名邑十寸雄の手帖 Note of Namura Tokio

詩人・小説家、名邑十寸雄の推理小噺・怪談ジョーク・演繹推理論・映画評・文学論。「抱腹絶倒」と熱狂的な大反響。

@ 非論理エッセイ 【聴きたくない台詞(せりふ)ベスト・テン】

2016年07月25日 | 日記
 聴きたくない台詞を思い付いたままに羅列してみます。

十位)神に祈りなさい。

九位)愛と友情に基づく募金をお願いします。

八位)アホ、馬鹿、間抜けと三拍子揃ったいかれポンチ。

七位)出入り禁止。

六位)あんたは馘首(くび)。

五位)殺してやる。

四位)お覚悟を。

三位)切捨て御免。

二位)ショット・ガンが暴発した。

 首位)は、人に拠って様々です。例を上げると、「貴方が殺した筈の被害者は、未だ生きています」「宝くじの特賞当選は、番号違いでした」「実はあたくし、宇宙人なの」「今食べた刺身は、河豚の肝臓です」「此処は天国ではなく、地獄の入り口」、などなど。

 「この世の何もかもが、夢まぼろしだった」なんて台詞も、一筋皮を剥がれる様で薄気味悪い。「何処」で「誰」に云われるかにも拠ります。一番怖いのは、最期の息を漏らす臨終の床で、心の裡から生じる真実の声かも知れません。それは、その時にならなければ予測出来ません。問題は、心理学的な観点ではない。死の直前には、脳自体が麻痺しているからなのであります。

@ 非論理エッセイ 【己を信じきる方法】

2016年07月25日 | 日記
 己を信じる事が大悟正覚の前提です。自分の感性を磨き、自ら課した期待に応じられる自分を創り上げる事です。

 その為に、人の百倍働き、推理力を研ぎ澄まし、分析に徹夜を重ね、幾度もの推敲の後に判断を下し、時と場所を選り好みせずに行動し、精神と体力の限界を超えても必ず目的を達成する事。異常な忍耐力さえあれば何とかなります。簡単に云えば、人の厭がる仕事を片っ端からやってみる事かも知れません。すると、困難を愉しめる様になる。

 このモ-ドに入れば、自然と自分の感性を信じられる様になります。一度しか無い人生です。明日と云わず、是非今から試しては如何でしょうか。


@ 非論理エッセイ 【黒澤明監督の知られざる名言】

2016年07月10日 | 日記
 怒りを抑える名言が多々あります。

1)「怒りは心身を害し身の破滅を呼ぶ」  
   
  確かに名言です。

2)「極悪人といえども、悪口を以って罵るべからず」  
   
  これも名言です。

3)「三十六計逃げるに如かず」  
   
  飯篠長威斉流の平法(兵法)です。

4)「道の為に命を惜しむなかれ。亦、惜しまざる事なかれ」  
   
  平常心が肝要です。

5)「風に向かって座し、日に向かって眠る」  
   
  ここまで来ると、不動心と云えます。

6)「死の身近にある事迅速なり」  
   
  生の貴重なる事を知る名言でしょう。

7)「仁ありて謗ぜられるは憂いにあらず。仁無くして賛ぜられるは憂いとすべし」  
   
  ごく当たり前です。


 名言にも間違った想念が多いものです。

1)「無言にて母を三度唱え尚怒り収まらず也」  

  貧愛の感情であれば、根本の解決策になりません。

2)「悪人討つべからず。天罰を待つが王道」  

  これは、余り当てにはなりません。世のトップは悪人ばかりです。

3)「唖せず聾せざれば家公とならず」  

  これは間違い。「唖して聾せず」詰まり「聴く事は聴き沈黙を守る」が正解。優れたトップの必要条件とも云えるでしょう。

4)「学道の人は、世人の情を棄つ可きなり」  

  愚かな言葉です。世人の情を識(し)らずして、【一即多】を識る事及ばず。情は捨てるのでは無く、学道に順ずれば、自ずと邪魔にはならないものです。情を捨てて道を究めようと思う未熟な方には、正しい見地が観えない。物理的な観点に陥り、間違った方向に行く筈です。

5)「貧にして貪らざる時安楽自在なり」  

  変な言葉です。「貧にても富裕にても」が正解。詰まり、只貪らなければ良いのです。

 「生きものの記録」の原爆非難に対して個人攻撃され、連作に流れる禅の主題を「道徳的に過ぎる」とこき下ろされ、命の尊さや平和の想念を誤解され続けた若き黒澤明監督の言葉に「人を憎んでいる暇なんか無かった」という名言があります。五十六歳にして完成した「赤ひげ」も想像を絶する困難の末に完成した名作であり、何処から観ても日本映画史上の頂点を極めた最高傑作です。初期の名作「羅生門」は、日本の映画関係者と批評家から侮蔑され無視されました。が、ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞とイタリア批評家賞、アカデミー賞名誉賞、米国ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞の監督賞、外国語映画賞と欧米の主たる映画賞を立て続けに受賞すると一躍英雄となる。批評家やマスコミに迎合する一流人はいません。当然の事だと思います。非難すらしない。相手にしないだけの事です。それはさておき…。

 心底頭に来た時には、「堪忍の、ならぬ堪忍するが堪忍」という、一見穿った名言があります。が、「堪忍する」と思う心自体を放下するのが正しい見地ではないでしょうか。堪忍すると云う気持ち自体に、執着がある。怒りを抑えるのではなく、怒りなど生じないのが一流の人物と云えます。黒澤監督は、その心を「人を憎んでいる暇など無かった」と、冗談交じりにおっしゃったのです。

 愛や正義と屁理屈を付けた復讐や殺戮を止めるには、少年少女時代から正しい見地を学ぶ他ありません。僕は新作を書く度に、真の平和のあるべき姿を子供達に直観して貰う様に描きます。一体後何百年待てば良いのか気の長い話ですが、他に確実な方法はありません。