事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

最善が最善に非ず時・・・

2012-05-11 18:17:23 | Weblog
悩みはつきない。なぜか。最善のものを追求しようとするからではないのか。そんなことを考えるときがある。だれしもそうだろ

う。一番いいものを求める。だからプレッシャーを感じるし、どうしたらいいのか悩む。

 きょうの朝日新聞を読んでいて目に留まった記事は「最善手を指したから敗れた」との見出し記事だ。永世棋聖の米長さんは去

年1月に最強とされたコンピューター将棋ソフトと対戦して敗れた、という文脈から始まる。この出だしを読んだ時にコンピュー

ターソフトの強さを単に書いているのかと思った。そうではなかった。もっと奥が深かった。米長さん曰く、将棋とは最善の手を

見つける勝負と言う。コンピューターは過去何万局のデータを蓄え、1秒に最大1800万手を読む能力を有する。しかしコンピュー

ターには弱点のあることを米長さんは発見した。それは正解が一つしかない時は強いが、正解が二つ以上ある時はどれがいいのか

絞り切れなくなる。そこで米長さんは最善の手をわざと打たないようにしたという。つまりコンピューターを迷わす作戦に出た。


ある程度まで順調に進んだ。おそらくコンピューターは米長さんらしくない手を打つなあと驚いていたのだろう。しかしある局面

で決着が見えたところで、最善の手を打ってしまった。これが敗因になった。これが記事の大筋の流れだ。

 この記事を読んだ時、はっとした。微妙なことだが、最善を尽くさないという作戦があるのか。もちろんそれは相手があっての

駆け引きだが、対極の立った時には最善と思われることが時と場合によって、必ずしも最善ではないことがある、ということだ。

つまり最善という定義はそのケースバイケースによってちがうということだ。

であるならば、その時々で最善とはなにかを考えればいいということにもなる。最善とは変わらぬものではなく、変わる存在だと

いうことをこの記事は教えてくれた。頭の中で引っ掻かていたものが、取れたような気がした。最善のものが常に最善と考えるか

ら、悩み苦しむが最善とは言えないものでも最善の可能性があるという考えには驚いた。自分の中にある価値観が少し動いた気が

した。

ふとそう思った。
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2 コメント

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奥が深い話ですね。 (yajiboo)
2012-05-14 11:53:57
最善が最善でないとは、思わず唸るような深い話ですね。普段から修練して、いざという時の引出しをいくつか持て、に通じるところがあると思いました。攻められた時の横綱は、それなりに受けて流れの中で色々な手を打ち、最後は自分の形で勝つ。かつて白鳳がそうでしたが、最近は万全に勝ったと思える取組みで相手にダメを押すのが気になっていました。負けが増え始めたのを見ると、結構精いっぱいで戦っていたのかなあ、と。ぜんぜん関係ありませんが、今回の「ふと~」。ダメ押しっぽい?
Unknown (塗師)
2012-05-15 09:56:17
yajibooさん書き込みありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
また飲みすぎましょう。

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