いるま・風の善さん

中高年オジンの趣味と遊びの日記です。

万葉歌碑を訪ねて(特別編)仙覚律師遺跡

2011年01月08日 | 万葉歌碑
 埼玉県比企郡にある紙すきの里、小川町は手漉きの和紙が特産である。なかでも楮(こうぞ)のみを使用した紀州細川村の「細川紙」を漉く技術が伝承されている。その小川町に中世の万葉集研究者の「仙覚律師(せんがくりっし)遺跡」があるというので、北風の寒い日に訪れた。


 仙覚は、鎌倉時代の僧侶(天台宗)で、建仁3年(1203)常陸国に生まれた。万葉学者として知られる仙覚は、万葉集解読に半生をささげた人で、彼の著作した『万葉集注釈』は、以後の万葉集研究の基礎をなしているといわれている。この奥書には「武蔵国比企郡北方の麻師宇郷(ましうごう)の政所」と記されており、当地に仮宿し、まとめたものと推定されている。この地域は付近をとりまく土塁・空掘跡・櫓の跡から、中世の土豪、猿尾氏(ますお)の居城で中城跡(ちゅうじょうせき)と呼ばれている。(同地にある解説版による)



(案内標識は小さく車で走ると見落としそうになる、陣屋沼の南に中城跡・ちゅうじょうせきの土塁がみえる。)


中城跡にある昭和3年建立の『仙覚律師顕彰碑』には、文永6年(1269)にこの地で『万葉集注釈』を書いたという、佐々木信綱東大講師の撰文が記載されている。



(仙覚律師遺跡碑と中城跡の土塁)


小川町はこの仙覚律師にちなんで、万葉の里として毎年1月中旬(今年は1/15日)に『おがわ仙覚万葉まつり』を開催している。(小川町HPを参照)



(万葉集のモニュメントの一例)


駅から遺跡のある中城跡までの道すがらに万葉集の内から70首の歌を選びモニュメントが設置され、小川町では『万葉の里』としてPRしている。


鎌倉時代の僧侶の偉業が約750年後の東国に万葉の文化を花咲かせているわけである。


 この旧跡のある地は、室町時代後半の15世紀に築造された城跡「中城跡(ちゅうじょうせき)」であるが、この岡の西側は八幡神社があり、さらに神社の南には古墳時代後期の「穴八幡古墳」が保存されていた。



(元弘3年1333創建と伝えられている八幡神社、鎌倉幕府滅亡にさいし亡命した守邦親王を祀ったとのいわれがある。)



(八幡神社横の道から見た穴八幡古墳)



(周囲に2重の周掘りが巡っている方墳で、墳丘は高さ5.6m、南北34m、東西24mと記されていた)



(横穴式石室へは入れなかったが、前室と後室の2室に分かれている。この地方で採取される大型の緑泥片岩の一枚石を組み合わせて造られている)



関東平野の北西部、秩父山地の入口に位置するこの地方にも万葉集の息吹が感じられる場所でありました。


文化財地図をいただいた小川町役場の生涯学習課の方、たまたま現地の中城跡で行き会い説明していただいた役場の係の方、そして散歩中の近所のおばあさん、道案内などお世話になりありがとうございました。


追記(1/15日)


・1月15日に”第3回おがわ仙覚万葉まつり”が行われたので、途中からであったが見学してきました。



万葉ウォークラリーが終わったあとの、小川町役場の並びにある町民会館「リリックおがわ」にて、万葉集や仙覚律師の資料の展示とクイズなどのセレモニーが行われていました。



(広場で行われていた万葉クイズ会場と、展示資料の万葉集注釈・仙覚奥書)


町をあげての楽しいクイズや抽選会、絵手紙などの体験をありがとうございました。特に”玉コンニャク”や”古代米おにぎり”などご馳走になりました。


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