11月末の時点で処理が終わったものはこちらだそうです。
実際に現場を見て、自分の考えの甘さを痛感しました。
6インチの台紙を送るにしても、必死で作業をされているみなさんの手をとにかくわずらわせてはいけないと思いました。
Dさんから、アルバムをはがして洗浄し、ポケットアルバムにするまでの作業を手伝ってくれる人(短時間でなく、まる1日。できたら継続して参加できる方。)がまだまだ欲しいのだとお聞きしました。
そして、本当にいろんなことを考えながら、帰路につきました。
もう1回つづきます。