五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

冷戦の終わりで復活する神々 其の参

2005-09-07 21:27:45 | 仏教以外の宗教
其の弐に続き

■其の弐で指摘しましたように、ポーランド正教会はローマ・カトリックの支配下に入った事が有ります。これは国家の生き残りを賭けた対ロシア戦略として苦渋の決断だったと思われます。歴史上、二度も分割されて消滅したポーランドですから、宗教組織も過酷な歴史を背負っています。独立の気運が高まるたびに正教会が精神的な支柱となって来ましたが、ローマ・カトリックの政治力に頼らざるを得ない時も有ったのです。この妥協の中から、ポーランド出身の先代ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が誕生したのです。米国による反ソ連戦略に協力したローマ法王庁が積極的に動いた影響は非常に大きかったと言われていますから、ポーランドは正教会の信仰を持ちながらソ連崩壊時代の危機的状況をローマに支えられて切り抜けたのです。

■ポーランドは明確に反ロシアの独立国となりましたが、ウクライナは自らのアイデンティティを保持するのが更に困難な歴史を持っています。ソ連が崩壊した後の1992年3月13日に、イスランブールで45年ぶりとなる東方正教会の首脳会議が開催されました。ギリシア、ロシア、セルビア、ブルガリアなどの教会代表が集まってソ連消滅後の正教会世界について議論したのです。会議後の発表された宣言には、


「バチカンの指導によるウクライナ・カトリックの活動を非難する」

という明確なローマ法王庁との対決姿勢が打ち出されています。こうした動きにクレムリンは便乗しようとしているのは間違いないでしょう。ロシアはうっかりすると、ポーランドという前門の虎とウクライナという後門の狼に挟み込まれる事を恐れています。

■事実、昨年のウクライナ政変で、親欧米政策を主張したユシテェンコ政権の樹立にポーランドが積極的に支援した事をロシアは深く怨んでいます。今年になって、この相互憎悪が火を噴いています。


7月31日、ワルシャワで露外交官の息子3人(16~17歳)が多数のポーランド人の若者に袋叩きに遭って負傷。プーチン大統領は「非友好的行為」と非難。
8月7日、モスクワのポーランド大使館の領事部員が路上で暴行を受けて入院。
8月10日、ポーランド大使館の2等書記官が路上で暴行を受けて入院。
8月11日、ポーランドの有力紙「ジェチポスポリタ」のモスクワ特派員が路上で暴行を受けて入院。


連続暴行事件に対してポーランドのクワシニエフスキ大統領は「ポーランド社会は怒りを募らせている」と抗議声明を発表。暴行の手口から、極右団体の犯行との説に混じって特殊部隊などのプロの襲撃ではないかとの噂まで出ています。

■ウクライナ人はロシア人を「モスカリ」という蔑称で呼ぶほどの憎悪を心の奥に持っています。ロシア帝国時代にはロシア正教会が宗教の名を借りた民族支配を強行しましたし、ソ連時代には宗教を認めない社会主義でありながらも共産党はロシア正教会をKGB支配の道具として利用しましたから、ウクライナは二重に抑圧されていたことになります。ウクライナ人の独立を求める心は凄まじく、スターリン時代にはナチス・ドイツ軍と手を組んで対ソ戦争をする者まで現れるほどでした。ウクライナは歴史的にロシア帝国の発祥の地でもありますから、ロシア正教が生まれ育った場所でもあります。ですから、ロシア人にとってはロシア領内に含まれるのは当然と考えていますが、ウクライナ人は言葉も文化も違うと言って譲りません。その独立心を補強する文化の中にカトリック信仰が深く組み込まれているのです。

■ロシア人の歴史は、普通16世紀に始まると考えられていますが、その前史として「中世」が存在します。しかし、この前史が重視されるとロシア帝国の正統性が揺らぐので、ロシア人は切り離して封印して置きたいのです。穀倉地帯のウクライナにはキエフ公国が君臨していた時代、寒冷なモスクワ周辺のロシア公国は弱小でした。その後、現在のウクライナ、ベラルーシ、ポーランドの一部を含むガリツィア・ボルヒニア公国という強大な国が栄えた時代が有りました。この公国はキエフ総主教の管轄下で独自の東方教会を運営していたのですが、現在のポーランドとリトアニアを合せたポーランドが、このガリツィア・ボルヒニアを14世紀に併合してしまいました。ポーランドは熱心なローマ・カトリックを信仰する国でしたから、キエフ総主教がカトリックに吸収されて行きました。1990年に独立したリトアニア共和国はカトリック国です。ガリツィア・ボルヒニア公国の首都はキエフの西500キロメートルに位置するリボフ(リビウ)でした。先のウクライナ大統領選挙でも、西と東の内部対立が顕在化したように、現在のウクライナの西部は昔のガリツィアで、東側がホルヒニアに当たるのです。宗教的にも西側がローマ法王庁に親近感を持つのに対して、東側はモスクワのロシア総主教庁が気になる人々が暮らし、それをウクライナ正教会が緩やかに結び付けている構図が存在するようです。

其の四に続く

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