曲がり角で みつけたもの

思秋期になり曲がり角に差し掛かってきました。その中で感じた事、見つけたものを記事にしていきます。

家に寄ってお茶を飲んで行ってください。

2012年01月24日 | これって介護?

最近、介護をされている方のブログをよく読ませていただいています。

それを読みながら、いろんな事を考えちゃうんですけど、読みながら、鮮やかに思い出した事がありました。

ず~とず~と忘れてしまっていたんですが、息子が中学の時、書いた作文の事です。

といっても、もう中学生にもなれば、作文なんて親に見せたりしないですよね。(え?見せます?)少し、いやだいぶ奥手の息子ですが、さすがに中学2年3年あたりはそうそう、親とも話をしなくなり、野球をやっていたので、野球部のお母さんからの情報が息子を知る手立てみたいなところがありました。それでも、部員の父母にはいろいろお世話になり、よその親御さんには話をしたり、部員同士の話を、送迎の車の中で聴いたりということがあったので、客観的に見ることもできて良かったと思っています。

さて、本題に戻ってその作文、直接私は読んだわけではないんですが、3年の夏が終わり、その時なかなかいい成績で、上の大会にも出ることが出来、最高の夏が過ごせた、と、先生を交えて、親子の懇親会があった時の事です。

人並み外れて体も小さく幼い感じで入学した息子が、イッチョマエに人前で挨拶したんです。それを聞いていた恩師が、しみじみ、「すごい成長だなあ。お母さん知ってますか?あの子の書いた作文読みました?僕、本当に感動しちゃって…。いい子に育ってくれましたね」

と言ってくれたんです。

その作文の事は私は全く知らなくて、先生に尋ねたら、「その作文、入選したんですよ。お母さんに言わなかったですか?ホントにいい作文なんで、僕、今度、学校通信で一部入れさせてもらいますから」と言われました。

後日学校通信を見たら(A4版1枚)息子の入選したと言う作文の一部が載っていました。

体験学習で、老人ホームに行った時の感想でした。

「……僕のそこでの仕事はお風呂から出た老人に靴下を履かせることでした。なかなかうまく履かせることが出来ずに、時間がかかってしまいました。すると、老人が何か言っていました。切れ切れでよく聞き取れず、今までにないぐらい、一生懸命聞きました。こんなに一生懸命耳をすませて聞いたことは初めてです。

誰か知りませんが…ありが…とう…ございま…す。

よかった…ら、いえに…よって…お茶を…のん…で…いって…くださ…い。

おじい…さんが、いえ…に、いま…すから。

お…じい…さんも…よろ…こびます…から…

と、言っていました。

僕は靴下を履かせる事も満足に出来なかったのに、こういってくれました。今までに一番うれしい言葉でした。…」

小さな学校通信の中に小さい字で、ここの部分を入れてくれました。

私もこの時の話は全く聞いていなかったので(感想など)驚くと同時にちょっと感動してしまいました。

 

あとで確認したら、コンクールに出すのに、もともと書いた文と変えさせられた部分があって、本人はそれが嫌で、私に言わなかったそうです。

本人は初めは中に入った時に嫌な臭いはするし、窓には鉄格子のようなものがはまっているし、鍵は掛かっているし、牢屋のようだった。いる人たちは正直言って気持ちの悪い、生きているのか死んでいるのかわからないような人に見えて、逃げ出したかった。枯れ木のような物も言えないと思っていた老人が、そんなことを思ってくれたと言うことにびっくりした。

と言うことを、正直にありのままに書いたそうなんですが、コンクールに出すのに、表現に問題があるところを書き直させられたそうで、そこが本当に自分の感じたことだったのにと、腹を立てていると言っていました。

先生が学校通信に載せてくれなければ、私も知ることが出来なかった事で、息子の書いた作文がうんぬんもですが、もう何もわからないだろうと言うような人も、ちゃんとわかっていて、こんな事を思うんだと、切ない想いがしました。

そのことを時と共に忘れてしまっていたんですが、子育てと介護のはざまで悩んでいる方のブログに、やはり入選した作文がたまたま知っている方の子どもさんで、その作文を読んで衝撃を受けたというのが、あって、それを読んで、息子の書いた感想文を鮮やかに思い出しました。

今はオット母の事をうざったく思っている、息子もこんなことを感じていた事があったんですよね。心配しなくても「芯は」大丈夫だとの思いをあらたにしました。

あ~~、今日は、らしくない記事を書いてしまった

う~~~、想いだして、泣いちまったりしてさ~~~。なぜか(年のせいだわさ)泪がとまんなくなっちまったりして~~

たまには私もシビアになることもあるのよんたまにはね(^_-)