曲がり角で みつけたもの

思秋期になり曲がり角に差し掛かってきました。その中で感じた事、見つけたものを記事にしていきます。

火山の噴火後…鎮火は?

2011年09月07日 | 日記

結婚しておよそ30年。結婚した当時の言い方では「嫁いで」もうすぐ30年。

親の世代は(私たちの年代も)嫁に行くとか、嫁を貰うと言いますね。

私の娘は「結婚した」と言い、決して嫁に行ったとは言いません。

事情があって、娘の夫は実家と距離を置いています。はっきり言えば、結婚して、もう、実家とは縁を切りたいと思っていたようなのです。 

娘に子供(男の子)が生まれた時も向こうのお母さんは入院中に一度お見舞いに来ただけで、そのあとも子どもの顔を見にくる事もなく知らん顔だったのに、娘夫婦と婿さん側の実家がもめた時、向こうのお母さんから私に電話で「うちの嫁なのに、子どもを連れてこない」と言いだして、「なんて嫁だ!」と叱られました。

娘の夫もはっきり、「僕はTさんと結婚しました。(自分の)母親が『長男の嫁を貰ったはずだ』と言っても、僕は2人の家庭を作ったので、母親がうちの嫁と言っても、お母さん(=私)、僕がはっきり言いますから」と言われていましたし、いろいろ事情も聞いていたので、その時も冷静に、「困った娘ですね。どうぞ、直に(メールでのやり取りではなく)思いっきり叱って下さい。喧嘩してもいいんじゃないですか。直接話さないとわからないこともありますから。娘はまだ、子どもを連れてそちらまで一人で行くことは出来ないので、うちにもまだ、何回かしか連れてきたことはないんですよ。お母さんの方で、近くまで来たついでに、子どもの顔を見に行ってやってください。」と言いました。

私と同じ世代の人でも「うちの嫁」と言うのね、と(私は嫁と言われ続けているので、うちの嫁と呼び付けるつもりはありません)ちょっと驚くと言うか、がっかりしました。しかも、何が気に入らなかったかわからないのですが、一時娘夫婦からの電話にも出ないし、メールの返信もないし、と言う事があったと聞いていたのにです。

「忙しくて、ほんとに忙しくて…」と言うので、「何回ぐらい電話に出なかったんですか?連絡しなかったのはどのぐらいですか?」と尋ねると、

「いや、そうじゃなくて、息子たちからこっちに来たいと言われたけれど、忙しくて3回断ったら、それから、向こうから音信不通になったのだ」と言うのです。

「普通誰かに3回断られたら、来るなって言われていると思うと思いますよ」

と言うと、急にしおれたようになってしまって、もそもそ、「忙しくて…。それぐらいわかるかと思って」と言うので、「わからないと思いますよ。しかもメールでしょ?お互い忙しくて短い電報のようなメールじゃあ、いろいろ誤解もあるんじゃないですか?いいんですよ、お母さん、仕事の帰りに押しかけちゃって顔を見せて下さい。孫の顔が見たかったら、いついつ連れてきてって言ってやってください」と伝えました。

その後、直接お義母さんと話をして、今は行き来するようになっていますが、まあ、いろいろ理由はあったでしょうが、一番は「長男の嫁」なんだからとお母さんの方は思い、「長男」の方は、「嫁をもらった」のではなく、「僕の妻」になったと思っていると言うことが、行き違いの原因のように思います。

80代の両親を持つ「長男の妻」をもう30年近くやっている、私とすると、「夫」がいる娘の事がうらやましい気がします。私には「夫」はいません。「何々家の長男」「うちの長男」しかいません。いつまでも息子でしかない人がいますが、もう、いまさら「夫」にはなれないでしょうね。

今まで、一度も噛みついたことがない私に噛みつかれ、「嫁」に逃げられるかも、少なくとも不満はあるらしいと、気がついたらしく、ついでに私に初めての雷を落とされた息子も、この家の長男も(戸籍上は夫とよばれるのだけれど)急に、マメにメールや電話で、どこそこ言ってくるとか、何時に帰るとか言ってくるようになりました。

義父母も今まで、自分たちとかわいい息子と孫にはあるけれど、「嫁」には買って来ない、勧めないなんて平気でしていたけれど、思い出したようにではありますが、一応、私の分も数に入ったようです。

あれから一カ月。

すこ~しだけ、もうちょっとこの「家」に残ろうか、なんても思ったりもしますが、オットの定年と還暦を祝って、旅行を企画していたのに、「行く気はない!」と言うあの一言は、30年近くの積み上げたものをもろくもはかなく砕けさせてしまって、その、片づけをする気になれないのです。もう一度積み上げることは出来るだろうか。もうこれは瓦礫でしかないように感じてしまうのです。

もう、「嫁」だけは嫌だ。「妻」「夫婦」になりたい。

でもオットには、その気持ち、一生わからないだろうな…。



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