五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

「知的計画」に御注意 其の参

2005-12-12 09:09:01 | 仏教以外の宗教
■引用記事は、いよいよ「インテリジェント・デザイン論」の核心に入ります。

このインテリジェント・デザイン(ID)論の起源は古く、19世紀初頭にさかのぼる。英国教会の神学者ウィリアム・ペイリーは、部品が偶然に絡み合い懐中時計になることがないのと同じく、複雑な機能を備えた脊椎動物の目も偶然だけでは生まれない。その複雑なデザインは創造主の存在を証明すると主張した。現代のID論はしょせんペイリーのリメイクにすぎないものの、分子生物学の用語も用いて、生命の複雑な構造には、ランダムな変異と自然選択では説明できない「デザインがある」と、限定的に主張する。つまり、あえて神の存在や創造の細部に触れないのである。そうすることで、創造論内部の対立を棚上げする。

■19世紀の論争は、有名なニュートンが明らかにした宇宙の構造と、ダーウィンの『進化論』によって神様が用済みになりそうになって、教会側が必死で神様の居場所と仕事を論証する必要に迫られて起こったものです。中世の時代ならば、開き直って「異端審問」で弾圧すれば済んだものですが、19世紀の科学は聖書と教会の権威だけでは黙らないところまで発展していました。20世紀になっても、ノーベル賞受賞者のJ・モノーが『偶然と必然』(みすず書房)を発表すると、E・スコフェニルが『アンチ・チャンス』(みすず書房)で反論する。アーサー・ケストラーが『偶然の本質』(蒼樹書房)で思い切った仮説を提出するという具合に、創造神の新しい姿を描き出そうとする知性と、それを激しく否定しようとする知性とが真正面から衝突しました。

■扱う対象が、懐中時計や小さな島の小鳥たちではなく、既に人間のイメージを超えた理論物理学が提出した新しい宇宙像や量子力学理論を利用した新しい生物学、更には超心理学までがこの論争に参入しているので、賛成する側でさえも共通の議論が成り立たないようですし、反対する側も冷笑で応ずるような態度が増えているようです。つまり、両方から無視されてしまったキリスト教教会は、自前で科学を取り込んで消化して自分達の理論を再構築しなければならなくなったというわけです。19世紀の科学を牽引した英国で始まったID理論は、何故か英国を脱出した人たちが建国したアメリカに引き継がれていたのです。


このデザイナーぬきのID論を推進してきたのは、保守的な銀行家や宗教団体が支える、シアトルのディスカバリー研究所である。とくにこの10年間、創造論運動の指導的組織として、次のような戦略で支持層を拡大し、今後の動向が注目される。第一に、潤沢な運動資金を奨学金や研究費にあて、「批判」研究を出版させ、マスコミを利用し「生物進化論をめぐる科学論争」の既成事実化をすすめた。

■金持ちの道楽と言ってしまえばそれまでですが、鉄鋼、石油、コンピューター、金融、食糧、そして武器などで世界の富を吸い上げ続けて世界一の大金持ちになったアメリカが、キリスト教教会の最大のスポンサーになっているという事です。商売に明け暮れた人生を振り返って、急に信心深くなった人物も多く、マフィアのボスの中にも熱心なクリスチャンがいる国ですから、上手に寄付金を集めれば資金力は抜群の団体が出現するのも当然なのです。注意深くハリウッド映画の歴史を辿れば、手を変え品を変えて神様の実在をイメージさせる作品が沢山撮影されている事実も明らかになるでしょう。映画史を変えるような新技術が開発されると、最初にそれを使って撮影されるのはキリスト教に関連した題材でしたし、CG技術を駆使した作品が大量に出現した現代でも、神様がいないと成立しない物語が映画の形で語られ続けています。鈍感な日本人は、それに気付かずに単純に豪華な映像を楽しんでいるように見えますが、超能力だの占いだの、小さな信心は科学に負けない根強さを保っています。

最新の画像もっと見る