「滝山城」は東京・八王子市にあった戦国時代の連郭式山城。現在、遺構として本丸・中の丸・千畳敷跡空堀などが残っていて、国指定史跡となっている。
節分の日、春がもう来てしまったような暖かい陽気に誘われて、滝山城址公園を散策してきました。
(都立滝山公園地図)
多摩川と秋川の合流点にある丘陵の複雑な地形を巧みに利用した天然の要害で、関東隋一の規模を誇ったという。
(滝山城址入口)
永正18年(1521)山内上杉氏の重臣で、武蔵国の守護代大石定重が築城し、天文15年(1546)北条氏康が河越夜戦で上杉氏の勢力を武蔵から排除すると、大石氏は北条氏康の三男・氏照を娘婿に迎え、北条氏の軍門に下った。
その後氏照は城の大改修を実施した。しかし永禄12年(1569)小田原攻撃に向かう武田信玄軍2万の襲撃にあい、落城寸前にまで追い込まれた。
この為滝山城の防御体制が不十分であることを痛感させ、さらに南西の山城・八王子城を築城し移転したといわれている。(市教育委員会解説による)
(坂下口から本丸へ通じる道)
(滝山城本丸跡と本丸跡に残る井戸)
(本丸に渡る木橋と虎口)
(中の丸跡とそこからの多摩川を望む)
(本丸跡の碑)
滝山城址へは何度も行くがあったが、駐車場も無くなかなか訪れにくい場所でした。この都立滝山公園は、春には満開のさくらで賑うそうであるが、電車とバスとを乗り継がないと訪問しにくいのです。(学友に秘密の駐車場を教えていただきました)
(冬枯れの城址公園散策路)
(散策路にある9本さくら、春にはさくらの名所だそうです。写真は市のHPより)
節分の日、春がもう来てしまったような暖かい陽気に誘われて、滝山城址公園を散策してきました。
(都立滝山公園地図)
多摩川と秋川の合流点にある丘陵の複雑な地形を巧みに利用した天然の要害で、関東隋一の規模を誇ったという。
(滝山城址入口)
永正18年(1521)山内上杉氏の重臣で、武蔵国の守護代大石定重が築城し、天文15年(1546)北条氏康が河越夜戦で上杉氏の勢力を武蔵から排除すると、大石氏は北条氏康の三男・氏照を娘婿に迎え、北条氏の軍門に下った。
その後氏照は城の大改修を実施した。しかし永禄12年(1569)小田原攻撃に向かう武田信玄軍2万の襲撃にあい、落城寸前にまで追い込まれた。
この為滝山城の防御体制が不十分であることを痛感させ、さらに南西の山城・八王子城を築城し移転したといわれている。(市教育委員会解説による)
(坂下口から本丸へ通じる道)
(滝山城本丸跡と本丸跡に残る井戸)
(本丸に渡る木橋と虎口)
(中の丸跡とそこからの多摩川を望む)
(本丸跡の碑)
滝山城址へは何度も行くがあったが、駐車場も無くなかなか訪れにくい場所でした。この都立滝山公園は、春には満開のさくらで賑うそうであるが、電車とバスとを乗り継がないと訪問しにくいのです。(学友に秘密の駐車場を教えていただきました)
(冬枯れの城址公園散策路)
(散策路にある9本さくら、春にはさくらの名所だそうです。写真は市のHPより)
滝山城跡、行ってきたんですね。
今頃は冬寒の、淋しい風景ですが、桜のころは、それはそれは、見事ですよ!!
土塁の跡が、沢山残っていますね。
また、お出かけください。
今日は朝から雪かきをして、明日は筋肉痛ですよ。
滝山城址にはやっと行くことができました。
歴史的にも価値のある場所なので、八王子市ももっとPRしたり、駐車場の整備をすると良いと感じました。
大雪、大変でしたね。
想定外の気象が最近多発です。
気を付けないと
フェニックスボラ以来ですがお元気ですか
滝山城址行かれたプログ拝見
八王子に居た時、滝が原運動広場
(河川野球場)に毎週のように
野球で出掛けてましたが
城址には駐車場が無いと言う事で
行かずじまいでした。
写真を見ることが出来てあり難いです。
今年もGボラが始まりますでしょうが
無理をしないで頑張ってください。
11月のフェニックスまでは
体力を温存して、ご参加下さい。
宮崎と八王子、いろいろな出会いがありますね。
滝山城は多摩川の要塞にかこまれた、関東でも最大規模の要の城だったようです。
残念ながら駐車場がないので、河川野球場からハイキングするのに良いかもしれませんね。
今年の宮崎でもよろしくお願いします。