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名邑十寸雄の手帖 Note of Namura Tokio

詩人・小説家、名邑十寸雄の推理小噺・怪談ジョーク・演繹推理論・映画評・文学論。「抱腹絶倒」と熱狂的な大反響。

@ 非論理エッセイ 【パブかバ―か。語源の疑惑】

2025年04月13日 | 日記
 ロンドン郊外サルズベリーの街で、英国の友人と呑み歩いた夜の事です。英国のパブでは、皆立ったまま話すのが好きですが、その内疲れるので次の店まで運動がてら歩き、呑み潰れるまで酒を交わします。

「足元に長い棒がある。アメリカでは、パブと云わずバーと云う。その語源を知っているかい」
「足休めだから、バーは休息という意味じゃないかな」
「この長い棒の語源を聞いているんだ。先ず分かるまい」
 暫く考えて答えた。
「昔は、バーの外に馬を繋いでいた。それが語源だろう。要するに、客を馬と同等視したんだろうね」
「皆呑み潰れてしまうので、馬泥棒に盗まれて仕舞う。それで要らなくなったバーを足安めに使い始めたのさ」
               *

 様々な憶測が伝わっていますが、真相は藪の中です。馬を繋ぐバーが無くなれば客が来ないという推測も成り立ちますが、「列車の登場で馬を繋ぐ棒が要らなくなり、それからバーが出来た」という屁理屈もまことしやかに伝わっています。誰かが、思い付きで足安めの棒を置いたので、パブを「BAR」と呼んだのではないでしょうか。そもそもパブは「PUBLIC HOUSE」の略称です。普通の家に皆が集まり、「公の」と云う意味になったものです。言葉にしても歴史にしても「起源」ほどあてにならないものはありません。そもそも、そんな瑣末な事に意味を付けたがる現代人は、情報過多で精神に異常を来していると思いますが、作家にもそういう性癖があるので、それはさておき…。

 多くの伝説や語源は当てにならないものです。が、元々曖昧な情報に尾ひれを付ける事を人類は好む。なぜならば、辻褄を合わせて安心したがるからです。バーの語源を探求しても仕方ないと思われるむきもあるでしょう。が、僕はもう25年間考え続けています。他に語源が不明なのは雲古(ンコ)ですが、こちらの方は、別に知りたいという訳ではありません。

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