五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

冷戦の終わりで復活する神々 其の弐

2005-09-03 22:54:30 | 仏教以外の宗教
其の壱のつづき

■キリスト教は、カトリック系とプロテスタント系に大きく二分されますが、ロシア以東にはプロテスタント問題は波及しませんでした。コンスタンティノープルを中心とした東ローマ帝国が15世紀まで宗教帝国として生き残っており、その後はロシア皇帝がその権威を継承したからです。プロテスタントの発火点がチェコだったことを思うと、チェコからドイツ、北欧、スイス、オランダ、イギリス、そして北米大陸へと西へ広まったプロテスタントの流れが見えて来ます。そして、飽くまでも地中海の覇権を守り抜こうとしたローマ・カトリックが、スペインとポルトガルの「大航海」に乗ってアフリカと南米に向って広がり、インド洋を回って東アジアにまで到達するのです。

■残る地域は広大なイスラーム帝国とロシア帝国が分け合っている構図になりますが、この時、インド文化圏とチャイナ・チベット・モンゴルは独自の宗教文化を守り抜いた事が特筆されますが、今回はこの問題は避けます。プロテスタント内での分派活動の激しさは驚くべきものですが、東方正教会の土着的な多様性も興味深いものが有ります。1054年に教会の管轄権をめぐって大分裂を起こしたローマ教会は、西のローマ法王庁を頂点とするピラミッド組織を作り上げ、東方正教会はコンスタンチノープル総主教の下にほぼ同格の「主座」をネットワーク状に広げて行きました。ローマ・カトリックはプロテスタント諸勢力に対抗して、イエズス会という軍隊組織とそっくりの勇敢な布教集団を作って砂漠やジャングルに跳び込んで行きました。彼らは常にローマに通信を送り続けたので、世界各地の情報が蓄積保存されました。お蔭で、15世紀から16世紀の日本の歴史や日本語の実態が今でも分かるほどです。

■東方正教のネットワークを確認しておきますと、
コンスタンチノープル総主教庁(エキュメニカル総主教庁)は、トルコ、ギリシア諸島、アトス山、米国、欧州、オーストラリア、ニュージーランド、アジア地域を担当。
アレクサンドリア総主教庁は、アフリカ全土を担当。
アンチオキア総主教庁が、シリア、レバノン、イラン、イラク、南北アメリカ、オーストラリアを担当。
エルサレム総主教庁は、イスラエルとヨルダンを担当し、「聖墳墓教会」や「キリスト降誕教会」などの重要な施設を所轄。
ロシア正教会(モスクワ総主教庁)は、旧ソ連各国、欧州、南北アメリカを担当し、正教会最大の信徒数7000万人を持つ。
セルビア正教会(総主教庁)は、旧ユーゴスラビア諸国を担当。特にマケドニアには信徒が多い。クロアチアとスロベニアはローマ・カトリックが多い。
ルーマニア正教会(総主教庁)は、ルーマニアの1800万信徒の他に南北アメリカ、西欧、オーストラリア、ニュージーランドを担当。
ブルガリア正教会(総主教庁)は、ブルガリアの1000万信徒と米国内にも信徒を持つ。
グルジア正教会(総主教庁)は、旧ソ連内で最古のキリスト教会でソビエト政府時代でも独立を保ち続けました。
キプロス正教会は、キプロス島のギリシア系の信徒を担当し、1960年の独立運動でも重要な役目を果たしました。
ギリシア正教会は、オスマントルコから独立した1850年にコンスタンチノープル総主教庁の管轄から独立。
ポーランド正教会は、ポーランド東部に100万人の信徒を持ち、カトリックとの合同を経験した後、1924年に独立教会になる。
アルバニア正教会は、10世紀以来の長い歴史を持ち、1937年に独立教会となったが、共産党時代には全面禁止され、1991年に再開されてコンスタンチノープルやギリシアからの援助によって復興中。

■その他にも、小さい規模ながらチェコスロバキア正教会、アメリカ正教会、シナイ教会、フィンランド教会、中国教会、日本教会、朝鮮教会などが有ります。チェコとアメリカの正教会は、ギリシア正教会の管轄と主張される場合が多く、独立教会とは認められていないようです。米国やオーストラリアのように移民によって形成された国には、それぞれの民族が出身国の正教会に所属したまま移住したために、幾つもの総主教庁が管轄する複雑な構造になっていますが、民族ごとに一応のまとまりを持って運営されています。

其の参につづく

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