其の弐に続き
■其の弐で指摘しましたように、ポーランド正教会はローマ・カトリックの支配下に入った事が有ります。これは国家の生き残りを賭けた対ロシア戦略として苦渋の決断だったと思われます。歴史上、二度も分割されて消滅したポーランドですから、宗教組織も過酷な歴史を背負っています。独立の気運が高まるたびに正教会が精神的な支柱となって来ましたが、ローマ・カトリックの政治力に頼らざるを得ない時も有ったので . . . 本文を読む
其の壱のつづき
■キリスト教は、カトリック系とプロテスタント系に大きく二分されますが、ロシア以東にはプロテスタント問題は波及しませんでした。コンスタンティノープルを中心とした東ローマ帝国が15世紀まで宗教帝国として生き残っており、その後はロシア皇帝がその権威を継承したからです。プロテスタントの発火点がチェコだったことを思うと、チェコからドイツ、北欧、スイス、オランダ、イギリス、そして北米大陸へと . . . 本文を読む
■今回は仏教から少し離れて、異国の神について考えてみます。イラクが米国の「民主化」戦略に従った御節介な戦争で、民族と宗派によって三巴の対立に苦しんでいます。バース党というソ連の傀儡政党がイラクを支配していた時代が終ったのも、冷戦が終ってソ連が崩壊したからでした。東西冷戦は、社会主義陣営と資本主義陣営の対決という構図で説明されていましたが、実際にこの対立が消えてみて始めて、民族と宗教の矛盾を丸呑みに . . . 本文を読む