忘れないうちに・・・第6回名古屋千年ゼミの議事録をまとめます。
※注意※ここに書く内容は責任を伴わないものであり、また特定個人・団体の代弁ではありません
******************
今回は(今回こそは?)、ちゃんと段取りをしようと努めました。
まず、自己紹介。足助千年ゼミを参考にして、自己紹介の内容も少し工夫しました。
①自分の名前、今どういう活動をしているか
②今日1日で、良かったこと1つ
③今、自分の中でもやもやしている、くすぶっていること1つ
以上を必ず挙げてもらうことにしました。
名古屋千年ゼミの参加人数は決して多くなく、常連が多い(笑)ので、いつも世間話からなんとなく始まってしまっていたのですが、こうすることで、少し対話の際の「テーマ」がはっきりするのではないかと考えました。
以下、その後の対話の流れをを示します。
[デモについて]
・3.10さよなら原発アクションinあいち に参加する
・デモ行進を行い、シュプレヒコールをするが、どんな内容、どんな形式にすれば周りの人も参加してみたいと思うだろうか?
・攻撃的でなく、ゆるやかなもの、ちょっと端から見ていて笑えるものにしたい
・デモをゆるやかなものにしたい、というのは、声高に意見を言いたくない気持ちの表れでは?
・激しく意見を言う人がいるから、自分はそうなりたくないという思いが強くなる
・脱原発、ということを掲げると、原発をとめた後の問題についてしっかり考えているのかという反論を必ず受ける
・しかし、原発を止めることに関して、感情に訴えてはいけないのか?
・問題に対して、明確な解を持たないなら反対してはいけないというのは厳しすぎるのではないか
・デモをやるからには少しでも効果があるということを感じたい
・デモが激しいと、自分ひとりが介入することに非常に抵抗を感じてしまう
・メディアはデモを大きく取り上げないため、日本におけるデモの認知度が低い
・現在は「脱原発文化」ともいうべき一種の社会現象が起こっている
・お洒落で、楽しくて、ハッピーな人たちが言っていれば、それに安心して乗っかることができると思う
・例えばけーちんさんのブログで紹介されていたステッカーとか。こういうものを使っていくのは、非常に魅力的。
・自分は…暴力的なデモが好きだ
・珍しく、人目を引く、面白そうなものに乗っかりたい
・攻撃的なデモにしないと、社会から注目されないのではないか
・やさしいデモ、おとなしいデモに甘んじていては「デモには参加したから」という自分への慰めにしかならないのではないか
・デモというものが社会的に認知されるために、少しは実効的にならないといけないと思う
ここでご住職が席を立ち・・・??
戻ってきたと思ったら、アフロのかっこいいお兄さんがやってきました。
それがソーヤ・海さんの衝撃的登場(笑)でした!
徳林寺にご宿泊されるということで、そのついでにご住職の勧めで立ち寄ってくださったのでした。何たる偶然。そして幸運。
名古屋千年ゼミが、こうした素晴らしい人との出会いの場になったことを、とてもうれしく思います。
※ソーヤ・海さんの詳しいプロフィールはこちら
[ソーヤ・海さんの自己紹介]
・東京アーバンパーマカルチャー(TUP:Tokyo Urban Permaculture)創設者
・東京生まれ、南魚沼、ホノルル、大阪を経て、カリフォルニア大学へ
・現在はパーマカルチャーのワークショップ講師をたくさんの地域で行っている
・2月27日(月)には岡崎、2月28日(火)には浜松でワークショップ(パーマカルチャー中部と共同主催)
・森の中でのサバイバル的生活の経験もあり!
・ワークショップを開く中で、若い人たちともっと話がしたいと思うようになった
・2月25日(土)、26日(日)には名古屋大学環境学研究科の高野雅夫先生の「千年持続学校」に参加され、ワークショップを行った
…とっても聞き上手な方でした。。彼には、対話をうまく進める上でのヒントをたくさん教えて頂きました。まだまだ名古屋千年ゼミでは対話の進め方がいまいちなところがありますので、取り入れていきたいと思います。
[パーマカルチャーと、都市の現実]
・都市で田舎暮らしを意識するのは難しい
・都市は配置的な問題がある
・都市では移動が楽、つまり、地域で問題が発生すれば、出ていくことができる
・自治体が崩壊し、人々はご近所づきあいを始めとするコミュニティを喪失している
・仕事と家を往復する毎日、忙しいので「しょーがない」ということで自分を無理やり納得させ、問題を意識しないようにしている
・お金を介しての付き合いしかできない、お金に使われている生活
・相生山の土地を買って住みたいとも考えているが、名古屋市の土地は高い
・最近地下鉄の駅ができたので土地の値段が上がってきている
・相生山で農的暮らしが実現できれば、都市で田舎暮らしをするという良いモデルになるはず
・サービス・モノをWeb上に登録し、交換し合うことによってお金を排してつながるモデルも存在する(たとえばこんなサイト)
・トランジションタウンの考え方を広めることで、地産地消の動きが活発化する、たとえば地域通貨による人のつながりなど。
・相生山でも、先述の千年持続学校のように、みんなで家を建てよういう動きが始まろうとしている。ただ、NPOを立ち上げてしっかりとした活動にしようと意識し過ぎているきらいもある。
・もう、難しいこと抜きにして、動きたくてしょうがない(笑)
・哲学的なこと、歴史的な背景に思想をめぐらすことも時には大事
さて…ここから少し・・・難しくなってきました。
[人類の進化について]
・現在の人類の祖先は脳の容量が1350ccだが、ネアンデルタール人は1400ccと言われるが、なぜネアンデルタール人は滅びてしまったのか
・現在の人類の祖先はネアンデルタール人に比べて背が低く、力も弱かったが反面、飛び道具を作ることに長けていた
・対してネアンデルタール人は長い槍しか持ち合わせていなかった
・これは、両者の体格差による、狩猟方法(遠隔か、近接か)の違いによるもの
・ネアンデルタール人を滅ぼしたのもここにある。現代人類の基礎ともいうべきものがここで形成されたといえる
・現代でも早くて強いものが一番良いとされる
・ロケット技術、宇宙産業が人類の技術開発の行きつく最終地点と言われる
・これを失うことによる競争力低下が怖いために、自ら放棄できず、持続可能な社会について理解できない人々が大勢いる
・人間は、農業を始めた時から戦争をはじめたとされる
・土地の奪い合いから戦争に発展した
・しかしお酒を作って振る舞うことにより、平和を作りだすことも学んだ
・昔は自然法則と、法というものはほぼ同じだった
・武器による統治から、法による統治がはじまった
[キリスト教の方面から]
・売春婦に石を投げる人々の話
・イエスの「自ら心の中に問いかけ、悪事を働いたことが無いと明言できる者のみ石を投げなさい」という教え
・人々に「心」による意思決定の方法があることの認識を与えた
・「心」の存在は「私とあなた」を超え、集団になると「文化」として発展する
・法による統治の先に、この「心」による統治が始まり、同時に人々は文化の中で生活するようになった
・震災後は「心」による統治のその先にある新局面について考える必要があるのではないか
・ヨーロッパの国々は心の深いところでギリシャ、ローマの時代にあこがれを持ち、歴史を繰り返してきた背景もある
・ソクラテス、孔子などによる法の統治
・人間というものの中には根本的な文化が存在し、無意識にそれを守ろうとする
…ちょっと周りの人がついていけなくなってきたので、いったん落ち着くことにしました(笑)
[難しい話について]
・大学で難しい農業技術について教えたり、持続可能性学を学んできたが、都市で、人とのつながりが希薄になる中で矛盾を抱えている自分に気付いた
・持続可能な生活を実践するため、森の中で暮らすことをはじめた
・言葉の世界だけで頑張って議論しても、ある単語に対する一人ひとりのとらえ方は少しずつ違うのだから、実はちゃんと話ができていないことが多い
・本当に大事なのは、なにかを実践していくこと
・実際にやってみることで、はじめて学ぶことができる
・他人から聞いた話は、自分の中で腑に落ちた気にはなるが、それを伝えていったところで内容が薄くなってしまうだけ
・自分で実践する中で、他人の話の内容が生きてくる
・耕作放棄地で新しく畑を始める時、草刈りを行ったし、間伐もした。その時、薪を提供するために間伐材とひたすら格闘していたが、なぜ人のためにここまでやらなければならないのか、と思ってイヤになってきたことがあった
・しかし父に「自分のやれることをやればいいんだよ」と言われ、はっとした
・難しい話抜きに、自分のやれることをどんどんやっていきたいという自分の思いに気付いた
・現代社会では情報による汚染が激しい
・ネパールでは可能
・情報に飲み込まれ、自分の心を整理する時間が無い
・立ち止まることができず、自分に本当に必要なものが見えない
・与えられるもので良いや、と思ってしまう
・そのために与えられる情報だけによって自分の考えを形成しようとする
・言葉を獲得してしまったことが、人間の一番の失敗と言えるのかもしれない
・だが言語は一つの重要な表現方法であることに間違いはない
[知的障害者について]
・知的障害者は言語能力をほとんど持たない存在
・言語をうまく操れないがために、争うことをほとんど知らない、純粋な心を持っている方が多いとされる
・いわゆる社会的弱者として扱われているが、私たちに人間としての素直な生活というものを提示してくれているのでは、という考え方がある
・世の中の希望、として考えている団体もある(例:べてるの家 など)
・知的障害者のような方々が幸せに生きられる社会を作ることが、今、もとめられているのではないか?
・「信仰と光」という団体では、知的障害者の方たちと、聖書の学びを「マイム形式」でおこなっている
[小さなコミュニティについて]
・「弱さの共有」ができるコミュニティが重要
・世界的なスケールで考えると、それは難しくなってくる
・小さなコミュニティは江戸時代、明治初期にはあまり制限されていなかった
・日本は島国だったので、争いはあっても、一部のトップの争いであり、庶民の生活に争いの意識が浸透してくることはそんなになかった
・鎖国時代、地域ごとの小さなコミュニティがたくさんあった時代から、明治時代になり開国し世界に目を向けた瞬間に、世界の常識というものに駆り立てられ意味もなく焦り、国民の統合、集権体制の強化、近代化が始まった
・世界に目を向けた瞬間に、小さなコミュニティが尊重されなくなる
・日本人は、日本は、と語るのは危険性をはらんでいる
・小さなコミュニティに目を向ければ、それぞれの性格は異なっている
[シンプルさについて]
・難しい話をするのも大事だが、そればかりになると、じゃあ私たちは何ができるのか、それがわからなくなる
・歴史的な革命と呼ばれる出来事の前後でも、抽象的で、実際何が変わったのかよくわからない
・それは自分にとって正しいと思うことをシンプルに行うことができなかったから
・考えすぎると、とても抽象的になってきて、明日自分に何ができるのか、それが見えなくなってきてしまい、不安になる
・脱原発にしても、シンプルさが大事
・子供を守る、生活を守る、といったシンプルなことを考えて行動する
・社会的に正しいことというのは無いのかもしれない、ただ社会の進み方については多少考える必要はあるかも
・自分にとって正しいことを行うのはとても重要なことであり、それが実践するときにおけるシンプルさである
・例えば争っている他者への介入にしても、「社会的によくないと判断されることだから」といってするのではなく、「自分が争いというものが嫌いだから」とシンプルに考えて行動することが大事では
[世間様の抑圧]
・日本人は特に、あまり行動したがらない民族なのかもしれない
・歴史的なムラ社会の名残
・ムラ社会の時にあった、人々の結びつきは崩壊したけれども「世間様に迷惑をかけるな」というものだけが美徳として残った
・お酒を飲んで飲み会が盛り上がるのも、普段から生活が「世間様」というものに抑圧されている証拠ではないか
・だが、よくよく考えてみれば私たちは生きていけば誰かに必ず迷惑をかけてしまうものである
[実践することのリスク]
・世間様を考えることも重要
・シーシェパードの活動にみるように、一方的に自分たちの利益を押しとおすことはいかがなものか
・しっかりとした話し合いをせずに実行手段に訴えるのも考えもの
…さて、ここらでいったん時間も時間でしたので、お開きの流れになりました。
そして海さんから、次回以降名古屋千年ゼミで実施してみるとよい、アイデアをもらったのでここに紹介します。
[対話の場をより良いものにするためのアイデア]
・トーキング・スティック
→話をする人が対話の場の中央にある棒を持つ。他の人は棒を持っている人が話している間、話すことはできない。棒を持っている人は、話が終わったらまた棒を返す。これによりお互いに誰の話が長いか、話がだれに回っていないかなどの情報を共有でき、参加者の発言機会が均等に近づく。
・非暴力コミュニケーション
→相手の言ったことを自分の中で反芻し、もう一度相手に言い返してみることにより、相手と考えを近付けることができる。その際、相手の話の内容をそのままオウム返しすることはほぼ不可能であるから、必ず自分の考えが含まれる。その結果、相手と自分とでどこで考えが違うのかがわかる
・共有されたサイン
→対話をしているときに「話がずれているから戻そう」「現在の話題とはちょっと違うが、こういう有益な情報がある」という場合、メンバーで共有されたサインを手でつくることにより、話者を発言によって無理に遮ることなく、状況を改善することができる
・持ち時間の設定
→ひとり当たりの発言時間を例えば3分程度に設定することにより話をまとめる能力も要求される。それだけ多くの人が話す機会を与えられることになる。
・ポジティブな話題を設定する
→誰しも問題のことばかりを話していては気が滅入る。それよりも自分のやりたいこと、興味があること、わくわくすることを優先して話題にするよう、意識してみることも大事
・各個人のニーズを満たすよう努力する
→個人同士の対話でも言えることだが、相手の話を理解するためには、相手のニーズをくみ取る努力が欠かせない。対話の場においても、快適に対話が進められるような環境づくりをするべき。特に、徳林寺は寒いし(笑)
・イメージ、ビジョンの大切さ
→言葉だけでなく写真や絵を用いることも対話の重要な手段。テーマに関して理解しやすくなり、対話が進みやすい。
・一品持ち寄り
→参加者が何か一品差し入れを持ってきて、一緒に食べる時間を取ることによって、ただの(ワークショップの場を提供してもらうという)サービスの消費者ではなく、共同してワークショップを作っているのだという認識を得ることができ、参加者同士のより強い結びつきを生む
…お開きだったはずなのですが、まだまだ話し足りないようでした。。
[これからのこと]
・論理的なものに、感情が押し流されてしまっている
・何事も論理が無いと、受け入れられない世の中
・論理とか、大きなことよりも、自分の生活の中の一つ一つを大事にしたい
・食事のたびに、この食物のおかげで自分が成り立っているのだということをかみしめたい
・周りのことに目を向け、いろいろ行動しているつもりだったが、子供たちがさびしそうにしてた
・一番大事なのは子供の笑顔だということに気付いた
・自分の実家でも味噌を作ったり、梅干しを仕込んだりして、家族のつながりを大事にしていたが、今は「やらなければいけない仕事」のようになってしまっているから改めたい
・地に足のついた生活をしたい
・社会がどんなでも、親がしっかりしていれば、子供は大丈夫だと思う
…最後に海さんから、「輪っかになろう」という提案がありました。
みんなで手をつないで輪になって、深呼吸を3回しました。隣の人の手のぬくもりを感じる。。出会えたことに感謝する。
なかなか意識しないとこういうふれあいもできません。次回もやってみようかと思いました。輪になって、お互いに肩を揉んであげるというのも面白い、とおっしゃってました。
それでほんとうに、お開きになりました。。
********************
第6回名古屋千年ゼミの議事録は、こんな感じです。
長くなってしまいましたので、ちょっと読みにくいかもしれません。ごめんなさい。
今回は、最初の方にも書きましたが、海さんに出会えて、本当によかったです。
今後も、教わったことを基に、そして、何より対話の場で出会う素敵な仲間とともに、よりよい名古屋千年ゼミを作っていきたいです。ありがとうございました。
※注意※ここに書く内容は責任を伴わないものであり、また特定個人・団体の代弁ではありません
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今回は(今回こそは?)、ちゃんと段取りをしようと努めました。
まず、自己紹介。足助千年ゼミを参考にして、自己紹介の内容も少し工夫しました。
①自分の名前、今どういう活動をしているか
②今日1日で、良かったこと1つ
③今、自分の中でもやもやしている、くすぶっていること1つ
以上を必ず挙げてもらうことにしました。
名古屋千年ゼミの参加人数は決して多くなく、常連が多い(笑)ので、いつも世間話からなんとなく始まってしまっていたのですが、こうすることで、少し対話の際の「テーマ」がはっきりするのではないかと考えました。
以下、その後の対話の流れをを示します。
[デモについて]
・3.10さよなら原発アクションinあいち に参加する
・デモ行進を行い、シュプレヒコールをするが、どんな内容、どんな形式にすれば周りの人も参加してみたいと思うだろうか?
・攻撃的でなく、ゆるやかなもの、ちょっと端から見ていて笑えるものにしたい
・デモをゆるやかなものにしたい、というのは、声高に意見を言いたくない気持ちの表れでは?
・激しく意見を言う人がいるから、自分はそうなりたくないという思いが強くなる
・脱原発、ということを掲げると、原発をとめた後の問題についてしっかり考えているのかという反論を必ず受ける
・しかし、原発を止めることに関して、感情に訴えてはいけないのか?
・問題に対して、明確な解を持たないなら反対してはいけないというのは厳しすぎるのではないか
・デモをやるからには少しでも効果があるということを感じたい
・デモが激しいと、自分ひとりが介入することに非常に抵抗を感じてしまう
・メディアはデモを大きく取り上げないため、日本におけるデモの認知度が低い
・現在は「脱原発文化」ともいうべき一種の社会現象が起こっている
・お洒落で、楽しくて、ハッピーな人たちが言っていれば、それに安心して乗っかることができると思う
・例えばけーちんさんのブログで紹介されていたステッカーとか。こういうものを使っていくのは、非常に魅力的。
・自分は…暴力的なデモが好きだ
・珍しく、人目を引く、面白そうなものに乗っかりたい
・攻撃的なデモにしないと、社会から注目されないのではないか
・やさしいデモ、おとなしいデモに甘んじていては「デモには参加したから」という自分への慰めにしかならないのではないか
・デモというものが社会的に認知されるために、少しは実効的にならないといけないと思う
ここでご住職が席を立ち・・・??
戻ってきたと思ったら、アフロのかっこいいお兄さんがやってきました。
それがソーヤ・海さんの衝撃的登場(笑)でした!
徳林寺にご宿泊されるということで、そのついでにご住職の勧めで立ち寄ってくださったのでした。何たる偶然。そして幸運。
名古屋千年ゼミが、こうした素晴らしい人との出会いの場になったことを、とてもうれしく思います。
※ソーヤ・海さんの詳しいプロフィールはこちら
[ソーヤ・海さんの自己紹介]
・東京アーバンパーマカルチャー(TUP:Tokyo Urban Permaculture)創設者
・東京生まれ、南魚沼、ホノルル、大阪を経て、カリフォルニア大学へ
・現在はパーマカルチャーのワークショップ講師をたくさんの地域で行っている
・2月27日(月)には岡崎、2月28日(火)には浜松でワークショップ(パーマカルチャー中部と共同主催)
・森の中でのサバイバル的生活の経験もあり!
・ワークショップを開く中で、若い人たちともっと話がしたいと思うようになった
・2月25日(土)、26日(日)には名古屋大学環境学研究科の高野雅夫先生の「千年持続学校」に参加され、ワークショップを行った
…とっても聞き上手な方でした。。彼には、対話をうまく進める上でのヒントをたくさん教えて頂きました。まだまだ名古屋千年ゼミでは対話の進め方がいまいちなところがありますので、取り入れていきたいと思います。
[パーマカルチャーと、都市の現実]
・都市で田舎暮らしを意識するのは難しい
・都市は配置的な問題がある
・都市では移動が楽、つまり、地域で問題が発生すれば、出ていくことができる
・自治体が崩壊し、人々はご近所づきあいを始めとするコミュニティを喪失している
・仕事と家を往復する毎日、忙しいので「しょーがない」ということで自分を無理やり納得させ、問題を意識しないようにしている
・お金を介しての付き合いしかできない、お金に使われている生活
・相生山の土地を買って住みたいとも考えているが、名古屋市の土地は高い
・最近地下鉄の駅ができたので土地の値段が上がってきている
・相生山で農的暮らしが実現できれば、都市で田舎暮らしをするという良いモデルになるはず
・サービス・モノをWeb上に登録し、交換し合うことによってお金を排してつながるモデルも存在する(たとえばこんなサイト)
・トランジションタウンの考え方を広めることで、地産地消の動きが活発化する、たとえば地域通貨による人のつながりなど。
・相生山でも、先述の千年持続学校のように、みんなで家を建てよういう動きが始まろうとしている。ただ、NPOを立ち上げてしっかりとした活動にしようと意識し過ぎているきらいもある。
・もう、難しいこと抜きにして、動きたくてしょうがない(笑)
・哲学的なこと、歴史的な背景に思想をめぐらすことも時には大事
さて…ここから少し・・・難しくなってきました。
[人類の進化について]
・現在の人類の祖先は脳の容量が1350ccだが、ネアンデルタール人は1400ccと言われるが、なぜネアンデルタール人は滅びてしまったのか
・現在の人類の祖先はネアンデルタール人に比べて背が低く、力も弱かったが反面、飛び道具を作ることに長けていた
・対してネアンデルタール人は長い槍しか持ち合わせていなかった
・これは、両者の体格差による、狩猟方法(遠隔か、近接か)の違いによるもの
・ネアンデルタール人を滅ぼしたのもここにある。現代人類の基礎ともいうべきものがここで形成されたといえる
・現代でも早くて強いものが一番良いとされる
・ロケット技術、宇宙産業が人類の技術開発の行きつく最終地点と言われる
・これを失うことによる競争力低下が怖いために、自ら放棄できず、持続可能な社会について理解できない人々が大勢いる
・人間は、農業を始めた時から戦争をはじめたとされる
・土地の奪い合いから戦争に発展した
・しかしお酒を作って振る舞うことにより、平和を作りだすことも学んだ
・昔は自然法則と、法というものはほぼ同じだった
・武器による統治から、法による統治がはじまった
[キリスト教の方面から]
・売春婦に石を投げる人々の話
・イエスの「自ら心の中に問いかけ、悪事を働いたことが無いと明言できる者のみ石を投げなさい」という教え
・人々に「心」による意思決定の方法があることの認識を与えた
・「心」の存在は「私とあなた」を超え、集団になると「文化」として発展する
・法による統治の先に、この「心」による統治が始まり、同時に人々は文化の中で生活するようになった
・震災後は「心」による統治のその先にある新局面について考える必要があるのではないか
・ヨーロッパの国々は心の深いところでギリシャ、ローマの時代にあこがれを持ち、歴史を繰り返してきた背景もある
・ソクラテス、孔子などによる法の統治
・人間というものの中には根本的な文化が存在し、無意識にそれを守ろうとする
…ちょっと周りの人がついていけなくなってきたので、いったん落ち着くことにしました(笑)
[難しい話について]
・大学で難しい農業技術について教えたり、持続可能性学を学んできたが、都市で、人とのつながりが希薄になる中で矛盾を抱えている自分に気付いた
・持続可能な生活を実践するため、森の中で暮らすことをはじめた
・言葉の世界だけで頑張って議論しても、ある単語に対する一人ひとりのとらえ方は少しずつ違うのだから、実はちゃんと話ができていないことが多い
・本当に大事なのは、なにかを実践していくこと
・実際にやってみることで、はじめて学ぶことができる
・他人から聞いた話は、自分の中で腑に落ちた気にはなるが、それを伝えていったところで内容が薄くなってしまうだけ
・自分で実践する中で、他人の話の内容が生きてくる
・耕作放棄地で新しく畑を始める時、草刈りを行ったし、間伐もした。その時、薪を提供するために間伐材とひたすら格闘していたが、なぜ人のためにここまでやらなければならないのか、と思ってイヤになってきたことがあった
・しかし父に「自分のやれることをやればいいんだよ」と言われ、はっとした
・難しい話抜きに、自分のやれることをどんどんやっていきたいという自分の思いに気付いた
・現代社会では情報による汚染が激しい
・ネパールでは可能
・情報に飲み込まれ、自分の心を整理する時間が無い
・立ち止まることができず、自分に本当に必要なものが見えない
・与えられるもので良いや、と思ってしまう
・そのために与えられる情報だけによって自分の考えを形成しようとする
・言葉を獲得してしまったことが、人間の一番の失敗と言えるのかもしれない
・だが言語は一つの重要な表現方法であることに間違いはない
[知的障害者について]
・知的障害者は言語能力をほとんど持たない存在
・言語をうまく操れないがために、争うことをほとんど知らない、純粋な心を持っている方が多いとされる
・いわゆる社会的弱者として扱われているが、私たちに人間としての素直な生活というものを提示してくれているのでは、という考え方がある
・世の中の希望、として考えている団体もある(例:べてるの家 など)
・知的障害者のような方々が幸せに生きられる社会を作ることが、今、もとめられているのではないか?
・「信仰と光」という団体では、知的障害者の方たちと、聖書の学びを「マイム形式」でおこなっている
[小さなコミュニティについて]
・「弱さの共有」ができるコミュニティが重要
・世界的なスケールで考えると、それは難しくなってくる
・小さなコミュニティは江戸時代、明治初期にはあまり制限されていなかった
・日本は島国だったので、争いはあっても、一部のトップの争いであり、庶民の生活に争いの意識が浸透してくることはそんなになかった
・鎖国時代、地域ごとの小さなコミュニティがたくさんあった時代から、明治時代になり開国し世界に目を向けた瞬間に、世界の常識というものに駆り立てられ意味もなく焦り、国民の統合、集権体制の強化、近代化が始まった
・世界に目を向けた瞬間に、小さなコミュニティが尊重されなくなる
・日本人は、日本は、と語るのは危険性をはらんでいる
・小さなコミュニティに目を向ければ、それぞれの性格は異なっている
[シンプルさについて]
・難しい話をするのも大事だが、そればかりになると、じゃあ私たちは何ができるのか、それがわからなくなる
・歴史的な革命と呼ばれる出来事の前後でも、抽象的で、実際何が変わったのかよくわからない
・それは自分にとって正しいと思うことをシンプルに行うことができなかったから
・考えすぎると、とても抽象的になってきて、明日自分に何ができるのか、それが見えなくなってきてしまい、不安になる
・脱原発にしても、シンプルさが大事
・子供を守る、生活を守る、といったシンプルなことを考えて行動する
・社会的に正しいことというのは無いのかもしれない、ただ社会の進み方については多少考える必要はあるかも
・自分にとって正しいことを行うのはとても重要なことであり、それが実践するときにおけるシンプルさである
・例えば争っている他者への介入にしても、「社会的によくないと判断されることだから」といってするのではなく、「自分が争いというものが嫌いだから」とシンプルに考えて行動することが大事では
[世間様の抑圧]
・日本人は特に、あまり行動したがらない民族なのかもしれない
・歴史的なムラ社会の名残
・ムラ社会の時にあった、人々の結びつきは崩壊したけれども「世間様に迷惑をかけるな」というものだけが美徳として残った
・お酒を飲んで飲み会が盛り上がるのも、普段から生活が「世間様」というものに抑圧されている証拠ではないか
・だが、よくよく考えてみれば私たちは生きていけば誰かに必ず迷惑をかけてしまうものである
[実践することのリスク]
・世間様を考えることも重要
・シーシェパードの活動にみるように、一方的に自分たちの利益を押しとおすことはいかがなものか
・しっかりとした話し合いをせずに実行手段に訴えるのも考えもの
…さて、ここらでいったん時間も時間でしたので、お開きの流れになりました。
そして海さんから、次回以降名古屋千年ゼミで実施してみるとよい、アイデアをもらったのでここに紹介します。
[対話の場をより良いものにするためのアイデア]
・トーキング・スティック
→話をする人が対話の場の中央にある棒を持つ。他の人は棒を持っている人が話している間、話すことはできない。棒を持っている人は、話が終わったらまた棒を返す。これによりお互いに誰の話が長いか、話がだれに回っていないかなどの情報を共有でき、参加者の発言機会が均等に近づく。
・非暴力コミュニケーション
→相手の言ったことを自分の中で反芻し、もう一度相手に言い返してみることにより、相手と考えを近付けることができる。その際、相手の話の内容をそのままオウム返しすることはほぼ不可能であるから、必ず自分の考えが含まれる。その結果、相手と自分とでどこで考えが違うのかがわかる
・共有されたサイン
→対話をしているときに「話がずれているから戻そう」「現在の話題とはちょっと違うが、こういう有益な情報がある」という場合、メンバーで共有されたサインを手でつくることにより、話者を発言によって無理に遮ることなく、状況を改善することができる
・持ち時間の設定
→ひとり当たりの発言時間を例えば3分程度に設定することにより話をまとめる能力も要求される。それだけ多くの人が話す機会を与えられることになる。
・ポジティブな話題を設定する
→誰しも問題のことばかりを話していては気が滅入る。それよりも自分のやりたいこと、興味があること、わくわくすることを優先して話題にするよう、意識してみることも大事
・各個人のニーズを満たすよう努力する
→個人同士の対話でも言えることだが、相手の話を理解するためには、相手のニーズをくみ取る努力が欠かせない。対話の場においても、快適に対話が進められるような環境づくりをするべき。特に、徳林寺は寒いし(笑)
・イメージ、ビジョンの大切さ
→言葉だけでなく写真や絵を用いることも対話の重要な手段。テーマに関して理解しやすくなり、対話が進みやすい。
・一品持ち寄り
→参加者が何か一品差し入れを持ってきて、一緒に食べる時間を取ることによって、ただの(ワークショップの場を提供してもらうという)サービスの消費者ではなく、共同してワークショップを作っているのだという認識を得ることができ、参加者同士のより強い結びつきを生む
…お開きだったはずなのですが、まだまだ話し足りないようでした。。
[これからのこと]
・論理的なものに、感情が押し流されてしまっている
・何事も論理が無いと、受け入れられない世の中
・論理とか、大きなことよりも、自分の生活の中の一つ一つを大事にしたい
・食事のたびに、この食物のおかげで自分が成り立っているのだということをかみしめたい
・周りのことに目を向け、いろいろ行動しているつもりだったが、子供たちがさびしそうにしてた
・一番大事なのは子供の笑顔だということに気付いた
・自分の実家でも味噌を作ったり、梅干しを仕込んだりして、家族のつながりを大事にしていたが、今は「やらなければいけない仕事」のようになってしまっているから改めたい
・地に足のついた生活をしたい
・社会がどんなでも、親がしっかりしていれば、子供は大丈夫だと思う
…最後に海さんから、「輪っかになろう」という提案がありました。
みんなで手をつないで輪になって、深呼吸を3回しました。隣の人の手のぬくもりを感じる。。出会えたことに感謝する。
なかなか意識しないとこういうふれあいもできません。次回もやってみようかと思いました。輪になって、お互いに肩を揉んであげるというのも面白い、とおっしゃってました。
それでほんとうに、お開きになりました。。
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第6回名古屋千年ゼミの議事録は、こんな感じです。
長くなってしまいましたので、ちょっと読みにくいかもしれません。ごめんなさい。
今回は、最初の方にも書きましたが、海さんに出会えて、本当によかったです。
今後も、教わったことを基に、そして、何より対話の場で出会う素敵な仲間とともに、よりよい名古屋千年ゼミを作っていきたいです。ありがとうございました。