名邑十寸雄の手帖 Note of Namura Tokio

詩人・小説家、名邑十寸雄の推理小噺・怪談ジョーク・演繹推理論・映画評・文学論。「抱腹絶倒」と熱狂的な大反響。

@ 非論理エッセイ 【小林一茶の俳句】

2017年01月16日 | 日記
 花の陰 あかの他人は なかりけり

 赤の他人は、明らかな他人という意味ですが、これを赤ではなく「あかの他人」とかなで曖昧に表現した処に一茶の感性がある様に思います。「花見に集う人々は、家族の様にむつまじい」と現実的に言葉の表層のみ解釈する向きが多い様ですが、詩聖一茶は桜の木陰に何かを見出したのではないでしょうか。「先史の幽霊が隠れている」と捉える事も可能です。そうなると怪談俳句となりますが、恐怖を詠む句会などは面白そうです。閑話休題。

 花も、花見に集う人々も、その他木陰に隠れた事象も全て因果律で繋がっている。生命体系の全体観を背景に置き換えると、俳句の世界が果てしなく拡がります。それは、あるがままの無為自性を直観する覚醒と云えるかも知れません。花と循環世界が一体であるという一即多の表現には、松尾芭蕉と並ぶ大きな詩想が感じられる。同じ時代に生きていたなら、是非一度詩想の教えを請いたい俳人です。俳句の妙味は、曖昧さの中にある確かな思想です。

 芭蕉、蕪村、一茶は、日本が世界に誇るべき大詩人です。が、西欧論理では理解し難い。ABCの記号文化的想念にはそぐわないのです。逆もあり得ます。ジャズのリズムは殆どの日本人に掴みきれないし、古典音楽のドイツ流遠聴理論も他国人には難しい感覚です。本場ウィーンのワルツはドイツ人でさえ正確に刻めないし、砂漠の詩想も文明国ではピンと来ないでょう。が、一茶の名句には、それら全てを包み込む様な大らかさがあります。