直木三十五記念館の日々

直木賞にその名を残す直木三十五の記念館は市民参加型のミュージアム。運営の悪戦苦闘をストレートにお伝えします。

いろは湯へ行く

2007年11月07日 | Weblog
 11月4日のまち歩き「落語で語られた空堀・上町台地」が終わってから、参加いただいた方と運営スタッフで天王寺の「百萬石」にて打ち上。連続参加いただいているIさんはなんと繁昌亭に100万円寄付したという話しを聞く。
 その後皆と別れて前々から一度行かねばならないと思っていた「いろは湯」へ行く。
 直木三十五が編集者をしながら作家活動を開始したプラトン社の編集部は当初谷町にあった。ちょうど現在の安堂寺町から北に下がったところにあるいろは湯の近くであったらしい。
 直木を偲ぶ岩田専太郎の文章にこのいろは湯と直木三十五の思い出が綴られている。
 美人画で知られる岩田専太郎の最初の仕事はプラトン社での専属挿絵画家であった。「苦楽」などに書かれる大衆小説の挿絵を描くのであるが、挿絵は作家からの原稿があがってからその描かれた場面を想像して描くため岩田は遅くまで一人編集部にいることが多かったようである。
 その日もひとり編集部で挿絵を描くために残っていた岩田のもとに、ふらっと直木が現れた。若い挿絵画家にとっては実質的な編集長と言えるような直木に緊張していたら、直木曰く「岩田君、銭湯にいきたいので金を貸してくれ」と。なんでもこれから堀江の「福田屋」に行く前にいろは湯で一風呂浴びてからと思ったようであるが金がないので後輩の岩田から借りたということだ。後日になって直木は先日のお礼とばかりに岩田を福田屋に招待して飲み食いさせたという。
 そういう因縁のある由緒正しき風呂屋である。ここは記念館の事務局長としては入ったことがないのは問題である。念願かなってようやく入浴にこぎつけたわけである。