当方見聞記

旅と舞台・ライブ話を気ままに書いてます

MY ONE AND ONLY

2012年03月24日 | 日記
V6坂本さんの舞台『MY ONE AND ONLY』の青山劇場千秋楽に行ってきました

一言でいえば…可愛い舞台でしたね

基本、歌とタップを楽しむ構成になっていたので、物語としてはそんなにたいしたことはなかったんですけど
大雑把にいえば、憧れのアイドルに本気で惚れちゃってアタックしまくるパイロットのお話です。

個人的には慈英さんがツボりましたが。
いいとこどりすぎでしょ、慈英さん(笑)

あと大和さん
何時見てもかっこいいんだよなぁあの人…あれがヅカのトップ張った人のパワーなんですよねぇ

タップは、坂本さんがタップ練習するシーンが、成長感出てて良かったな
キョロキョロしているのは当たり前だけど、なんかね、足に夢中で手が決まってなかったりと、微妙に下手に見える感じがやけに微笑ましくて可愛かった
ま、その次にいきなりうまくなっちゃったりするんですけどね。

あとは大和田さんとの海辺でのダンスが可愛かったなぁ~
見た人ならわかると思いますが、首振り人形みたいな振付のとこ、あれがめちゃめちゃ可愛かった

ちょっぴりスローテンポな感じもするので(パンチがある内容ではないので)、もう少し小さい箱の劇場のがあってたんじゃないかなぁ?
まぁとりあえず、なんだかほのぼのさせられるミュージカルでした


千秋楽なので最後の挨拶もありました。
一番最後に

坂本「大阪もきてくれるかな?」
客「いいともー!」

ってまぁジャニだからいいけどさぁ。
答えたヤツラ、ちゃんと行ってやれよ(笑)


会場出てきたら雨も止んでいて、鯉のぼりも泳いでましたよ。

しかしさすがに鯉のぼりは、早すぎないか?青劇さんよ…

相国寺

2012年03月23日 | 日記
再び冬の特別公開ネタに…3/18までだったから本当はその前に終わりたかったんだけど、このペースなんですいません

相国寺法堂・開山堂の特別公開。

ここは鳴き龍で有名な日本最古の法堂
ちなみに豊臣秀頼の再建によるものです。
かなり以前に一度行ってはいるのですが、久しぶりに拝みたいてなわけで行ってまいりました


看板を撮ってみましたが、これが相国寺の鳴き龍
狩野光信の作です。なんと直径9M
真下で『パンっ』と手を打つと音が反響で龍が鳴いているように聞こえるのです
コンサートや寺社巡りのおかげか、高い音を出す拍手の仕方は十分心得ていますので、今回もこれに関してはバッチリ反響成功
順番に並んでいた方に褒められた(笑)
この鳴き龍、なんでこういった反響が起きるかというと、天井の絵の部分がちょっとドーム型っての?わかりずらいレベルですが、少し湾曲しいるため、音が響いて返ってくるんだとか。
しかもこの湾曲の影響もあるのか、単なる狩野派の技術なのか、ここの龍も天井絵にはよくある八方睨みなんですが、ただの八方睨みではなく、びっくりするほど表情が変わる龍なんです。
入り口のあたりは厳しいお顔、奥に行けばいくほど、本尊に近づけば近づくほど、どんどん優しい表情に変わる。
龍は守護の役割なので、そういう風に見える効果になっているらしいんですが、それにしたってここの変化はすごい。
角のあたりとかで見ると、曲がっただけで衝撃的な変化を感じますよ
ちなみにこの法堂、鳴き龍だけじゃありません。
須弥壇の彫刻もすごい
健様の任侠映画と言えばな唐獅子牡丹ですよ。
これ拍手に気を取られていると見落としがちなんですが(手を打つベストポイントが須弥壇前なんで)、本当に綺麗に残っているのでぜひ見ていただきたい。カッコよかったぁ

その後は開山堂へ。
こちらの庭は『龍淵水の庭』と呼ばれています。
枯山水と池泉式庭園のセットというただでさえ珍しいスタイルの庭なんですが、さらに昔は、本当に池泉式庭園の水路に水が流れていたというから、変わっているなんてもんじゃない。
上賀茂から流れてきている水が小川となってこの庭を流れていたんだそうです。

解説を聞きながら見ると面白さが増していく庭ですよ

上野美術館巡り★

2012年03月20日 | 日記
東京国立博物館『ボストン美術館日本美術の至宝』と上野国立科学博物館『インカ帝国展』に行ってきました

まずは国立博物館『ボストン美術館』から。

初日でしたがさっくり入れました。
やっぱり咲く前だからかな?

いや~素晴らしかったですね
最初は曼荼羅図や菩薩像などの軸から始まったのですが、管理と修繕の素晴らしさにびっくりします。
廃仏毀釈のせいでお寺さんがお金なくて二束三文で手放したものすごい品々。それをお金出して日本が海外から借りてきてるんだからふざけた歴史だよなぁ…とは思いますが、逆に海外にいったからこそこれだけ見事な状態で残していただけたと思うと、感謝になりますね

ここにあった『一字金輪像』…もうツボ美しすぎる
紹介にもあがっている『馬頭観音菩薩像』も色といい細かさといい迫力といい、めちゃめちゃ素晴らしかったんですが、個人的には『一字金輪像』が
お顔がもうなんとも美しいんですよ柔らかな線で、女性的っての?
如意輪さまの曲線美にトキメいたのと同じトキメキがあった

絵巻は、「吉備大臣入唐絵巻」も面白くて良かったんですが、「平治物語絵巻」の迫力にトキメキまくり
すごいんですよ。ちょうど後白河拉致のシーンの『三条殿夜討巻』なんで、戦場絵図みたいなもんなんです。
燃える御所に逃げ惑う女たち、襲撃で殺されていく様に屍の山…
むごさと混乱が細かく描かれているすごい絵でした。
合戦屏風より細かいシーンになるからなのか、よりリアルで綿密な絵なんです
まぁネタが旬だってのもあるんでしょうが、これはめっさテンションあがって見てしまいましたね~

そしてやっぱり今回最高に素晴らしいと思ったのは、ポスターにもなっている曽我蕭白の『雲龍図』。
これ、襖八面の絵なんですが、つい最近まで襖に貼られていなかったため、持ち出しができなかった品なんです。
修復により襖絵に戻され、今回展示可能となったんですね~
これ、本当にすごかったです。
サイズもありますが、なにより絵の迫力がすごい。
龍の顔のガッツリ感、もう見事すぎる
手も日本は3本爪が主流なのに、この絵は中国・朝鮮の主流の4本爪なんです。
なんで本数違うって、本当は5本が正解?なんですが、神の完璧な姿は神に等しい中国の皇帝のみが許されたものだったんですよ。そんなわけで中国の周囲にある国は4本、さらに離れた日本は格下になるので3本だったんです。
だから爪の数の意外さにも実はびっくりした…
まぁこの方、異端・狂気と言われた方だしね~中国の影響もあるでしょうが、そういった面もあっての爪なのかな?

長谷川等伯の『龍虎図』も良かったな~
蕭白とはだいぶイメージ違いますけどね。虎がね、可愛かった(笑)
当時って猫モチーフに虎を想像して描くから、なんか可愛いんですよ。これもまさにそうだった

その後平成館にもまわってきました。
黒田清輝展やっていて、黒田と言えばってなくらい有名な絵が出ていましたよ
そして2階は「博物館でお花見」をテーマな展示。
テーマがあったからかな?今回は見たことない品がめさめさ多かった
花見がテーマなので基本華やかでしたが浮世絵コーナーはとくに華やかさが満点でしたね
そんな常設展、個人的にツボに入ったのは伊能忠敬の日本地図
最初部屋に入った時は、巨大地図が貼られているんで『これ、何の展示?』思ったんですが、見れば伊能の地図じゃないですか
これが足で歩いて作ったって信じられない細かさですよ
しかも本州だけじゃない。小さい島までちゃんと書いてある。
どうやって計ったんだよ…って足だよってわかってることを再び疑問に抱いちゃうくらいの出来です。
マジで解説見て伊能のだってわかるまでは、今の地図拡大しただけの絵だと思いましたもん。
すさまじい人だわ…可哀相だけど、そりゃ本人の意思関係なしで地図作れ命令出されちゃうわけだわって思う

あとは徳川四天王の榊原康政の絵と鎧の展示があったんですよ

ちなみにカブトムシは武士の兜に似ているからそういわれるようになったんですが…これ、まんまやんけなります


そして国立科学博物館の『インカ帝国展』へ。
こっちは混みまくりでした
もうとりあえず隙間を見ながら見学ってのの繰り返しじっくりなんて見てられない
でも負けじと覗き見してきましたよ

そんな中、やっぱりすごかったのはミイラ5体。
爪とか歯まで綺麗に残っているんですよ。
髪の毛は剃られていたのでないのですが、1体だけ、自分の剃った髪を一緒に納められていたミイラがあって、それだけはその残骸がありました。
1体は『これ目玉?』って思うものが両目に残っているにがありまして、それはその目のせいか、より生生しさを感じました…すごすぎる
ちなみに歯は綺麗でしたよ。歯並びいいな、古代インカ人

3Dシアターはマチュピチュを観光している気分になれて楽しかったです
神殿の窓から入り込むなんて演出もあるんですが、それがめっさリアルな映像で。
すごい景色に惚れ惚れさせられてしまいました

行ってみたいなぁ~

長楽寺

2012年03月15日 | 日記
京都冬の特別公開ネタの続き。

次は長楽寺へ。
こちら。円山公園の奥にあります。

ここにもときめくポスターが…


ひたすらに、念仏を称えよ。

一遍上人の木像(重文)です
このお寺は、元は最澄が創建、後に法然の弟子となる隆寛が専修念仏長楽寺派をおこし、さらにその後、国阿が時宗の寺に改められたという経緯があります。
一遍は専修念仏の先駆けにあたる…にしていいのかな?融通念仏だけど。なので、まあそんな流れかと。
この謳い文句もかっこいいねぇ


いざ中へ。
建礼門院の木造の前でしばしお話あり。
平徳子“建礼門院”はこのお寺にて出家させられました。
京都の真ん中ですからね、やっぱり源氏の目の厳しさが辛かったんですかねぇ…この数年後、京都を襲った大地震を機に、静かな生活を求め?大原の寂光院に移り住みます。このお話は平家物語なので、今年の大河でももしかしたら多少触れるのかな?

ここの庭は相阿弥が銀閣寺庭園を造る試作品として造られたと言われています。

雨だったのでせっかくの池は濁り中
しかも紅葉のなごりかな…な木たち。
秋は綺麗なんだろうなぁ~

本堂の横には建礼門院御塔があります。

建礼門院が髪をおろした時の名残の御髪塔と伝えられ、また、御遺骨も納められていたとの説もあります。
本来は山の上の方にあったらしいのですが、境内縮小に伴い、その地は国有林となってしまったので、塔をここに移したのだそうです。
その前にお話しを聞いているから、なんだか切なくなりますよ

そして収蔵館へ。
こちらに噂の一遍上人木造も安置されちます。
ここには他にも数々の品が
安徳天皇の御影に、安徳天皇がいまわの際まで召されていた形見の直衣を幡に改めたものなど、安徳天皇ゆかりの品も多数。
ちなみにこの幡は、建礼門院が出家するにあたり納められるようなお布施となるものが他になかった為にこれを納めたんじゃないかと…。その後それを自ら幡に縫い直して菩提を弔われそうです。
建礼門院の御影もありましたが、これが本当に黒い
劣化のせいかな?と思いきや、これ、絵の上から墨を塗っていたからなんだそうです。
近年になって、この絵が下にあるのが発見されたんだとか。
源氏の目が光る中、平家一門の絵を祀るなんて許されることではなく(安徳天皇は天皇なのでちょっと話が変わります)、それを隠す為にあえて上から墨で絵を塗りつぶしてあったと。
古いものだからこそされていた細工に、敗者となった者の不遇さが表れていますよね…
ちなみにこの建礼門院は出家当時の御影ってことで、年齢29歳。絵からも若さが感じられる華奢な雰囲気のお姿でした。
木像ではこちらのお寺の代々のおエライさんたちが…そんな中のひとつが一遍上人なんですね~
なんだか迫力ありましたよ、ずらっと並んでいて

拝観の後は、裏山?のお墓へ。
こちらには尊攘で知られる水戸烈士のお墓が大量にあります。

尊王攘夷運動のきっかけとなる日本外史の著者でもある頼山陽のお墓も。
本人の遺言によってここに葬られています。
さすが水戸の武士に慕われていたお方だわ、お墓にまで“先生”と刻まれているんだもの
こんなところなので、墓地には尊攘碑もあり。

これ、烈公と呼ばれている水戸藩主徳川斉昭の御真筆らしい。
ちなみに斉昭公は最後の将軍徳川慶喜の実のお父さんです。
開国論猛反対のお方。おかげで井伊直弼と対立。これがその後の桜田門外の変に繋がっていきます。


この墓地、天気が良ければ京都の町を一望できるとってもいい場所ですよ
ま、天気が良ければ…だけどね

ACCESSクラブツアー初日

2012年03月13日 | 日記
AXS20周年記念クラブツアーの初日行ってきました

楽しかった~
めっさ近いし、もうトキメキまくり

入場の手際の悪さはとんでもなかったですが、まぁ初日だったからと思っておいてやろう…

クラブだってのに2時間以上やりましたからね
よく倒れる人出ないで済んだと思うよ

内容もカウコンに続き、跳ねて遊べる曲満載
本当に2人だけでやったので、ギター音とかは大ちゃんiPhone活用。
あれ、もしかしてスマップがCMでやったアプリのやつ…?
自慢げにやる大ちゃんが可愛かった(笑)

ちょうど中間くらいだったかな?に大ちゃんの即興作成のソロコーナーあり。
その前に会場の声と2人の声の音撮りやって、それを入れ込んでの楽曲。
客音声は、ヒロがMCで自分の服の柄にあわせて言ったギャグ(?)「ヨコシマです」。
無駄に完璧な音声だった(笑)
ヒロは「愛してるよ」。かっこつけすぎでナイス
そしてそれにあわせて何言うか考えた大ちゃん。

「僕も」

って(笑)
さすがAXS、客のツボをつくバカっぷり(笑)
できあがった曲は、音声のおかげでただのお笑いでしかなかったです、ごめん大ちゃん

新曲披露もあり。
夏にアルバム出すしね~
しかもいきなりリミックス。
SOUL'dOUTにやってもらったリミックス
本物聞いてないから、リミックス言われてもわかんないっつーの
結構爽快系?なので、ヒロがノビノビやってて良かったですよ
どうもこのツアーの後半戦では別の曲やるっぽいけどね。
「まだ公表できな~い」とわざわざ言った曲があったから、出来てないってより、後半用かなと。
今回ライブ特典で、このリミックスCDを帰りに貰えたんですよ。
そのCDに書いてあったツアー名が途中までだったから、たぶんその先のツアー分は違うCDになると思うんだよねぇ。
だからそれの曲かなと。
今回この名古屋初日しか行けないのにぃぃ

ラストは『LOOK-A-HEAD』でバッチリ締め
本人たちと密な感じになっただけで、内容は通常のコンサートと変わらない勢いだったかも。
でもファンが求めているものはこれなんで良いのです
遊ばせてくれるからAXSは楽しいんだもんね

夏のツアーも楽しみだぁ

長講堂

2012年03月09日 | 日記
次の冬の特別公開のお寺、長講堂へ。

こちらは後白河法皇が平業忠の西塔院六条の邸宅を譲り受けて造った御所内の持仏堂になります。
そんなわけで後白河法皇にとっても縁のお寺
ちなみにここが“堂”なのは因幡堂(平等寺)と同じ理由です


入り口のポスター。

「かならずや、法皇の威光を残せ。」

ちょっとかっこよすぎるんですけど
マジでこれはやられました。欲しい…このポスター…。
キャッチ考えた人、マジで尊敬します

通常非公開のこのお寺。
後白河法皇の御真影が寺宝にあり、これは勅使によって50年に1度、一般には1日だけ公開される貴重な品です。
日頃は特別な箱に収められている為、お寺の人でも開けることは許されていないんです。勅使が来て、開帳されるんですよ。しかも法要の為にだけね。
そして他の年の4/13(法皇忌法要)には、御影堂が御開帳となり、この御真影を元に作られた後白河法皇の木造が公開されています。それがポスターの写真のやつ。
今回の特別公開は、なんとこの木造が4/13じゃないってのに公開されているんですよ
これってめっさスゴイこと
御真影に比べれば公開されているとは言え、そうそう見れるもんじゃない


門をくぐって中に入ると、目の前に本堂、そして写真右側に五本線の塀(天皇家縁の証)の向こうに御影堂が

まず通された部屋は、本堂につながる建物。
やけに新しいのは何故だ?…と思ったら、ここ、阪神淡路大震災でだいぶ被害にあっていたそうで…
付近は大丈夫だったらしいですけどね、このお寺だけ大打撃だったらしいです。
地層の問題なのかわかりませんが、地震ってのはわかりませんからね
一部は以前のものを再利用していましたが、ほとんどが新しくなっています。
こちらでは、後白河法皇の御真影の写しや、法皇が御真筆と伝わる『過去現在牒』などが見れました。
この巻物、法皇が供養や祈願の為に自分に縁があった人物の名前をひたすら書きだしているってもので、天皇家の人物たちはもちろん、清盛や義経などの名前もある、なんだか時代感を感じる品でした

そして本堂へ。
こちらには阿弥陀三尊像が。
こちらはなんと当時のもの院派が造った現存仏さま
応仁の乱などで焼かれまくった地でよく残ってくれたもんだですが、これもすべて今までの住職さんの苦労のおかげ。守ってくれてありがとうございますですよ
この仏様、もちろんセンターの阿弥陀さまも素晴らしいのですが、脇座の観音・勢至菩薩さまが素敵なんですよ。
片足をさげて座っている姿で、大好きな如意輪さまに通じる独特な曲線美を感じたんですよ
体つきとかでは、どちらかと言えば弥勒菩薩的な雰囲気なんですけどね、これ、良かったなぁ~
そして、この本堂に置かれていた他の仏像も素晴らしい
太子像からは、なんと、阪神大震災の時避難させた際にたまたま発見された(動かしたら音がした)体内に隠されていた経田も公開。太子像も色が濃く残っている素晴らしい仏様でした
善導大師と法然上人の像は、今まで見たことないお姿に。
なんとこちら“体内仏”がいらっしゃるんですよ。
中に隠されていたっていうじゃないんですよ。なんとお腹の部分がパッカーンと穴になっていて、そこに阿弥陀如来と勢至菩薩がいる。
超合金ロボがお腹からミニロボ出すの想像してください。あんな感じ
なにこれってマジでなりましたよ
ちなみに善導は阿弥陀様の、法然は勢至さまの生まれ変わりと言われているから、それぞれの体内にその仏様が彫られていたらしい。
いや~なんとも衝撃的な仏様でした
百万遍大念珠なども置かれていて、これまた素晴らしい品でした西国三十三観音が中に彫られているんですよ。じっくり見だすとキリがなくなる品でした

そして最後に今回メインの御影堂へ

御影堂に入ると…いらっしゃいました法皇の木造が
凛々しいお顔立ちになんともどっしり構えたお姿三角形じゃないか
…と思って見ていたら、感想通り、“あえて”三角形に作ってあるらしい。
ぱっと見気づかなかったけど、顔を小さく作って、どっしり見えるように三角形なつくりしてるんだって。
言われてみれば小顔だ…
しかもこちら、御真影を元に作られたと聞いていたのに、その前に見た写しの絵に…似ていない。
なぜ?と思えば、これまた、面白いお話が。
絵の法皇はだいぶ年配になってからのものなんですが、それを見て、後白河法皇の一番脂がのってた頃を“想像”して作られた像なんだって。
この凄まじい凛々しさは、若さと自信に溢れていたお姿だからかと思うと妙に納得
木造の右側には、御真影が納められている箱も置かれていました。
黒塗りの立派な御箱でしたよ

いや~貴重なお品を見せていただけた
仏様たちのお姿もめさめさ素敵だったし、ぜひまた公開の際には伺わせていただきたいわ~
できれば御真影公開に…って次は平成53年まぁこれは生きていたら…ですわな

上徳寺・蓮光寺

2012年03月06日 | 日記
平等寺からは次なる特別公開の長講堂へ向けて徒歩で移動。
その途中で偶然見かけて立ち寄った寺院をちょっとばかしご紹介


まずは上徳寺。

通り過ぎながら軽く見た看板に慌てて足を止めました

家康の側室の阿茶さまのお墓がある
これはお墓参りせねば
だったのです

こちらのお寺、世継地蔵として有名なんだそう。
「京のよつぎさん」なんて呼ばれているらしい。

これが地蔵堂。安産祈願やら子宝祈願やら、まぁそういった願掛けがこれでもかってくらいされていました。
絵馬だけじゃなく涎掛けなんかも奉納されていたしね。

地蔵堂の周囲にはこういったやたらと愛らしい地蔵様たちがいらっしゃいました
行った時、ちょうどカップルさんがこのお地蔵さんにお参りしてましたよ。初々しいなぁ

本堂の裏が墓地になります。
そして本当に本堂の真裏にあたるところに阿茶の局のお墓がありました。

阿茶の局は家康の戦場にまでくっついていってしまう男前な方(笑)
家康との間に子はありませんが(陣中にて流産してしまっています)、えらい才知に富んだ方だったようで、家康にもかなり信頼されていて、秀忠の養育もまかされていました。
大阪の陣では豊臣方との和睦交渉までしていますからね
家康隠居の際にも駿府に連れて行ったたった2人側室のうちの一人。
家康死後も落飾を許されず、秀忠から信頼され、和子の入内の際の守役なども務めています。この時の功績によって後水尾天王より従一位を賜ったりしているツワモノ。
秀忠が亡くなると、やっと?仏門にくだり雲光院と号し、京都にて亡くなります。
83歳っていうんだから長生きだ…

そんなお方ですから見習うとこ満載なかっこいい女性ですからね~
お墓参り好きとしては、たまたまと言えどここにたどり着けてお参りできたのは嬉しかったですわ


そして再び進むこと次に見えてきたのは蓮光寺。

これまた…うん?長宗我部盛親の墓所???
もちろん立ち寄り
しかしこちら、さらに気になるものが

大河『義経』で紹介された駒止地蔵さまがいらっしゃった

こちら、弘法大師の作と伝えられ、元は六条河原の刑場に祀られていたのだけれど、鴨川の氾濫で埋もれてしまっていたのだとか。
清盛が馬に乗っていたところ、急に馬が立ち止まって動かなくなってしまい、そのあたりを掘ったらこの地蔵様が出てきたと。
それ以後『駒止地蔵尊』として祀られるようになったんだとか。
あと、盗賊から信者を身代わりになって護った際、首を斬られたとの伝説もあり『首切り地蔵』とも呼ばれています。

この地蔵様、お顔立ちがとっても独特で、ちょっと迫力がある感じしました
素朴なんだけどね~逆にそれでなのかなぁ?どっしり感が妙にリアル…
罪人の処刑を見ていた…そう思うとより“重み”を増します

御参りをすませた後は墓所へ。
墓地の一番奥に、長宗我部盛親の墓所はありました。

長宗我部盛親は四国の覇者として有名な長宗我部元親の息子。4男なんだけど、元親の強烈なプッシュによって家督を継ぎます。関ヶ原では西軍につきますが参戦できずして敗退。後改易。これにより長宗我部家は滅亡します。
その後、京都にて謹慎させられるも脱出、大阪の陣で豊臣方につき数々武功をおさめますが、最後は六条河原で斬首、三条河原にてその首は晒されました。
その首級がここに葬られているのだそうです。

説明文がもうボロボロになっていてちょっぴり可哀相だった
まぁ門の看板はちゃんとしてるからいいのかな?

お墓参りをさせていただき、今度こそいざ長講堂へ続きは次回

平等寺

2012年03月04日 | 日記
京都の冬の特別公開行ってまいりました
今回は初公開も多かったしね

まずは平等寺へ。

こちら、京都の方には『因幡堂』と言わなければわからないかも…
四条烏丸から歩いていける場所…ようは京都でも中心部にあるこのお堂。
なんでお堂かとか色々あるわけですよ。
平安京は桓武天皇の意向に従い、都の中にお寺を作れなかったのです。
それは平城京時代、南都の力が強すぎたってのがありまして。新しい都では寺を近くに置かないぜって気持ちで遷都したからなんですね~
東寺・西寺は例外でしたが(その前からあったから)それ以外建立は認められていなかったから、ここは“因幡堂”なんです。
平安末期、高倉天皇により“平等寺”って名前が与えられましたが、一般的には因幡堂なんですよ。

ちなみにおまけ話。
ここが古くからあったってのは、三十三間堂の伝承にも繋がるんですよ。
後白河法皇の頭痛は、夢のお告げでこの御堂に参拝して原因がわかり、前世と告げられた髑髏を三十三間堂の千手観音の中に祀ったら治ったって話があるんです。
この御堂の存在の大きさが伝わる伝承ですよね


これが本堂。まずは本堂へお参り。
中にはこの因幡堂の祖になる橘行平像が。

この因幡堂の由来は、因幡国司だった行平が帰京が近づいたところ重い病にかかってしまい、そんな中夢に現れた僧に「因幡の浦に尊い木が流れ着いているからそれを引き上げてみなよ」と言われて行ったところ、薬師如来像が引き上げて祀ったところ病気も治り、行平は「いつか京都に迎えるから」と約束して帰京します。そのまま日が過ぎていき、4/7の夜、戸を叩く音が。戸を開けるとそこには因幡からやってきた薬師如来が行平もびっくり高辻烏丸の屋敷に祀ったってのが由来です。

そしてこの、因幡からいらっしゃった薬師さんってのが今回の特別公開
これ、京都の方でも見た事ないって人が多いんですよ。だから地元客多し自分が行った時もいた
この如来像は本堂ではなく別建物なんですが、頭巾をかぶった等身大の立像の如来さんでした。
頭巾をかぶったのは当初からではなく厄災避難用。
京都ですしね、応仁の乱では都中火につつまれましたから
まぁだいたいどこの寺でもなんですが、住職さんがまず助けるのが本尊。
ここもそのおかげでこの本尊は助かったんですが、そんな避難のなごりなのか…いつしか頭巾をかぶっていたと。
避難させやすい工夫もされていて、ちょっと細かい細工は面白かったです

ここ、薬師如来以外も結構見どころ多いですよ
本堂内の十二神将もめっさ良かった(ただしちょっと暗いので自分の干支探すのは大変)ですし、あと、平家物語で有名な小督の局の縁の品があるんですよ
小督の局とは、高倉天皇との悲恋で能などで有名。高倉天皇の寵愛を受けた人なんですが、清盛の娘徳子(建礼門院)からその寵愛を奪った(元は娘が亡くなって悲しんでる天皇に徳子が紹介した子なんですけどね)って事で清盛に嫌われ、その後清閑寺で無理やり出家させられてしまう悲しいお姫さんなんです。
そんな清閑寺からの伝来ってことで小督の髪を編み込んだ光明真言の軸や琴なんかも今回は公開されています。
この軸は本当にすごかった…一部裏側が見えるようにしてくれてあるから髪ってわかるんだもの
保存も良かった(通常非公開)んだろうねぇ~ってわかる勢いで綺麗だし
これは大河が清盛でもありますし、興味あるならマジで見応えあります

他にも色々あるので、この公開は本当におススメ。行けて良かったぁ

おまけの福山観光★

2012年03月02日 | 日記
尾道観光の後、なんとか時間があったので福山の明王院へ。

こちらの五重塔、なんと国宝

唐用の折衷様式で、この様式の現存最古とのこと。

…と言っても。
見た目そんなにわかりません
よく言えば保存が良いんですが…なんつうかなぁ…寺全体の雰囲気がそんな風な感じしないんですよ
決して悪くはないんですけどね、固定観念の問題かなぁ?古さが感じない普通さって言うか…
逆に最古と言われてびっくりみたいな保存さと形の完成度なんですよ。
いや~そう思って見るとしみじみ感も増加。
なんつうの?煌びやかな凄さを求めるってより、雰囲気凄さっての?
夕方だったのもあってか、神聖さとはまた違う“重さ”を感じた気がします

その横にある草戸稲荷神社へ。
こちら、初詣で有名な神社さんです

瀬戸川にかかる橋はまるで錦帯橋の様でした。
本殿も、このでかさだけでちょっと普通の稲荷さんとしては違いますよね
あまりのでかさ、綺麗さに、なんだかありがたさってより、感心さしかおきませんでした
やっぱり信仰心が薄いのか

ちなみにこの後、微妙にバス時間がうまくいかず、つい歩き出してしまい、福山駅まで歩いてしまった…
ま、道に迷わなければたいした距離ではないので、河川敷の雰囲気眺めしたいなら歩いてみるのもありかも?ですよ