当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

寂光院

2011年06月28日 | 日記
大原にもうめっさめさ久しぶりに行ってきました。
たぶん前に行ったのから10年以上経ってる

朝一の大原行きのに乗り、まずは寂光院へ。
…が、ちょっと早すぎでまだ開いていない
9時から拝観okなんですけど、が順調だと8時半くらいには大原に着いてしまうんですよ
そんなわけでちょっとの時間つぶしを兼ねて、先に隣にある寂光院縁の建礼門院さんのお墓参りに。

この階段をあがった先に墓所があります。

宮内庁が関わっているので墓所は基本タイプ。ちなみにこの後ろの林の裏に寂光院があります。

建礼門院は本名平徳子。平清盛の娘で高倉天皇の中宮、平家滅亡の壇ノ浦合戦で幼くして亡くなった安徳天皇の実母になります。
壇ノ浦で平家の負け戦が決定的となると、安徳天皇と母時子と一緒に入水をはかりますが、源氏の手の者に助け出され、京へ連れ戻された後出家、源氏の監視の下で、大原にて平家一門の菩提を弔って一生を終えています。
『平家物語』の最後も建礼門院の話となっていて、寂光院へやってきた後白河法皇に建礼門院がその人生を語るというくだりになっています。

9時になったので寂光院へ。

前日までの雨で新緑が綺麗

寂光院は2000年に放火され、本堂が全焼するという被害にあったお寺です。

門の奥に見えるのが2005年に再建された本堂。
新しいですが、以前の資料がたくさん残っていた状態での再建のため、以前のものを忠実に再現することができています。
中の本尊である六万体地蔵菩薩は、地蔵菩薩さまの体内に3千もの小さな仏像を納めてあったことからついた名。
現在の菩薩様はもちろん新しく作られたものですが、本堂同様に外見は忠実に再現されています。
色彩は作られた当初の色を再現していて、とっても鮮やかな色をしていらっしゃいますが、本堂も新しいから違和感はないです
ちなみに放火で燃えた際、体内仏はかなりの数が助かったため、現在は宝物館にてその仏像を見ることができます。

庭にある汀の池と千年姫小松。

千年姫小松は、火災により傷んでしまってこんなお姿に
現在はご神木となっていて、位を与えられている枠組みがされていました


平家物語といえば…の『諸行無常』の鐘楼。


太閤の雪見灯篭。
寂光院は淀君が片桐に再興させた寺でもあるので、秀吉縁の灯篭が庭に納められています。


四方正面の池。どっから見ても正面だよって意味の庭です。
奥~に滝があるんですよ、写真じゃ見えずらいけどその水音がまた、この庭の静けさを演出しています

最後に横にある孤雲の茶室へ。

中に入れるわけではないので池越しに眺めるだけですが
この茶室は京都御所での昭和天皇の即位に使われた資材を寂光院が下賜って作った茶室だそうで。
名前の由来は平家物語の建礼門院が障子に貼り付けていた侘しさをうたった歌の一節からつけられた名です。

こじんまりとしたお寺で、平家物語のくだりを知っていると、なんだか余計にもの悲しさが倍増させられるお寺です。

来年の大河は清盛
また大原も盛り上がるんでしょうが、このお寺はあんまガチャガチャした混み方してほしくないなぁ…が本音
やっぱあの風情を味わってこそのお寺だと思うので
ま、大河とかで盛り上がると、それなりの拝観サービスっての?特別公開とかあるから、なんかやりそうで気にはなるけどね

光秀の首塚

2011年06月26日 | 日記
京都の光秀の首塚にも行ってきました。

知恩院の近く、白川沿いにあるお菓子屋さん『餅寅』さんの横の細道を入って行くとあります。


ちなみにこれが餅寅さん。
もう夕方だったので閉まってました
餅寅さんは代々、この首塚を守ってくれているお家。
お菓子も光秀饅頭なるものがあるのですが…欲しかった
桔梗紋の入ったお饅頭です。
ま、場所もっちゃんとわかったから、またそのうち行けばいいんだけどね。

光秀の首塚は小さなお堂で本当にひっそりとあります。
こんなところに何故首塚があるのかと言うと、小栗栖の竹藪で残党狩りにあって致命傷を負った光秀が、そこで自刃し、首を家臣に持ち帰らせたんだとか…でも知恩院近くまで来た時夜があけてしまい、仕方なくこの地に埋葬したとのこと。ま、他にも説はあるようですが
ちなみに小栗栖に胴塚があります。さすがにそっちまでは今回行ってません


真ん中の光秀公の名が入った提灯、これはお堂に近づくと点灯します。
お賽銭は、戸の内側の箱(写真の赤紐の後ろに写っている箱)に手をのばして入れます。
この手入れる場所が小さいのに賽銭箱の口がちょい奥…
荒らされるのかなぁ?
お賽銭入れている自分が荒らしているみたいでなんかドギマギしましたが


横にあった石碑。
1903年に七代目市川団蔵によって建立されたもので『長存寺殿明窓玄智大禅定門』と記されています。
『時今也桔梗旗揚』(通称『馬盥の光秀』)と言う歌舞伎の演目で、光秀役をやった縁からです。
この演目は信長(演目内では春永)に恥辱を受けて復讐に走るという話なんですよ


お堂の向かいにある五重塔。1845の銘があります。

興味がある方はぜひ行ってみてください。
そして光秀饅頭を…
次こそは買うぞーっ

坂本城

2011年06月23日 | 日記
PCが壊れて修理に出してました~
直ってよかったけど、データー全部消えちゃったんだよなぁ…入れ直しだ

んで話戻しまして。

光秀の命日、西教寺に行く前に坂本城址に寄って行きました。
駅よりも琵琶湖側だから今まで行ったことなくて
もちろん何も残っているわけではありませんが、それでもやっぱり一度は行っておきたかったんで

坂本城は、光秀のお城。
比叡山の焼き討ちの後、坂本の地は光秀が治めることになり、京都と比叡山の監視という名目でここに城を築きました。
宣教師ルイス・フロイスの『日本史』にも、信長の安土城につぐ名城として記載されていて、琵琶湖に浮かぶ水城でした。
連結式天守だったのでは?と言われています。

現在の坂本城にあるもの…というか見れるもの。
それは…

妙にがっしりな体つきの光秀さま(笑)

そして坂本城から見えたであろう琵琶湖の景色。


一部石垣の遺構も見れます。
2~3段だけのわずかなものですが、一応湖面際のあたりに残っています
琵琶湖が渇水すると、湖中の石垣が現れるのですが、基本見れませんま、仕方ないわな

この日は、たぶん明智光秀公顕彰会の方だったんじゃないかな?10名くらいのものすごい熱心さが伝わる観光集団がいらっしゃいました
ガイドさん役やってるおじさんの話がめっさ気になったけど、さすがに遠くから聞き耳ちょこちょこたてるくらいしかできなかった…

そのあとは近くの東南寺へ。
東南寺の入り口のあたりには石碑もあります。

ここは坂本城の二の丸跡だったとのこと。


別に拝観とかは特別やっていません。
門をくぐると、多数の石仏がありますが、これは坂本城が落城した際の戦死者の首塚だそうです。


坂本城址に行かれるなら、ほんと近くなのでついでに立ち寄ってみるのもいいかと。
簡単にですが、西教寺に出向く前にお参りさせていただきました

買い物♪

2011年06月18日 | 日記
御殿場のアウトレットに久しぶりに行ってきました

天気はなかなか最悪でしたけどね~

でもかなりお買い得ゲット
アズのタイムセールにも行けたし

今回衝撃だったのは、バーバリーの財布。
…結局気に入った色の好きな形が品切れだったので買わなかったけど、70%OFFで5千円代だった
アウトレットがセールだったから他にも色々お買い得ありましたが、これに関してはマンガのように振り返っちゃった(笑)

ついつい夏物買っちゃったし、あとはV6さんのコンチケ取れて、こいつらを着る機会が増えることを祈る限りだわ(^。^;)

お墓詣りしてきた!

2011年06月17日 | 日記
光秀の命日である6/14、せっかくなんで菩提寺である西教寺に行ってきました。

坂本の駅を降りたら、西教寺で明智光秀公顕彰会の追善法要の案内看板が…
参加できたらしたいなぁ…思いながら西教寺へ



新緑が綺麗

…が、人が全然いない…
たしかに平日だし紅葉でもないけど…まぁそんなもんなんですかねぇ

まずはお墓詣りへ。
さすがに中に入ったらお墓詣りに来ている人がちらほらいてだいぶほっとしました


お墓詣りも済み、追善法要に一般参加ができるかを確認しに会館の方へ…

受付に一般の文字がある?
ってことは行ける

聞いてみたらokとのこと。
しかも参加費400円。拝観料ですか?ってお値段にびっくり。
内容は、追善法要・顕彰会の総会・記念講演が2本。
これで400円はやっぱり親切な気します

受付で資料をいただき、顕彰会の記念誌を購入。

20周年はすごいよなぁ…
記念誌は会報の総集編なんですが、西教寺の方や土岐一族の方などなど…光秀に縁がある皆さんが語る、自分たちの情報がてんこ盛りになっていて、内容めちゃめちゃ濃い
自分がまったく知らなかった情報も多くて、余計に光秀への興味がわいてしまいました

法要が始まるとのことで本堂へ移動。

会員以外にも、今年は自分のような一般参加が結構多かったらしく、本堂にはぎっしりの人
祭壇には光秀と熙子夫人の木造が置かれていて、花や供物をささげた後、10人くらい?のお坊さんたちによる読経になりました。
テレビも入ってたので、地元では放送あったのかな?
御焼香もさせていただき、参加できてなんだか嬉しかったです

近くに座られた会員の方々にとっても親切にしていただき、色々お話も聞かせていただけて楽しかった

もちろんその後の総会なども参加。…というか、せっかくなんだからと声をかけていただき、仲間に入れていただけたの

ちょっと時間の問題上、講演は1本しか聞けなかったんですが、興味深かったですね~
もう1本の講演、本当に聞きたかった

ホント、顕彰会の皆さんの歴史の知識の多さに驚かされた日でした
とりあえず、あの冊子ガッツリ読んで、自分も勉強しよっと

6月14日

2011年06月14日 | 日記
今日は明智光秀公の命日。

山崎の戦いに敗れた後、敗走中、竹藪で落武者狩りにあい、それで亡くなった、もしくはその後家臣に首を打たせて亡くなったと言われています。

本能寺の変から11日後のことです。

今日は供養イベントも多い。
なわけで今からお墓参りに行く予定


そしてさらに明日は弘法さんの誕生日。
こっちはめでたい話ね
東寺などでもお祝いやりますよ。行ける方はぜひ

一乗谷

2011年06月11日 | 日記
一乗谷朝倉氏遺跡。

その名の通り、信長に滅ぼされた、越前を支配していた朝倉氏が一乗谷に築いた城下町跡です。
一乗谷は、応仁の乱の後、京から逃げた人たちがここに移り住んだ為、北ノ京とも呼ばれたほど発展した地。
朝倉氏により山間に整備された武士の住居町を作っていましたが、朝倉義景が一乗谷城の戦いで信長に敗れ、町は根こそぎ焼かれ、ほとんどの場所がそのまま放置されました。

ま、そのおかげで、実は遺跡が残ったんです。
もちろん建物などはすべて燃えましたが、石や土塁は残るわけですよ。火が相手なら。
家の跡だったり庭の跡だったりが発見され、それがまた規模が大きいってことで注目の遺跡なんです。現在も発掘調査が進んでいます。

一乗谷朝倉氏遺跡は、その周囲一帯が遺跡なんですが、一部に復元の街並みが整備されていて、そこだけは有料。
入ると土壁で通りができています。



住居や店が数軒分復元されています。
中はちょっとした展示や…好きな方なら貸衣装の写真屋さんなどがありました。
…が、まぁ復元は一部なので、基本的には発掘調査によってわかった建物の土台などを確認できるようになっています。


この東側の山のふもと(復元街並みから川はさんで向かい側)は、朝倉家の住居があったとされる場所で、石で組まれた庭園跡などが、綺麗に残されていました。


義景の側室、小少将の館、諏訪館跡の庭園。

庭の様がしっかり残っていることに本当に驚きです
朝倉氏の雅さがわかる豪華な庭だと思いましたね~
だって、この規模の庭を眺める建物が、ちゃっちいわけないもの
しかも側室の館跡なのにさ…

朝倉館跡。当主の館跡がここになります。

この唐門は、もちろん朝倉氏の遺構ではありませんが、義景の菩提を弔う為に松雲院に建てられたものらしいです。

中は、他のところよりもやっぱり発掘調査が進んでいるらしく、館跡の整備が細かくなされていました。
庭にあたるところ付近は(↑写真の手前に本当はあります)、現在調査中でビニールシートが張られていたりしました
この館跡には義景のお墓(首塚)もあります。



この館跡の裏山っての?あがると、湯殿跡庭園があります。

ここも見事に庭石が残っています。
諏訪館よりも石は小さいかな?ただ規模はこっちのが大きいと思う…

さらにその横には中の御殿跡が。

義景の実母光徳院の館の跡です。
ここが一番こじんまりしていた?かな???
このさらに横に諏訪館があります。ちょっと見る順番間違えた

そして上には英林塚などがあって、そこから山を登ると、頂上の辺りに一乗谷城の土塁などが残っています。
…がさすがにそれは断念登山しにきたわけじゃなかったからねぇ

他にも周囲には遺跡跡がやたら広がっています
あの規模で発掘は本当にすごいことだと思う
考古学に興味ある人だったら、あの規模は感激ものじゃないのかなぁ…。
せっかくあんだけの範囲で調べられるものが残っているので、さらなる発掘調査を期待します

やっぱり気になる!

2011年06月09日 | 日記
AKB総選挙、いや~今回も熱かったですね

まぁ投票したわけでもありませんが、とりあえずお気に入りメンバー、こじはる・麻里子・たかみながしっかりメディア選抜に残っていてくれて良かった
安パイではある人たちだけど、やっぱりちょっと不安じゃん、この制度だと
才加も選抜入りだし、嬉しい

…そして。

あっちゃん返り咲きおめでとー

優子も好きだけど、個人的にはあっちゃんがトップのがしっくりなの

しかし3位の柏木と優子の票差がすでに5万近い…
さらにそこから1万以上の差つけてあっちゃん…
4・5位の麻里子とまゆゆの合計票より優子単体のがすでに多いって…熱すぎるよ、トップ2のファン

とりあえず皆様お疲れ様でした



写楽展

2011年06月07日 | 日記
東京国立博物館の『写楽展』へ行ってきました。

6/12までだったから滑り込みって感じです

いや~さすが国立て感じでしたね。
集め方がハンパない

版画なので、何回も刷られているし、色付けだって変ってしまうのは当然なんですが、そうはわかっていても、研究でもしてなきゃ1枚1枚の違いなんてわからないじゃないですか。
それを、2枚並べて、刷った回によっての違いを見比べるって展示があったんですよ。
初めての経験
しかも片方は重要文化財クラス(笑)
もう1枚だってすごいのに、なぜか一瞬大したことないように思ってしまう、ダメな感覚マジック
ま、だからって重文のが必ず良しともいいませんが、本当に色が違って面白かったです
単純に濃さの違いもあれば、まったく違う色の場合もありましたしね~
あんなに違うもんなんだなぁ…

そして、とりあえず世界中から集めてきているので、基本的に同じ絵が何枚も散らばって展示されているんですよ。
最初の頃はわからなかった役者の特徴とか物語の役の特徴とかが、後半になるとわかってきて、また見方が変わって面白い。
歌舞伎の物語の説明とかもあったんで、歌舞伎のちょっとした勉強にもなりましたしね

いや~あんなにたっぷり写楽みたの初めてで凄かったです。
個人的には…やっぱり写楽は大首絵の頃のが勢いあって好きかな。
写楽の活動はたかだか10ヶ月ですが、だんだん絵がうまくなってきて癖が減っていくんですよねぇ…成長が必ずしもイイわけではないなんて、こういう芸術の世界は難しいもんですよね

写楽以外にも、もちろん喜多川歌磨とか、蔦重プロデュース組のものもありましたよ
歌磨の美人画は何時見ても本当に美人だわ


そして舞台の『写楽』を思い出してみたり…つい、堤さんがやった『写楽』もう1度観たくなっちゃった

丸岡城

2011年06月05日 | 日記
また旅ネタに戻りま~す

愛する丸岡城へ再び行ってまいりました

高速1000円。いくら乗り鉄さんでもで行けない場所がありますから。
そういう場所は1000円の内にってね。
GWは酷使させすぎたなぁ~今更だけど(笑)

丸岡城は以前も行ったことはありますが、もう本当に個人的にツボ全開な城なんです
なんつうか…簡素かつ実がある完璧フォルム
現存天守12城は弘前以外は行きましたが、国宝4城は別格として、それ以外なら一番好きな城なんですよ
ちなみに現存天守は弘前・犬山・松本・丸岡・彦根・姫路・松江・備中松山・高知・丸亀・松山・宇和島。
丸岡城は最古の城かも?と言われている城で、犬山城とどちいが古いか意見が分かれている城なんですね~
まぁそんな丸岡城がなぜ国宝じゃないかって、昔は国宝だったんですよ。入口には『国宝 霞ケ城』の碑が残っているくらい。
霞ケ城は丸岡城の別名。岩村もそうだけど、理由も似てます。合戦時に大蛇が現れて霞を吹いたってのが由来なんで。昔の人には、霞には蛇がつきものなんですかねぇ。
ま、でも戦後に制度が変わって、重要文化財区分が出来て重文になっちゃんったんですね~
格落ちとも言われかねませんが…ま、戦後すぐに起きた福井地震で一度崩れて建て直ししたってのもありますので(もちろん元の木材使ってますが)、評価だけの問題か、格落ちかは個人的にはわかりませんけど

丸岡城は柴田勝家の甥勝豊の城。
勝豊は後に長浜城城主となり、秀吉側に寝返っています。まぁそうなる原因は色々あったんですがね…
その為か、あまり有名…というか人気武将ではないかな?
城の造りとしては、さすが柴田な簡素でも地域柄をふまえた堅固な城なのです


それにしても以前行った時と比べて客が多い
まぁ時期もあるとは思いますが…やっぱりこれは大河効果かなぁ?勝家の城じゃなくても、福井にある”柴田”の城だしねぇ…


石落しにしろ欄干にしろ、木で出来ているのも素朴でいいんですよね~


内部の階段はとんでもなく急。
現存天守は基本的に急なんですが、その中でもすごいと思う…
広さもあるのかなぁ?狭い中の階段だしね横も後ろも壁だし


天守閣からの景色。
わかります?屋根が石なんですよこれが丸岡城最大の特徴~
普通の瓦だと雪でやられちゃう為、石で出来ているんです

ちなみにその流れで…
入口の階段横にある石のしゃちほこ。

これも同じ理由…と言いたいところですが、本当は、昔は木製で銅版加工されているものだったんです。
それが戦争時に銅版が足りなくて、石に変えられたんですねぇ。
福井地震で崩れてそのまま今のように当時を偲ばせるって意味で残って、こんな場所で展示されています。
現在天守についている鯱は、昔のように木製銅版張りに復元されたものになっていますよ。

いや~失礼ながら予想の数十倍混んでましたが、個人的にはまた行けて良かった
やっぱり特徴がさりげにあって、バランスも良い、ステキな城だわ~
福井はなかなか行けないけれど、懲りずにまた行きたいです

キャイ~ンLIVE

2011年06月02日 | 日記
キャイ~ンのお笑いLIVE『41歳の春だから』に行ってきました。

行った日は千秋楽
受付や売店やってる若手のお笑いの子たちのテンションも熱い(笑)
チケットのもぎりやってくれた子がたぶんまぁこだったと思う…けど、あとは知らなかったごめんなさい

キャイ~ンなだけあって花も豪華な方々からきてましたよ


LIVEは漫才とコントと映像を交互にって感じでした。
漫才は、相変わらずウドちゃんがひたすらあまのっち見てるなと(笑)
個人的にはコントが面白かったなぁ

コントの一人旅の客(A)と車掌(U)では、トンネルで車内が真っ暗になった隙に車掌が客のお弁当とかを食べちゃうってのがあったんですが、これはただのウドちゃんいじめでしたね。
ウドちゃん、全然食べ・飲み進まないんだもん(笑)
コテコテでめっさ笑ってしましましたが

女の子?アイドルのデュオコントでは、懐かしのBaBeにあこがれている設定で…
いや~最初ブッキーにしか思えなかった女装の2人がだんだん可愛く思ってしまうのが痛い(笑)
とくにあまのっちに関してはウドちゃんが絶賛だったからなぁ~
そして笑いましたね。
2人の歌の歌詞がなんともいただけなくてナイス
OLの日常の悩みとかを歌っているんですけどね、まぁもちろんそんな可愛い歌じゃないですよ。上司のお茶に○ん入れたとかそんな歌詞ですから
それをあまのっちが美声で歌い上げる。無駄な完成度の高さが良かった(笑)
あまのっちの器用さも披露されまくりでしたし。
尾崎のモノマネで『17歳の地図』は歌っちゃうわ、K-POPダンスは披露しちゃうわ、どんだけ器用なんですか(笑)
KARAの『ミスター』と少女時代の『Gee』をやったんですけどね、完璧で可愛いかったんだ、これが
だんだんウドちゃん目線になってしまっている実感はありましたが、可愛かったんだよ、あまのっち

終わった後、MCでウドちゃんがあまのっちにこのダンス習ってましたが、わざとですか?って勢いでウドちゃんが出来なくて面白かったです(笑)

映像では、あまのっちの婚活とウドちゃんの情熱大陸だったんですが、私生活出しすぎでこれも地味に面白かったですね~
ちなみに。あまのっちの寝室…つうかベッドに忍び込むウドちゃんの姿は、本気であまのっちの貞操が心配になりました(笑)

2時間半のたっぷりLIVE。
なんだかほのぼのしたし、面白かった
やっぱりこの世代のお笑いは、安心して楽しめるわ