紀尾井ホールで興奮!MOSTLY KOICHIRO

2014年02月03日 | 読書、そして音楽と芝居と映画
2014年1月31日。
紀尾井ホールにMOSTLY KOICHIROをききにいく。
ヴァイオリンの新鋭神尾真由子が実行委員長をつとめるとかいうことはつゆ知らずに出かけた。原田幸一郎氏やチェロの原田禎夫氏、ヴィオラの川本嘉子さんが出演するから、ぜひ聞きたかったのだ。両原田さんの演奏は、昨年夏のサイトウキネンフェスティバルで聴いて、感動!の極みだったからだ。原田禎夫ファンになってしまった。
ピッチカートが絶品なのである。

紀尾井ホールの話にもどる。
その日、出かけたのは、原田幸一郎さんの門下生の演奏会だ、ということである。

わたしは斎藤秀雄の評伝『嬉遊曲、鳴りやまずー斎藤秀雄の生涯』(新潮社)をだいぶ前に書いた。
それは数年を要したもので、わたしにとっては忘れられない一冊。
このときの取材は、小澤征爾さんや、アイザック・スターン、井上道義ら、ほかにもちろんチェロ門下の堀了介、原田禎夫、堤剛さんやら、ヴァイオリン、ヴィオラ、かつてのN響関係者、桐朋関係者、桐朋学園前のラーメン屋さんや、広島の自称斎藤信者の大畠さんやら、世界ぐるりと130人以上取材したのだ。

そのなかで、原田幸一郎さんが、斎藤先生から言われたという「13使徒の一人になってくれるか」という言葉が印象に残っている。
つまり、日本の音楽界を発展させるため、斎藤秀雄は寸暇を惜しんで教育にはげんだが、自分の跡を継いでくれ、とキリストの13使徒になぞらえて門下生に託したのだ。

原田幸一郎さんは、斎藤がまさに教師として日本に音楽を広げてほしいと託した音楽家なのである。

原田さんは、もうひとりの原田さんと、こちらは禎夫さんーと東京クヮルテットを率いてきた。
その弦楽四重奏団は、日本初の国際的に活躍するアンサンブルとなった。
ところが、世界を駆け巡って演奏旅行をする日々につかれ、その後、幸一郎さんは引退。
桐朋学園で教育を始めたのである。

いったいどういう演奏家を育ててきたのか!
これが見事!!!!というほかない。
斎藤門下は、サイトウキネンオーケストラだけ、というのはちがうううううう!!!!

斎藤の水脈、いや血脈といっていいその門下生は、さらに門下生を広げているという事実を、まざまざと見せつけられたのである。
ああ、その日、斎藤秀雄が出現したのである。
幸一郎さんが弦楽合奏団の前で指揮する姿が斎藤にみえてしまった!!!!
斎藤という人は、こういう形で教育をしてきたのだ!!!!
サイトウキネンフェスティバルを最初にきいたときよりも、感動してしまった。
つまり、教育という概念が明らかに生きている。
演奏活動のためでなく、教育がそこにあったのだ。

世界各地でコンサートマスターをつとめる幸一郎さんの弟子たち、日本の各オーケストラで活躍する弟子たち。ソリストとしてチャイコフスキーコンクールを制覇した弟子やら、もうこれはこれは・・・・それはまさに斎藤秀雄がやったことと同じなのである!!!
そして、先生を尊敬して集って演奏会を開いたということ。

ああ、この興奮は三日たってもおさまらないのである!!!!