2013日本オープンin茨城GCは、飛距離に実力が備わった「小林正則選手」の優勝で幕をとじました。
5日間(10/17~21日)のボランティアの内2泊をつくば市内にあるビジネスホテルに宿泊したので、業務終了後の空き時間を利用して筑波山麓の史跡見学に行ってきました。
「平沢官衙遺跡(ひらさわかんがいせき)」(国指定遺跡)
今から千年以上前の奈良・平安時代に造営された 常陸国筑波郡の郡衙(役所)跡で、昨年 6年をかけて往時の姿が復元されている。
郡衙には 郡衙政庁(役人が執務する場所)、正倉(租税として集められた稲などの保管倉庫)、 館(宿泊・饗応する場所)、厨(食事を作る場所)などがあり、この遺跡は正倉部分といわれている。
(発掘の状況を解説する案内板)
(発掘現場は埋め戻されて草原となり、後方に筑波山が見える。)
(復元された正倉)
(遺跡を囲むように大溝が発掘された、右は埋め戻された大溝の一部)
「小田城跡」(国指定遺跡)
小田城跡は中世鎌倉時代~戦国時代にかけて常陸国南部に勢力をもった小田氏の居城跡であり、はじまりは同氏の祖、八田知家が常陸守護に任じられ居を構えたことによると云われている。その後南北朝期には南朝方に属し、小田城は常陸南部における南朝方の拠点となった。戦国時代は佐竹氏・多賀谷氏・真壁氏や越後の上杉謙信・小田原の後北条氏らと抗争を繰り返した。そして、城が佐竹氏のものとなったが、秋田移封に伴い慶長7年(1602)廃城となった。(つくば市教育委員会解説による)
(小田城跡の解説版と上空写真)
現在残る小田城跡は、鎌倉時代以降何度も作り変えられ、廃城後は土塁を崩して堀を埋めるなどの改変が行われていた。
(復元された内堀)
現存する戦国時代末期の遺構は、方形の郭(本丸)を中心にほぼ三重の堀と大小の郭が取り囲む構造で、史跡指定範囲でも東西500m、南北600m以上の規模がある。
(復元された木橋と堀)
(つくば市からの筑波山)
常陸風土記によると、古へは相模の国の足柄より東の諸々の県(あがた)はすべて吾妻(あずま)の国といっていたもので、常陸という国もなかった。ただ筑波・茨城などの小国には朝廷より造(みやっこ)・別(わけ)が派遣されていたという。
日本オープンへは、台風や大雨の中断で5日間参加したため、2泊はつくば市に宿を取りました。早く終わった時間を利用して歴史散策をしてきました。
参加の皆様によろしくお伝えください。
一昨日は久しぶりに「さきたま古墳」に行ってきました。
17,18日は中根さん所へ行ってきます。一行5~6人になるようです。
私は神社までは行きますが、まだ登ったことがありません。
このところ茨城でのトーナメントが続きますね。次回は11/7からの美浦ゴルフクラブです。