京都の冬の特別公開行ってまいりました
今回は初公開も多かったしね
まずは平等寺へ。

こちら、京都の方には『因幡堂』と言わなければわからないかも…
四条烏丸から歩いていける場所…ようは京都でも中心部にあるこのお堂。
なんでお堂かとか色々あるわけですよ。
平安京は桓武天皇の意向に従い、都の中にお寺を作れなかったのです。
それは平城京時代、南都の力が強すぎたってのがありまして。新しい都では寺を近くに置かないぜって気持ちで遷都したからなんですね~
東寺・西寺は例外でしたが(その前からあったから)それ以外建立は認められていなかったから、ここは“因幡堂”なんです。
平安末期、高倉天皇により“平等寺”って名前が与えられましたが、一般的には因幡堂なんですよ。
ちなみにおまけ話。
ここが古くからあったってのは、三十三間堂の伝承にも繋がるんですよ。
後白河法皇の頭痛は、夢のお告げでこの御堂に参拝して原因がわかり、前世と告げられた髑髏を三十三間堂の千手観音の中に祀ったら治ったって話があるんです。
この御堂の存在の大きさが伝わる伝承ですよね

これが本堂。まずは本堂へお参り。
中にはこの因幡堂の祖になる橘行平像が。
この因幡堂の由来は、因幡国司だった行平が帰京が近づいたところ重い病にかかってしまい、そんな中夢に現れた僧に「因幡の浦に尊い木が流れ着いているからそれを引き上げてみなよ」と言われて行ったところ、薬師如来像が
引き上げて祀ったところ病気も治り、行平は「いつか京都に迎えるから」と約束して帰京します。そのまま日が過ぎていき、4/7の夜、戸を叩く音が。戸を開けるとそこには因幡からやってきた薬師如来が
行平もびっくり
高辻烏丸の屋敷に祀ったってのが由来です。
そしてこの、因幡からいらっしゃった薬師さんってのが今回の特別公開
これ、京都の方でも見た事ないって人が多いんですよ。だから地元客多し
自分が行った時もいた
この如来像は本堂ではなく別建物なんですが、頭巾をかぶった等身大の立像の如来さんでした。
頭巾をかぶったのは当初からではなく厄災避難用。
京都ですしね、応仁の乱では都中火につつまれましたから
まぁだいたいどこの寺でもなんですが、住職さんがまず助けるのが本尊。
ここもそのおかげでこの本尊は助かったんですが、そんな避難のなごりなのか…いつしか頭巾をかぶっていたと。
避難させやすい工夫もされていて、ちょっと細かい細工は面白かったです
ここ、薬師如来以外も結構見どころ多いですよ
本堂内の十二神将もめっさ良かった(ただしちょっと暗いので自分の干支探すのは大変
)ですし、あと、平家物語で有名な小督の局の縁の品があるんですよ
小督の局とは、高倉天皇との悲恋で能などで有名。高倉天皇の寵愛を受けた人なんですが、清盛の娘徳子(建礼門院)からその寵愛を奪った(元は娘が亡くなって悲しんでる天皇に徳子が紹介した子なんですけどね
)って事で清盛に嫌われ、その後清閑寺で無理やり出家させられてしまう悲しいお姫さんなんです。
そんな清閑寺からの伝来ってことで小督の髪を編み込んだ光明真言の軸や琴なんかも今回は公開されています。
この軸は本当にすごかった…一部裏側が見えるようにしてくれてあるから髪ってわかるんだもの
保存も良かった(通常非公開)んだろうねぇ~ってわかる勢いで綺麗だし
これは大河が清盛でもありますし、興味あるならマジで見応えあります
他にも色々あるので、この公開は本当におススメ。行けて良かったぁ

今回は初公開も多かったしね

まずは平等寺へ。

こちら、京都の方には『因幡堂』と言わなければわからないかも…
四条烏丸から歩いていける場所…ようは京都でも中心部にあるこのお堂。
なんでお堂かとか色々あるわけですよ。
平安京は桓武天皇の意向に従い、都の中にお寺を作れなかったのです。
それは平城京時代、南都の力が強すぎたってのがありまして。新しい都では寺を近くに置かないぜって気持ちで遷都したからなんですね~
東寺・西寺は例外でしたが(その前からあったから)それ以外建立は認められていなかったから、ここは“因幡堂”なんです。
平安末期、高倉天皇により“平等寺”って名前が与えられましたが、一般的には因幡堂なんですよ。
ちなみにおまけ話。
ここが古くからあったってのは、三十三間堂の伝承にも繋がるんですよ。
後白河法皇の頭痛は、夢のお告げでこの御堂に参拝して原因がわかり、前世と告げられた髑髏を三十三間堂の千手観音の中に祀ったら治ったって話があるんです。
この御堂の存在の大きさが伝わる伝承ですよね


これが本堂。まずは本堂へお参り。
中にはこの因幡堂の祖になる橘行平像が。
この因幡堂の由来は、因幡国司だった行平が帰京が近づいたところ重い病にかかってしまい、そんな中夢に現れた僧に「因幡の浦に尊い木が流れ着いているからそれを引き上げてみなよ」と言われて行ったところ、薬師如来像が



そしてこの、因幡からいらっしゃった薬師さんってのが今回の特別公開

これ、京都の方でも見た事ないって人が多いんですよ。だから地元客多し


この如来像は本堂ではなく別建物なんですが、頭巾をかぶった等身大の立像の如来さんでした。
頭巾をかぶったのは当初からではなく厄災避難用。
京都ですしね、応仁の乱では都中火につつまれましたから

まぁだいたいどこの寺でもなんですが、住職さんがまず助けるのが本尊。
ここもそのおかげでこの本尊は助かったんですが、そんな避難のなごりなのか…いつしか頭巾をかぶっていたと。
避難させやすい工夫もされていて、ちょっと細かい細工は面白かったです

ここ、薬師如来以外も結構見どころ多いですよ

本堂内の十二神将もめっさ良かった(ただしちょっと暗いので自分の干支探すのは大変


小督の局とは、高倉天皇との悲恋で能などで有名。高倉天皇の寵愛を受けた人なんですが、清盛の娘徳子(建礼門院)からその寵愛を奪った(元は娘が亡くなって悲しんでる天皇に徳子が紹介した子なんですけどね

そんな清閑寺からの伝来ってことで小督の髪を編み込んだ光明真言の軸や琴なんかも今回は公開されています。
この軸は本当にすごかった…一部裏側が見えるようにしてくれてあるから髪ってわかるんだもの

保存も良かった(通常非公開)んだろうねぇ~ってわかる勢いで綺麗だし

これは大河が清盛でもありますし、興味あるならマジで見応えあります

他にも色々あるので、この公開は本当におススメ。行けて良かったぁ
