「自分は何でも知っていると云う人間と、自分は何も知らないと云う人間が居る。どちらが賢いか」
これは、ソクラテスの言葉だそうです。さて、如何なる答があり得るでしょうか。ソクラテス曰く、「知らないと云う方が賢い」。本当にそうでしょうか。
タルコフスキ-の詩に「私は賢く愚かだ」と云う一節があります。参考になりますか。ならない。それでは、より分かり易い観点から考えて見ましょう。
「賢くなければ、自分の愚かしさに気付かない。自信過剰の愚か者でもなければ、自分が賢いなどとは思わない」
これなら論理的ゆえ、聡明な読者諸氏であれば理解出来た事でしょう。余計混乱した…。確かにソクラテスの論理には矛盾があります。が、論理哲学はどれも同じ様な屁理屈ばかりです。
「あるがままの賢さと、あるがままの愚かさがある」
これで、ご納得頂けたかと思います。
「だから、何なのさ。そのまんまで、何も分からん」
それでは、どうせ分からないものと諦めて、禅思想風に付記させて頂きます。
質問にも答にも意味がありません。二元論を排して、絶対的な根本義を求める。そう悟った時に真理が見えます。これなら、お分かりでしょう。チンプンカンプン…ですか。参ったね。
そういう方は、御存分に迷って頂く他ありません。人間は、迷いたいから論理を求める訳です。理屈を勝手にこね回して智性と呼ぶ。従って、ごく自然な人類の因果とも云えます。