朝比奈先生はのんびりとバカンス気分だった

2008年04月18日 | 指揮者 朝比奈隆伝 取材日記
林先生はたいへんに機転の利く若者だったようだ。
ソ連が参戦して、満州に攻め込んできたということは朝比奈は情報として得ていなかったようだ。
それはヤマトホテルという超高級のホテル住まいをしていたせいで、どうやら戦争という危機感があまりなかったからかもしれない。ハルビンに住んだ人々は、総じてこの危機感をもちあわせていなかった。

戦中、ハルビンには空襲もなかった。奉天では民衆によるバケツリレーの訓練などもあり、空襲にそなえて危機感が高まっていたが、ハルビンにはこれがまったくない。
ロシアの伝統のもとに街づくりがおこなわれていたせいもあるのだろうか。
ハルビンには、戦争の気配はまったくなかった。

1945年8月15日その日、朝比奈夫人と息子千足は、バカンス中であった。既にソ連の参戦も民衆には伝わっていたようだが、どうも朝比奈はこれも察知していなかった可能性がある。朝比奈はその朝、バカンス先から練習場に出かけて、お昼の放送をきけといわれ、それで知ったというのんびりした状態だった。

「関東軍250万がいるから満州は安泰」といわれ満州に移住した朝比奈は、それを信じ続けていたようである。

まもなくヤマトホテルはロシア人の将校クラスが出入りするところとなる。
それでも朝比奈一家は、まだホテルに残っていた。
ちまたでは、日本男子がつぎつぎとシベリア送りになりつつあったのである。




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