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名邑十寸雄の手帖 Note of Namura Tokio

詩人・小説家、名邑十寸雄の推理小噺・怪談ジョーク・演繹推理論・映画評・文学論。「抱腹絶倒」と熱狂的な大反響。

@ 非論理エッセイ 【正しい批評】

2025年04月13日 | 日記
 「批評という行為は、人に石を投げておいて自分は安全な処に隠れる行為だ」という言葉があります。

 批評家は、殆どの藝術家から嫌われます。創造の過程を知らず、結果から推測する無責任な意見が多いという苦情が多々残されている。何でも傾向や流派や主義などに分別せざるを得ない客観性、論理性を求められるのが批評家の難しい立場です。多数の賛同を得ようとする立場から、どうしても論点が狭まる。世界観を拡げた反論は容易ですが、安易に否定するのは行き過ぎかも知れません。

 一例を挙げてみましょう。印象派と呼ばれる画家群は、優れた異なる作風の画家が同時期に排出したにもかかわらず、派閥の様に一まとめにされます。個々の画家が「自分は印象派ではない」と主張した記録がありますが、そもそも何々派とする論理に無理があります。そんな立場にいるのが批評家と云えます。しかしながら、良心的な批評家には基礎知識しかない子供達や学生、分野外の方々に概論を教える基本姿勢があります。基本概念を伝えたいという良心がなければ、自己矛盾を感じながらも本音を語るでしょう。しかしながら、誠実な批評家ほどその良心ゆえに表現方法が狭まるものです。

 東北311災害に付いて報道陣から多くの批判が出ました。攻撃の矛先は政治家や東電です。東電の醜態という表現には、報道システムの問題もあります。トップがうろたえるのは当然です。社員の皆さんは命がけで闘っているのです。それを理解して応援するのが、正しい見地と良識ある方々は承知しています。が、批判的な意見も出さねばならない。そういう辛い立場、相手の苦境や努力も知りながら、比較論理として攻撃する場合が多々あります。

 どんなに悲惨な事態にも拘わらず、自然は無常のことわりを示し、人の心に真理を伝えます。災害時には不埒な動きも出ますが、逆に小さな真心や良識ある方々の意外な善意に接するものです。悪い面ばかり見ればきりがありません。「報道の自由」という意味を取り違えない事が肝要です。多数意見に迎合せず、喩え少数でも正しい見地に立つ人々が歴史を支えて来ました。多くの政治家も、企業家も、予測し得ない困難と日々闘い続けています。そういう方々を応援するのが正しい見地ではないでしょうか。

 その裏面には、良識ある報道陣が口を閉ざせない歴史的因果があります。軍国主義という単純な一言で一緒くたに論じ得ない複雑な歴史がある。評論家や報道陣は、異なる立場で批判を続ける。政治家はじっと黙さざるを得ない。それが社会の均衡を保つ因力でもあります。表層の言葉は信頼に足りません。寧ろ誤解を生みます。立派な政治家や企業家の沈黙には、葉隠れ精神があるものです。


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