名邑十寸雄の手帖 Note of Namura Tokio

詩人・小説家、名邑十寸雄の推理小噺・怪談ジョーク・演繹推理論・映画評・文学論。「抱腹絶倒」と熱狂的な大反響。

@ 非論理エッセイ 【血文字の遺言って、どういう意味】

2024年03月26日 | 日記
 「血文字の遺言」という常用語が、ある訳ではありません。昔の作品ですが、如何云う意図で書いたものか久方振りに想い出してみます。

 この宇宙には、地球40億年の歴史でさえほんの一瞬と云える果てしない時空を超えた因果律がある。それが「血文字の遺言」ですので、確実に存在します。現代の科学レベルでは解明出来ませんし、一般の学者や宗教家に任せる観点でもありません。そういう巨大な世界観から、現実のあるがままの真相を看破する観点が【血文字の遺言】という物語の底辺に流れています。禅思想がその入り口にある訳です。

 拙著には「血文字」という名のICチップが登場します。これは、人間の脳波を絡ませた【知的計算機】です。詰まり、人間の血を受け継いだ機械なのです。但し、SF映画の様な論理ではありません。現状は核分裂などの真性乱数開発が暗号解読の最先端技術ですが、将来必ず【血文字】の様なICが実現する科学的根拠があります。その時に、地球史上最大の危機が訪れる事でしょう。

 お伽話の様なSFが世の中に溢れていますが、科学技術の行き着く先には進化と共に現実の危機が混在しています。手遅れの人的災害が多々ありますが、責任の所在は曖昧です。「血文字の遺言」をお読みになる未来を担う若者達に、正しい見地をお持ち頂く様、祈る様な気持ちもあります。戦争はドラマでも幻想でもありません。この世界に確として存在する現実であり、人類が創造した地獄なのです。

 読む方の世界観によって異なる理解となります。が、放下思想がこの世の真相を捉えるきっかけとなる事、お若い読者層には何らかの思想形成の門出になる事を願っております。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

@ 非論理エッセイ 【エベレスト登山隊】

2024年03月26日 | 日記
「我々はエベレストを征服したのではありません。エベレストの機嫌の良い時に、登らせて貰っただけです」

 登山に限らず、科学の発展と予算の掛け方に拠って今後探検の難易度は下がる事でしょう。コロンブスではなくアメリゴ・ヴェスビッチがアメリカ大陸に初めて到着した偉大な船乗りであるという観点に異論はありませんが、最初の発見者ではありません。

 その五千年以上も前にアラスカ経由で現在アメリカと呼ばれる大陸に移住したモンゴル人の苦難は想像を絶する奇跡とも云えます。何世代も掛けてその苦難を乗り越えた方々は、一行の言葉さえ残していません。南極探検にせよ、宇宙旅行にせよ、当初その難事に挑戦し続けた世界観に頭が下がります。

 藝術も似ています。優れた作品が生まれる時は主軸となる機鋒があり、それにからむ題材、動機、表現、リズムなど全ての要素が機嫌良く調和するものではないでしょうか。おそらく、完成直後の藝術家は偶然の作用と力を感じる事でしょう。不為の作品というものは、作家の構想や技巧に縛られませんし、エベレスト山を登る時の様に幾多の偶然が重なった結果とも云えます。

 ベートーベンの第九に限らず、セロニアス・モンクのジャズ演奏などにしても、きっかけから大団円まで持ち堪える構想と技巧の調和に深い感銘を受けます。音楽家の想念や技巧の欠片が微塵も残っていない。それが、偉大な藝術に相通じる共通点かも知れません。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする