林元植先生

2008年04月16日 | 指揮者 朝比奈隆伝 取材日記
わたしがホリデーインに宿泊しているというと、林先生はそのホテルにはよく行くといった。
なんのへんてつもないホテルである。しかし、「そこにある中華がおいしいんですよ」
ちなみに先生は日本語がぺらぺらである。それも栃木弁なまりということで、茨城出身の私に近い言葉でありましょう。日本が韓国を併合していた時代の産物で、なんとも私としては、つらい気持になるのだったが、林先生は語学の達人なのだろう。現在の北朝鮮にちかいところの生まれで、母国語はもちろん、中国語、ロシア語、それに戦後になってニューヨークのジュリアードに留学したために英語もできる。それに機転も利くから、朝比奈御大を敗戦後のどさくさのハルビンで身を隠すようにれ誘導することもできたのである。

林先生は「わたしはキムチが苦手なんですよ」と韓国人らしからぬことを言う。
辛いのがだめなんだそうで、このホテルの中華がおいしいので、しょっちゅうくるのだという。それで注文なさったものが、ジャージャー麺であった。
その日は、ソウルから一時間ばかり車でいった○○市で、演奏会のリハーサルがあるという。それで道々話を聞きながら、わたしもリハーサルに同行することに。

このとき私ははじめてソウルを訪れた。見るもの、聞くもの、珍しい限りだった。
ソウルの道路はとても広く、横断歩道がない。すべて地下通路でむこうの道路に横断しなければならない。
それで私は「これは戦争になったときに、防空壕がわりにするためでしょうか。道路もとても広い。ドイツは戦争になったときには、アウトバーンを滑走路がわりにするというが、韓国もそういうことを考えて道幅を広く、地下通路をもうけているのでしょうか」などと、まったく関係のない質問をするのだった。
「そういうこと、考えてもみなかったけど・・・」
「でもそうとしか考えられないですよね」と、わたしは曲げない。

と、そんな話からはじまって、ハルビンで朝比奈の身を案じて自分の部屋にかくまった話などをはじめた。


 


最新の画像もっと見る