猫の腎不全

2011年12月27日 | ぐうたら日記
うちの金太、12歳が突然数日にして激やせしました。

もともと太りすぎていたので、最初はちょっとは健康にいいだろう、ぐらいに思っていたのだが、朝、起きて「おはよう」というと、わたしの目をじっとみて、「ミャアー」と力なく訴えるではありませんか。
これはただごとでない、と思い、獣医さんに連れていきました。

血液検査をすると、BUNが140、クレアチニンが7.7。
脱水がひどく進んでいるから、点滴が必要だということで即入院となってしまいました。
これまで病気といえば、近所の五郎ちゃんと喧嘩したときにできた傷ぐらい、
とうとう金太もそんな病気になってしまったかと、日頃あまりに元気なために・・・おもわず涙が・・・。
それにしてもやはり食生活が悪かった。猫のものを食べていればよいものを、わたしが食事をしていると、伸び上がって手をのばして、「くれ、くれっ! うまそうなもの食べているじゃないか。僕にもちょうだい」と言うので、つい、あげてしまうという日々でした。
もともと野良猫ちゃんだった生後すぐから、エビなんて人間の食べるものをたべてしまってたのね。
(この話をはじめると長くなる)

やはり塩分がよくなかったねえ。干物とか好きだったよね。鳥も、牛しゃぶしゃぶも食べるし、羊や豚肉まで
腎臓が片方がまったく機能せず、もうひとつも小さくなっているというのが、エコー検査でわかった。


金太頑張って!

我が家の猫

2010年11月15日 | ぐうたら日記

うちの猫は、ちい子、金太と花です。

ちい子が一番先にきた猫。

そして一年後に金太、と花がきました。

その間に、プリンちゃんという子がいましたが、これはちい子が激しい嫉妬をして、飼うのをあきらめました。

いろいろドラマがありました。

 


姑が癌に

2008年06月08日 | ぐうたら日記
5月の連休直後に、姑が癌だということがわかった。
そのためすっかりブログの更新が停滞してしまっている。

姑が体調が悪くなり、近所の医者でCTなどとってもらったものの、セカンドオピニョンのつもりで癌研へ。

そのフィルムをすぐみて、外科の医師は「これはもう手術できません」と断言。
「原発不明の腹部転移」であり、年齢が76歳のため、はたして抗がん剤が有効かどうか、というのである。医師はまったくそれを勧めない。

義母は聞くはずでなかったことも口にする。
「先生、あとどのくらい生きるでしょうか」
「お義母さん、そんなこときいていいんですか。聞くはずではなかったでしょう」
 初診の問診表で、義母は「がんだった場合、あなたは告知をのぞみますか」の問いに、「現状だけを知りたい」に○をして、「余命も知りたい」はそのままにしておいたのである。「これはいいわね」といいながら。

しかし、土壇場で義母は質問をなげかけた。
「あと三年ぐらいでしょうか」
「・・・・。年単位ではむずかしいでしょう」
「それじゃ、あと数ヶ月ですか」
「なにかしたいことはないですか」医師も質問にダイレクトに答えることは避けたかったようだ。

 その日の詳細についてはまた改めて書きたいが、義母が近所に越してくることになった。そもそもその提案をしたのも、自分でも驚くが、私であった。

 この数日後には、蓮見ワクチンを摂取するために義母の初診、マンションの下見をしておいて義母とともに見学・・・とやつぎばやにことをはこんでしまった。。。。

 まったくまっとうな嫁業に、はじめてといっていいくらい追いまくられる日々である。

 さて、朝比奈伝のほうは10月出版である。

 この夏はオリンピック。。。。読書の秋の出版である。

 先日、大阪フィルハーモニー交響楽団のOB会があった。それに行きたいなどともいっていたのに、それもそんなこんなでかなわなかった。


 関西交響楽団時代にいた白井修三、虎谷迦悦氏らにも朝比奈伝のためには取材している。

 さて、昨日、日本バレー男子の出場も決まった。私自身、スポーツを見るのが好きである。
 サッカーも、ワールドカップ出場キップはまだ手に入れていない。そういえば、あの中田くんはいったいどうなっているのか。予選の日に、「中田プレゼンツ」なんてことをするっていうのは・・・。
若いときの彼は好きだった。しかし、最近の彼は理解不能・・・。

義母の介護とオリンピック、暑い夏がきそうである。




代理出産と生体肝腎移植

2007年05月24日 | ぐうたら日記
三十年ほど前に養育院から捨て子だった子をもらって、そだててきた10歳年上の友人がいる。その材木置き場に捨てられていたという子もいまや二児の母、とってもしっかりものの女性に育った。
その友人の場合、夫の肉体的欠陥によって子ができなかったというが、三十年前とは雲泥の差ほどに医学が進んだ現在だったら、簡単にクリアできた欠陥だったような気がする。いまだったら彼女たち夫婦ならどうするだろうか。

このところ、離婚300日問題や代理出産など、いろいろ親と子にまつわる問題が噴出する日本である。現実が先に進んでしまって法律が追いつかない。
一昨日も、テレビで代理出産の諏訪マタニティークリニックの院長や子宮をなくした女性たちが、日本産婦人科学会が決定した代理出産禁止が違法であるとの裁判をめぐる番組を放送していた。桜井よし子さんが「個人的問題ですから、こうとはいえない・・・」とコメントしていた。ほおおう・・・と私は感じた。右寄りの彼女としては、意外だとおもえたからだ。
この裁判は、産婦人科学会の規則は違法ではない、というつまらない判決となった。

さて、昨日は、「子への肝腎同時移植」の報道である。
わたしは、これと代理出産とどちらが危険であるか・・・と比べた場合、はなはだ疑問を感じるのである。産婦人科学会の言い分のひとつには、代理出産をする女性の体が危険にさらされるということがあるのである。出産によって、死亡する場合もあるとかなんとか。

それでは生体移植は?
これはすでに死亡者が出ている。しかし、いったん法律で認められたものだから、OKなのである。
代議士の河野親子が息子の生体肝移植をしたことで一般に知られていようが、あの息子さんの健康が手術後だいぶ危ぶまれた。生体肝移植とは、文字通り、健康の人間の肉を切り、内臓を切り取る手術である。
わたしは出産よりもこちらのほうがよっぽど危険じゃないかとおもうのだが、感覚がおかしいのだろうか?

なにしろ「生体移植」は日本だけの文化?である。
海外の先進国でそんなことしているところはないのである。
脳死した人からの臓器提供を受けることが一般的だから。
生きている人からそんな危険なことしないでいいのである。

またこんな別な報道もあった。
脳死・・・つまり呼吸が止まった患者に人工呼吸器をつけて生命を存続させる・・・状態の患者に、家族が呼吸器をはずしてくれと再三たのみ、医師がそれを実行。脳死状態にあった患者は、人工呼吸器をはずされたら絶命した・・・それを内部の人間が警察に通告、殺人にあたるかどうか・・などという記事が出ていたが、脳死患者の移植がみとめられていない日本で、窮余の策として、飛び出してきたのが生体移植なのである。

脳死とはもう、もとの世界に帰れない状態である。だから海外ではこれを死の領域にいれている。
死との境目だろうが、脳が死ぬと、人間はかならず死ぬ。

「生体腎肝移植」の報道は、肝臓と腎臓を4歳の子供に30歳の父親が自分の肝臓の一部と腎臓を一個?提供したという報道である。
親心とはそんなものである。

だったら、なぜ親子による、近親者による、愛情のある人々による代理出産はいけないのか?どうもこれがわからない。


出産とは、本来は女性に備わっている能力である。特権的能力である。
これを、法律が許さないのは、日本が男性社会ゆえとわたしはおもっている。
「女は閉経したら終わりですよ。ばばあに長生きしてもらってもしようがない」うんぬん・・・・といった作家もいた。「女は産む機械」といった大臣もいた。
所詮、個人的問題、家族の問題かもしれない。あるいは価値観の問題。それを法律で規制する。
これは宗教的問題かもしれない。
アメリカ的合理主義、プロテスタンニズムには、これを許容する一面がある。
まあ、養子縁組もさかんで、養子ということがなんでもない世界。
アメリカは傲慢な国だが、こういうところは許容する器のある国である。
韓国人乱射事件のときも、移民という差別はなかった。韓国社会のほうがアメリカに気を使って、ヒステリックになっていたようである。


諏訪マタニティークリニックへは裁判後、手紙が殺到。全国から30名の人々がボランティアでの代理出産を申し出たという。
こういう精神が現在の日本には欠けている。嬉しい知らせだと思う。
自分の子だけ、自分の家庭だけ、、、という思考が蔓延している。この知らせをきいて、日本もまんざらでないな・・・とわたしは思った。諏訪の院長も、「裁判ではだめでも、こういう人たちがいると知っただけでもうれしい」といっていた。

少子化と騒ぐなら、それこそ代理出産ぐらい認めたらいいじゃないか。
子供は社会のもの・・・という発想がない。

そうそう「赤ちゃんポスト」反対という議員がいる。
ポストがあるから捨てる・・・のではないのだよ。
捨てなければならない・・という子育ての状況、家庭環境だから捨てるのだよ。
ゴミ捨て場に捨てたのも最近あった。へその緒ついたままだったらしい。
そんなごみためにすてられたなんて、本人が知ったら悲しい。
もっと暖かい社会でありたい。

あかちゃんポストでいいじゃないか。
養子縁組のシステムをつくらなくちゃいけないね。
子供を社会で育てるという感覚がなければ、日本はますます少子化が進む。

生体肝移植と代理出産、この矛盾が論じられないのはどうしてだろうか、と思うのだが。
男性が望む腎肝移植と、女性の願望である代理出産。
これは男性の願望だからかなえられ、女性の願望が拒否される日本ゆえの現象だとおもっている。
日本は男の願望に手厚い国なのである。