矛盾と誤解されそうですが、拙著「キネマ倶楽部」の名作三百選に☆印(推奨映画)が付いていない映画もあります。初めの三作品は、80年代以降の映画になれた娯楽志向の皆様にはお薦め出来ません。
「8 1/2」をご覧になった殆ど全ての知人は「チンプンカンプン」とおっしゃいます。しかしながら、知性と感性を合わせ持った方々は…と本音を洩らすと失格退場絞首刑となりそうなので閑話休題。本ものの藝術映画にご興味のある方々にお薦めする作品です。逆に云えば、「8 1/2」に対する反応だけで思想的な人物の深みが分かります。これは、社会的な地位とは無関係であり、むしろ逆に出ると云えない事もありません。
『8 1/2』
フェデリコ・フェリーニ
映画製作を放棄した映画監督の覚醒。これこそが本ものの映画であり、世界中の賞を総なめにした傑作中の傑作です。
『気違いピエロ』
ジャン・リュック・ゴダール
モーツアルト、ランボー、ベラスケス等の引用効果が増幅された佳作。
『アポロンの地獄』
ピエル・パオロ・パゾリーニ
古典戯曲「オディプス」の古代的リアリズム表現。
『フィツカラルド』
ベルナール・ヘルツォーク
特撮無しで完成した執念の実写映画。
『バベットの晩餐会』
ガブリエル・アクセル
非の打ち処の無い洒落た名画。
『ノスタルジア』
アンドレイ・タルコフスキー
映画表現の極地ともいえる名作。
『F for フェイク』
オーソン・ウエルズ
贋作から藝術の核心に迫るウェルズの遺作。
『赤ひげ』
黒澤 明
禅精神を貫く純日本映画の代表作。
『野いちご』
イングマル・ベルイマン
ウェルズの「審判」と並ぶ意識下表現の意欲作。
『ライムライト』
チャールズ・チャップリン
悲愛を核に覚醒観を描き切った傑作。とはいえ、チャップリンを選ぶとベスト10を埋め尽くしてしまう為、熟考を重ねて選んだ作品です。
上記の10作品には共通した観点があります。それは、人惑の論理を超えた世界観を描いたまれに観る傑作群だという事です。どれが最高かという順位の付け様もありません。超論理とは云え、どんな概念も論理的に表現できます。詰まりは、あらゆる現象は分離した小極から相対的な大極を経て、全てが融合した無極に至るのです。これを屁理屈と捉える向きが多い様ですが、真剣切って生きた方々にしか分からない単純な真理かと存じます。我ながら不思議に思うのは、初めに挙げた三作「8 1/2」「気違いピエロ」「アポロンの地獄」だけは、偶然出来た傑作ではなかろうかと感じる点です。
「8 1/2」のフェリーニは、公開直前に結末を「予告編専用に撮った特殊映像」に変えました。元々は死の世界へと向かう列車のシーンだったそうですが、それでは台無しです。作品自体の主題を見い出せない映画監督の迷いそのものが、稀に観る見事な映像で完結しています。が、計画されていた訳ではありません。完成後に急遽変更した映像が、物語に主題無き主題の美学を与えているのです。この作品の評価は極端に分かれます。当の映画作家でさえ掴んでいない無極の美学が、一般の観客に理解出来よう筈もありません。処がプロの映画関係者からは熱狂的な絶賛が多々あり、世界中の映画賞を受け、歴史に遺る名作と云われています。この映画に感銘を受ける人々は、人生の歓びを享受するに違いありません。
「気違いピエロ」のゴダールは、好悪の別れる監督です。当時のゴダールは、撮影自体を偶然にまかせる作家でした。「気違いピエロ」の完成度だけが、例外と云えない事もありません。その秘密は、名優ジャン=ポール・ベルモンド、及びアンナ・カリーナのアドリブ演技、ラウール・クタールの卓越した撮影術、そしてアントワーヌ・デュアメルのたぐい稀な音楽というコンビネーションに依存している様に感じます。演技、美術、音楽の力が、傑作を生み出したのではなかろうか。他のゴダール映画とは、一線を画している様に思います。もう一つの要素は、映画で鮮明に浮かび上がる詩と絵画藝術そのものの魅力でしょう。名作から引用した言葉の洪水があふれ出す。終幕は、アルチュール・ランボーの「地獄の季節」です。絵画も、ピカソ、マティス、ルノワール、ヴェラスケス、現代の戯画と連なります。詰まり、引用された作品群の藝術的魔力が、映画に満ち溢れているのです。特に感銘深いのは、モーツァルトが死の間際に書いたとされる「レクイエム」の「ラクリモーサ(涙の日)」でしょう。ヴァイオリンで奏でられる単調なメロディから、天才音楽家の絶対的な感性に圧倒されます。
パゾリーニは、退廃と醜悪な現実を写実的な狂気で描く作風ですが、「アポロンの地獄」だけは別格です。先ずソフォクレスの戯曲自体に、文学史上にも稀な完成度がある。大筋の物語は、戯曲そのままです。が、果たして映画作家がソフォクレスの大極から無極へと至る思想を狙っていたかどうか、大きな疑問です。映画の完成度が、オディプス王を演じるフランコ・チッティの歴史に遺る名演に依存している点は、先ず間違いありません。そして、シルバーナ・マンガーノ(「ベニスに死す」「家族の肖像」)、アリダ・ヴァリ(「第三の男」「かくも長き不在(ふざい)」)、ルチアート・バルトーリ、カルメロ・べネと揃った俳優陣が物語にリアリティを与えている。もう一つの素晴らしさは、自然の背景自体でしょう。この作品だけは、パゾリーニの作品系列と異なります。詰まり、監督の意図とは関係無い要素から出来上がった傑作の様に思えてならないのです。
他の7作品は、計画的に人為的計算と努力により完成した奇跡の映画芸術と感じます。全ての作品に、偶然ではない「技巧の消えた完成度」がある。どの一作を取っても、史上最高の名画と云う事が出来ます。他にも、上記作品群に一歩のひけをも取らない傑作が多々ございます。ほんの一例を挙げてみましょう。
奇跡の人
ペーパームーン
レベッカ
大地
テキサスの五人の仲間
第三の男
審判
人情紙風船
飢餓海峡(内田吐夢)
博士の異常な愛情
裸足で散歩
シビルアクション
ストレンジャー・ザン・パラダイス
東京物語
ミラーズクロッシング
東京裁判
ニュールンベルグ裁判
野のゆり
素晴らしき哉人生
イヴの総て
恐怖の報酬
モダンタイムズ
アンドレイ・ルブリョフ
アラバマ物語
三人の名付け親
ミツバチのささやき
スケアクロウ
フレンチコネクション II
カスパーハウザーの謎
クル―ニ―・ブラウン(邦題:小間使い)
山河遥かなり
麗しのサブリナ
ガス燈
華麗なるヒコ―キ野郎
キュリー夫人
我が道を往く
チャップリン、キャプラ、ワイラー、フォード、ウェルズなど並みいる天才諸氏の名作を並べ出すときりが無いので、それはさておき。
近年、国際映画祭の受賞作品群を覗くに付け、新しい映画を観たいという意欲が低下しており、それよりは見逃している過去の名作を順次観たいという気持ちがあります。とは云え、技巧的に優れた映画作家はごく僅かながらも存在します。しかしながら、分離した小極にこだわれば、戦後の不条理文学のごとく22世紀以降は塵箱行きとなる事は先ず間違いありません。たとえ一作でも、上記の名画に並ぶ様な、或いはより優れた映画を見過ごしているとすれば、それは驚きという以上によろこびとなる事でしょう。
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