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名邑十寸雄の手帖 Note of Namura Tokio

詩人・小説家、名邑十寸雄の推理小噺・怪談ジョーク・演繹推理論・映画評・文学論。「抱腹絶倒」と熱狂的な大反響。

¶ キネマ倶楽部 「野のユリ」

2019年08月10日 | 日記
 自分で映画を創るのであれば、こんな映画を撮りたい。それほど自然な、完成された名作です。が、こういう作品ほど撮るのが難しい。シドニー・ポワチエが、アカデミー主演男優賞を取った偉業は歴史的な事件ですが、他にもマザー・マリアを演じたリリア・スカラ、皮肉を云いながら応援するスタンレイ・アダムスなど名優が揃っている。4人のシスターを演じた女優も皆一流です。完成された傑作名画は、他の役者に置き代えられない絶対性があると云われますが、この名作こそ正にその名言が当て嵌まります。

 ストーリーは単純です。果てし無い荒野に小さな教会を建てようとするシスター達が居る。遠い東ドイツ、オーストリア、ハンガリーから海を越えてはるばるアメリカ大陸に辿り着いた一文無しの哀れな五人の女性です。そこに、偶然通りかかった黒人青年がいる。彼は、日雇いの賃金目当てで半日だけ手伝う積もりなのですが、修道女達を傍観する人々の無理解に対する反発から彼女達の夢を叶えてあげ様とする。心温まる物語と云えばありきたりの作品の様に思われるでしょうが、そうではありません。生き方の違いや反発からシニカルな対立が錯綜する傑作ドラマなのです。

 先ず、脚本が上手い。台詞の上手さだけでも、現代では考えられない完成度です。必然的に、名優諸氏の演技にも最高の「溜め」と「間」が生じる。英語、ドイツ語、ラテン語にそれぞれの訛りが絡み、仲々通じない言葉の苛々が可笑しい。「スミス」は「シュミット」、「WHAT(ファット)」は「WAS(ヴァス)」、ドイツ語の「カぺル」は英語で「チャぺル」だと教わったばかりのマザーが、黒人青年の云い間違い「シャぺル」を高圧的に修正する。逆に、青年がシスター達に基本英語を教え、「アーメン」ではなく「エーメン」だと修正して黒人聖歌ゴスペルを教える。シスターの依頼を断る「No」が巧みな遣り取りを経て「Yes」に変わる妙味。貧しい青年は結局1セントも貰えません。それどころか、外で働いた収入でシスター達に贈り物をする。しかし、マザーには感謝もされず「神の御意志だ」と丸め込まれてしまう。マザー・マリアは、常識通念に基けば青年を騙し続けていると云えるでしょう。しかし、その分母には無心の祈りがある。教会を建てたい。何としても建てたい。命も惜しまない。が、資金も材料も満足な食べ物さえ無い。そこに、シスター達の孤独と絶望がある。処が、荒野に住むラテン系の居住者達も、レストランの親父も、ワゴン車で布教を続ける神父も、皆各々に孤立しています。その分離した小極から、紆余曲折を経て大極たる和解、そして皆で協力してチャペルを完成する。満足そうに去る黒人青年は、何の見返りも望まず何処行く当てもなく無極へ向かう。ポワチエの演じた青年像は、人類の誇りとも云えるでしょう。当時大きな話題であった黒人差別意識など入りようもない人間の自然な威厳を具えています。

 現代のポワチエに関する評論には「その後立派な黒人像がすたれ、ポワチエの様な役者は無用の存在になった」という論説が権威あるWEBに書かれています。映画の欄を観ると、監督、名優のスキャンダルや私生活など映画とは関わりの無い内容ばかり。まともな論評はひと欠片もありません。パンフレットを観ても、広告宣伝を目的とした無責任な意見ばかり。映画藝術に古いも新しいも無い。本ものと偽せものがあるだけの事です。人種に関わりなく…シドニー・ポワチエは、二十世紀を代表する名優の一人であり、その後も人格の滲み出る彼の独特な演技を超える役者はいません。情報過多となった現代では、99%的外れな論説が溢れ返っている。それを嘆いても仕方ありません。喩え1%にせよ、まともな評論があります。それを愉しむのが良いでしょう。

 題名の由来となった言葉、労賃を払えないマザー・マリアが青年を丸めこむ台詞には不思議な妙味があります。「野のゆりの育つ様を観なさい。働かず、紡ぎもしない。しかし、ソロモン王でさえ、この花ほど着飾る事は出来ない」
 安手の映画と異なり、教訓的な場面ではありません。文句を云う青年が、マザー・マリアの屁理屈に云いくるめられ妥協するプロセスが面白いのです。パンにミルクという彼女達の食事は極めてわびしい。青年が荒野のレストランで食べ物を注文するシーンが笑えます。WOJ(ダブルのオレンジ・ジュース)、ホットケーキにバター、メイプル・シロップ、目玉焼き5枚、山盛りのソーせージ、マーマレード、トーストとコーヒー、チーズにパイ。どれも御馳走とは云えません。しかし…シスター達の貧しい食事との対比、そしてポワチエによる絶妙の演技で、如何にも美味しそうに感じるのです。

 スタッフ面から観ると、光と影を操るカメラが上手い。ジェリー・ゴールドスミスのシンプルな音楽が抜群です。ジャズ風、ゴスペル風、カントリー風、クラシック調と変化する絶妙なBGMは、僅か一曲の「エーメン」を様々に転調編曲して表現されます。人間関係と連動し、場面毎のモチーフを自然にバックアップしている。         

 少人数の名優揃いで優れた企画の映画であれば、今でも然程制作費は掛からないでしょう。本当に良い映画は、必ずしも大きな予算が要らないという代表的な好例です。良い脚本、監督、役者、音楽、カメラ、それに最高の自然と背景があれば、後は智慧の力と感性で藝術が出来上がります。この世に遍く広がる奇跡を、実に見事な形で表現した傑作かと思います。
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