いるま・風の善さん

中高年オジンの趣味と遊びの日記です。

高崎・小林山達磨寺参拝と八幡観音塚古墳

2011年01月11日 | 文化財・史跡

(群馬にも石舞台遺跡のような古墳がありました。八幡休塚古墳) 


 今年も、全国に”高崎のだるま”で有名な「小林山達磨寺」への初参拝は、混雑する1/6・7日を避けて連休の最後の日(1/10日)に行きました。帰りに碓氷川の左岸にある八幡台地の古墳などを散策して帰りました。



(近年は毎年この”6号のだるま”を買い換えています、後ろのドンド焼きは1/15日だそうです)



(達磨寺の山門では、近くの高校野球部が石段でトレーニングをしていました)


「家内安全」昨年の健康を感謝し、今年も健康でありますように祈願して帰りました。


 帰り道少々寄り道をしました。達磨寺の北、碓氷川の対岸は上野国一社「八幡神社」が鎮座し、ここから西の高台は八幡台地といい、4世紀~7世紀の史跡の多いところであります。



(上野国八幡八幡宮:平安時代初期の創建。ここは古来交通の要衝であり、八幡宮参道より西の道が鎌倉街道といわれている)


 八幡宮の西に、八幡観音塚古墳:墳丘105mの前方後円墳(昭和23年国指定史跡・36年国指定重要文化財)がある。古墳時代後期の前方後円墳で、横穴式石室は巨石の輝石安山岩を使用、両袖型で玄室(前室と後室)長さ7.4m、羨道8.1mがある。昭和20年の防空壕に利用する目的で開口されたとき多くの出土品が発見された。(銅鏡や金で飾られた武具類30種300余点、近くの考古資料館保管)



(八幡観音塚古墳の後円部南側の石室入口と測量図)



(石室入口から羨道をみる)



(資料館で懐中電灯を借りて中に入りました。天井石や玄室奥壁も相当な巨石でした。)


そのほか近くには前方後円墳や円墳がいくつもあり、石室の石だけがころがっているところもありました。



(八幡二子塚古墳、全長66m・6世紀)



(峯林古墳:円墳、天井石はなくなっていました。この古墳から見た榛名山)


円墳の周りが削り取られて、横穴式石室の天井巨石が残った「八幡物見塚(休塚)古墳」は、安中・富岡地方道にそってひっそりと残されていました。



(八幡休塚古墳は、奈良・明日香の石舞台を連想させてくれます。)


この地域は住宅や霊園で開発されていましたが、碓氷川の高台にあり、榛名山や赤城山の眺望がすばらしい場所でした。


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4 コメント

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だるま (電車)
2011-01-11 21:57:41
高崎のだるまは有名ですよね!
駅弁のだるま弁当もありますよ。食べてみてください。
写真のような古墳もあるんですね。
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古墳の集積地 (朱雀)
2011-01-11 23:46:39
初詣帰りとはいえ新年早々の「古墳便り」ありがとうございます。
八幡観音塚古墳は前方後円墳でありながら横穴式石室を持っているとのことですが、大和では6世紀の前半に見られるタイプです。ただこの古墳の写真ですが、羨道から玄室を見たものに天井に玄室から出た石が庇のように見えますが何でしょうか。開口部は写真では墳丘の最下段のようにも見えますが、測量図を見ると中段に空いているようですね。
 このあたりには沢山の古墳が有りますね。
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電車さんへ (風の善さん)
2011-01-12 09:31:02
 高崎のだるま弁当、昔は良く食べましたよ。
高崎駅で販売していますねえ、最近しばらく食べていません。
古墳時代は群馬から武蔵国へ文化が伝わっていったのですよ。
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上野国 (風の善さん)
2011-01-12 09:36:50
朱雀さんへ 
 7世紀の副葬品は、大和朝廷とのつながりを連想させます。
副葬品の多くは国指定重要文化財で、観音塚資料館に保存されています。
(高崎市HPご参照)
それにしても、ちょっとした上野国の石舞台でしょう。
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