直木三十五記念館の日々

直木賞にその名を残す直木三十五の記念館は市民参加型のミュージアム。運営の悪戦苦闘をストレートにお伝えします。

自分の根っこ

2007年11月27日 | Weblog
 本家の法事があったので、12年ぶりに福井に出かけた。平成の大合併で越前町となっているが、本家があるのは昔でいうと福井県丹生郡織田町である。代々建築土木業を生業としており、当主は茂左衛門を名乗っている。なんせ集落には名字は数種類しかなく、大阪では変わった名前で既製品で判子を手に入れることも困難な私の名字も織田では普通の名前ということなのだ。
 それで親戚は住まいをしている場所でお互いを言うようで、本家は「おもや」と言われているし、分家は「でや」それも古い分家は「ふるでや」、私の曽祖父の一統は「おおさか」と呼ばれている。なんでも曽祖父は分家をしてなくて(つまり財産の生前贈与を受けてない)大阪に出てきて商売を始めたので正式には分家ではないそうである。曽祖父は越前が嫌でまず東京に出て餅屋の職人になったそうであるが、餅屋では芽が出ないと判断して、大阪に行き南区瓦屋町3丁目16番地で麻袋の商いを始めた。松屋町の豆菓子の包装資材を扱ってたわけである。今の高津神社の南西にあたる辺りに住まいしていたようである。昭和20年3月に空襲で焼け出されるまでそこに住まいした。父も伯母も叔父も金甌小学校に通っていたのである。


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