五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

嘆きの壁

2005-11-26 07:34:54 | 仏教以外の宗教
■この一月間の新聞を整理していたら、素敵な記事を見つけました。10月13日の朝日新聞国際面に掲載された『特派員メモ』です。筆者は、村上伸一さんです。


エルサレムの「嘆きの壁」は、ユダヤ教徒が一心不乱にお祈りする姿でおなじみだ。壁には、石と石のすき間に願い事を書いたたくさんの紙が差し込まれている。

■こう書き出される短いコラムです。エルサレム旧市街に有る「嘆きの壁」は有名で、旅行ガイドにもこの名前が使われいるようです。でも、ユダヤ人達は「我々はもう嘆く必要は無いのだ」と言って、「西の壁」と呼んで欲しいと言うようです。古代ローマ帝国によって徹底的に破壊されたエルサレムは、最も神聖な場所とされた神殿も虐殺と略奪の限りを尽くして破壊されました。ユダヤ人が「ローマの平和」を受け入れずに反抗した報復でした。何だか「アメリカの民主主義」に従わなかった最近のバグダッドみたいですが、世界を支配する力を持った国は、どうしても同じような所行に出るもののようです。

■ユダヤ人の国家は消滅して、世界各地に難民となって脱出したユダヤ人達は1000年の辛酸を嘗め尽くしたわけですが、国際連合が無い時代だったから起きた悲劇というわけでもありません。国を失うという現実に今も昔も大きな変わりはないようです。そのユダヤ人達は、自分達のアイデンティティを確認するためだけに、ローマ帝国に支配された廃墟となったエルサレムに時々戻って来て、神殿の丘を囲んでいた西側の壁だけには近づいて良いという「有り難い」許可が出ていたので、この壁に向って無言の祈りを捧げていました。本当に破壊された王国を「嘆い」たりしたら、ひどい目に遭わされたに違いありませんから、黙って頭を垂れて、祖国を復興するメシアを待ち続けることにしました。

■このメシアが問題で、一部の人たちがナザレの大工さんをメシアだと言い出したので、大騒ぎになってしまいましたなあ。メシアは「西側の壁」の反対側に立っているゴールデン・ゲートからエルサレムに入城すると言い伝えられているそうですが、今のイスラエルはメシアを必要としていないらしく、その大きな門はレンガで塞がれています。オリーブ山と呼ばれる丘からこの門が正面に見えますから、信心深いユダヤ人はその斜面に埋葬されたがるそうです。無数の墓石が並んでいるのがその証拠です。1000年のデアスポラ(離散)時代に、何度かメシア騒動が起きています。一番大きな事件は、オスマントルコ時代に起こったそうですが、メシアと思われていた本人が「違う」と告白してしまったので、その騒ぎは収まりました。

■「西の壁」は今でも男性用と女性用に分かれています。特別な祝日に観光客がうろつくのを好まない敬虔な人多いので、見学に行く時には注意が必要です。最も保守的なユダヤ教徒は、写真に撮られるのが大嫌いですから、無知を曝け出して揉め事などを起こしてはいけませんぞ。遠巻きに見学するか、静かにちゃんと帽子を被って大人しく壁際に近づいてじっとしているのが一番良いようです。首を前後に振りながら聖書を読んでいる人をじろじろ見たりしては行けません。皆、神様と語り合っているのですから……


日本のお寺や神社で、おみくじの短冊を木などに結び付けるのと似ている。

■村上さんはここでオチを半分バラしているのですが、この比較は感心しません。日本の神様とユダヤの神様はまったく性格が違いまして、聖書を読むと「裏切るな!」「他の神を拝むな!」と実にしつこく命令しています。そんなに御苦労なさったのかしら、と同情したくなるくらいです。神様が怒るとどんなに恐ろしいかを示す物語が沢山書かれているのも聖書です。日本の神様は、それに比べると実にのんびりしています。他の信仰を持っている人でも、否、信仰など持たなくても、柏手を打って「お賽銭」を投げると、たいていの願い事は叶えてくれるのだそうです。

■それに、神社の御神籤(おみくじ)は、占いや予言の一種です。聖書に出て来る「ヨゲンシャ」は預言者であって、予言者ではありません。つまり、神様の言葉を預かって代弁する人の事です。神様からの言伝(ことづて)は、全部、「私は怒っている」というメッセージです。ですから、「反省しないと酷い目に遭わせるぞ!」という脅しが付いていまして、それが現実化したという話が記録されているので、未来を予言しているように見えるのですが、正確には予言ではありません。でも、チャイナで発達した「易」も、本当は予言ではなくて、人生哲学と迷いを解く知恵の百科事典のようですから、世俗の博打と宗教のお告げは区別した方が良いようです。


嘆きの壁では毎年春と秋の2回、紙を集めるという。何が書かれているのか知りたい。壁にまつわる行事を司(つかさど)るラビ(ユダヤ教の指導者)のサミュエル・ラビノビッツさんに取材を申し込んだ。

■この辺から特派員の仕事になります。確かに、何度も「西の壁」を訪ねると、沢山の紙が石の間に差し込まれているのを目撃しますが、よく思い出してみると、紙の位置や種類が変わっていたようにも思えます。考えて見れば、イスラエル在住のユダヤ人は何度もやって来るでしょうし、世界中から巡礼に来るユダヤ人も多いのですから、放っておいたら紙だらけになってしまいます。日本の神社では「御焚き上げ」をして天に届けてくれるようですが、ユダヤ教ではどうしているのか、と思っていた疑問が解けました。


■「取材は電話で、言葉はヘブライ語で」と指定されたので、支局の助手(24)に頼んだ。それによると、毎回、収集する紙は「百万単位」にのぼる。作業員は事前に体を清め、集めた紙は聖地を見下ろすオリーブ山の「特別な場所」に保管される。

■さすがは、「世界最古の本」を作った民族です。今は行方不明になっているモーゼの十戒が記された石版が有名ですが、聖書の「申命記」第4章、第12節にちゃんと「神様が書いた」と出ています。


時に、主は火の中から、あなたがたに語られたが、あなたがたは言葉の声を聞いたけれども、声ばかりで、なんの形も見なかった。主はその契約を述べて、それを行なうように、あなたがたに命じられた。それはすなわち十誡であって、主はそれを二枚の石版に書きしるされた。……

■ユダヤ人が使っている文字は、神様が書いた文字なのです。勿論、バベルの塔で悪戯をした神様ですから、世界中の言語を理解する能力は有ります。でも、オリジナルの言語は自分が書いて見せたヘブライ語なのでしょう。そう考えると、願い事はヘブライ語で書いた方が神様にとって便利なようです。ヘブライ語は右から左に書く言葉ですが、一説には、石に刻んだ習慣が残っているのだそうです。左手に鑿(のみ)を持って左手のハンマーで叩けば、右から左に彫って行くのが便利です。古代ユダヤ人の石工さん達はサウスポーではなかったようです。もしかすると神様も?


どんな願い事が多く、何ヶ国語が使われているのか?「神とのプライベートな会話なので、誰も読むことは許されない」年齢は教えてくれない。せめて写真撮影をと申し込んだら、顔全体ではなく、壁に向ってお祈りする横顔が電子メールで送られてきた。

■ちょっと朝日新聞の傲慢さが出たようです。取材と言えば何でも許されるというものではありません。写真を要求するなど、言語道断です。長い歴史を持つユダヤ教ですから、とても多くの宗派が有りまして、びっくりするようなサバケた革新リベラル派のラビさんもいらっしゃいますが、こうした神聖な仕事をしているラビさんが写真を横顔でも送って下さったのは破格の大サービスです。村上さんは不満そうですが、相手はそれ以上に怒っていたに違い有りません。こんな態度で特派員をやっていて大丈夫でしょうか?


困っている私に同情したのか、助手が「ぼくは7歳の時、自転車がほしいと書いた紙を入れたことがある」と教えてくれた。

■このオチでは、日本の七夕で幼子達が短冊に書く願い事と同じだという感じになりますが、この助手がその後にどんな願い事を書いたのかは不明なままです。実際に、遠慮がちにあの壁に触れながら横に並んだ人たちの一心に祈る声に耳を澄ましていると、「自転車が欲しい」と祈っているとはとても思えません。深刻な顔で祈る人、本当に涙を流している人、低い声で聖書を読み続けている人、聖書を持たずに手を合わせてじっと動かない人……。みんな深刻な事を祈っているとしか思えない表情だった記憶しか浮かんできません。

■『レオン』や『スター・ウォーズ』で有名なイスラエル生まれの若い女優さんが、最近、あの場所で恥知らずな事をして追い出されたというニュースが有ったようです。一つの謎解きをしてくれた貴重な記事ですが、誤解して「七夕の短冊みたいな物だろう」などと軽く考えて無作法に抜き取ったりしては行けませんぞ!どうやら、ちょっとズレている村上特派員も、意地になって紙を盗み出したりはしていないのは正解です。

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