名古屋千年ゼミ

持続可能な社会について、みんなで考えます!

ゆっくり,まったり対話する場…♪

茅葺き体験記!

2012年08月22日 | 近況報告
7月15,16日と滋賀の彦根近くの男鬼町で毎年行われている、茅葺き体験イベントに行ってきました。

行ってきましたといっても滋賀県立大学の濱崎研究室の皆さんの実習に潜り込ませていただいた形です。
そこでの体験をもとに、茅葺きの魅力、思ったこと、感じたことを書いてみました。
文章力が無いのは許してください。


[そもそも茅葺きとは?]
 茅というのはいわゆるススキやチガヤなどの中空で背丈が長い植物の総称です。茅葺き屋根は日本では白川郷の合掌造りの家があまりにも有名ですが、実は全国各地、そしてグローバルに存在するものなのです。畑で作物を育てた後に勝手に生えてくる植物をつかって屋根を葺いてやろうというのは自然な流れであったといえます。茅の代わりにワラやアシや笹の葉で屋根を葺いている地域もあるようです。昔は茅場といって、茅葺き屋根に使うための茅を育てるためだけに作られた土地も日本各地にありました。ただ現代では、葺き替えに手間とお金がかかることから、トタン板で屋根全体を覆ってしまった「元」茅葺き屋根の家が少なくありません。伝統的な茅葺き職人たちが減り、技術の継承が途絶えようとしていました。
 
 そうしたなか、この茅葺きが今、急速にスポットライトを浴びています。若い人が職人を目指し、茅葺き文化を後世に伝えようと立ち上がっています。一世代跳んで増え始めてきた若い茅葺き職人たちは全国的にも引っ張りダコとなり、古民家だけでなく文化財の修復にも携わるようになっています。

 なぜ今更、茅葺きなのか?・・・それは茅葺きに大いなる魅力があるからです。
 
 茅葺きがすばらしいのは、如実に持続可能性を体現しているところです。休耕地には何もしなくても茅が生えてきます。それを刈り取って乾燥させ、茅葺きの材料にします。葺き替えの時期が来ると古い茅は屋根から下ろされますが、これを畑に漉き込むととても良い肥料になります。屋根の上で畑の肥料を作っているようなものです(笑)。

 つまり家が自然と一体化しているのです。現代の家は工業製品化しており、自然とは完全に別離した存在です。家を葺き替えるという意識は存在しないに等しく「お金を払って他人に作ってもらう」ものです。
 
 対して茅葺きは決して1人ではできないところにポイントがあります。集落の人々が集まってひとりの家を交替で葺き替えていくわけです。ここに現代社会には縁が薄くなった「結(ゆい)」の意識があります。茅葺き屋根を通して集落の人々の結びつきが強固になっていたのです。


[この茅葺き体験イベントのすごいところ]
 何より「本物の職人さん」が「ほぼ手弁当で」指導し、初心者の作業を「ビシッと仕上げてくれる」ことに尽きます。職人さんがきてくださるおかげで、私のような素人でも「自分で屋根を葺けた!」という達成感を味わうことができます。おまけに茅の葺き替え工程の全てを体験させてもらえるので、茅葺きを一からマスターできます。
 そして忘れてはいけないのが、滋賀県立大学濱崎研究室の学生さんたちのサポートです。2日間とても快適に過ごすことができました。
 職人さん、研究室の皆さんには、改めて御礼申し上げます。

[さて、茅葺き体験です]
 茅の葺き替え方法には、おもに2種類があります。一つは写真のように古い茅を中に押し込んで、新しい茅を差し込んでいく方法です。古い茅がまだある程度形を保っている場合はこの方法を使います。

 ぐいぐい古い茅を押し込んでいきます。力が結構いります。茅が手にグサグサ刺さります…(^_^;)

 職人さんの指導のもと、頑張って葺き替えをしていきます。
 差し込む時、古い茅をうまく押し込まないと茅の先がハネてしまいます。これでは雨が降ったとき水がうまく流れません。難しい…。汗だくになりながらぐいぐいやっていました。

 さてもうひとつの方法は、古い茅を完全に除去し、新しい茅で置き換える方法です。
 古い茅がボロボロになってしまっている場合はこの方法を使います。
 古い茅はとってもいい肥料になるのです。畑に使いたいといって持ち帰る方もいらっしゃいました。
 
 長さを適当に切って、新しい茅を寝かせていったあと、屋根の骨組み(竹)と茅を結びつけます。茅葺き屋根は本当に茅と竹で屋根を葺いているんですよ!

 茅を寝かせていきます。長さを2尺や3尺に揃えて、厚みが均等になるように並べていきます。


 足でしっかり押さえの竹を踏んで、屋根の骨組みの竹と茅を縛ります。今回は簡単のため、針金を使いましたが、本当は荒縄などを使うそうです。「トックリ結び」でしばります。


 職人さんはやっぱりかっこいいですね!


 ちなみに裏側はこうなっています。竹と茅を結びつけているだけなんです!




[職人さんの出番です]
 頑張りましたが、所詮素人仕事。見た目があんまりよくありませんし、雨漏りしそうです。





これがどうなるのか…?!職人さんが作業してくださっているあいだ、しばらく素人は退散です。
しかしあれだけ素人に指導をして大変なはずなのに、職人さんの動きときたら目も止まらぬ速さ。一瞬たりとも無駄に動いていないんですね。

職人さんの見事な手さばきは、以下の動画でも観ていただけます◎
短い動画ですが(⌒-⌒; )

茅葺き職人さんの手際の良さ①
茅葺き職人さんの手際の良さ②
茅葺き職人さんの手際の良さ③



職人さんのお仕事の後、見違えるように屋根は綺麗になりました。
遠目にしか写真を撮れませんでしたが、見てください。この美しさ!

大きなバリカンで綺麗に刈り揃えられ、茅の先がビシッと揃ってます!これなら水はけも良く、屋根の役割を十分に果たしてくれるでしょう。

右側が古い茅。左側が今回葺き替えを行った部分です。一目瞭然ですね。




…2日間かけて、やっとこさ屋根の4分の1を葺き替えできました。この家の屋根は小さいですが、なかなか日数と人手がかかる仕事だということがわかりました。

これは、ハマります。やってみれば、みなさんもわかります。
汗だくになり、古い茅の吸い込んだススだらけになり、手首に茅が刺さりまくっても、終わったあとに見上げる屋根の綺麗なこと。もちろん今回は職人さんの多大なるお助けがあったからここまで綺麗にできたわけですが、それでも「自分たちがこの屋根を葺いたんだ」という感動は何にも代え難いものがあります。

実は私は、9月にも茅葺き体験に挑戦します!
その時のことも、追々書いていこうと思います。


あ、第12回名古屋千年ゼミの議事録がまだでした…(;´д`)
また新しい方が見えて、面白い会だったので楽しみにしててくださいね!

ではでは~。

宿題!

2011年11月03日 | 近況報告
ともちゃんに出遅れましたが、林もやってみました。
結構主観的になってしまったかも。


●林の考える「震災前の世界」

・日々の生活に満足するわけでもなくかといって不満でもなく暮らしている。
・あまり社会のことには関心が無く、自分のこと、自分の時間をどう使うか考えることに頭が働いていた(これは今もなのか?)。
・社会の中で折にふれて根底に問題があることに気づくけど、その問題と自分が遠いから、一過性のもので終わってしまう。
・バブル崩壊後、不況が続いているらしい。けれどそこまで生活が苦しいわけじゃない。
・戦時中に比べたら圧倒的に平和。
・有り余るほどたくさんのものに囲まれた生活(今もだね…)。
・放射能・被爆なんて言葉が飛び交うのは「ヒロシマ」の8月6日、「ナガサキ」の8月9日くらい。あとはレントゲン写真を撮るとき?
・原発の安全性が強調されており、疑問をさしはさむ余地を与えない。学校でも「日本の将来に不可欠なもの」として教育されている。文科省主催の原子力に関するポスターコンテストもある。
・そもそも電力会社が株式会社で、独占企業だということを意識することが無い(する必要も無い)。電気は当然のごとく地域それぞれ1つの電力会社から買うものである。
・地球温暖化や水不足、環境汚染などが漠然と問題視されている。けれどその前に自分の生活を何とかしないと…。


●林の考える「震災後の世界」
・とてつもないショックを受け、皆が心に傷を負った。
・目に見えない、においも無い放射性物質が日本中を飛び交う。どこから来るのかよくわからない被爆の不安。
・シーベルト、ベクレルなどの単位がいきなり出てきて混乱。
・折にふれて原発推進派・原発否定派の二者択一を迫られる。迷ってる暇は無い!…そんな感じ。よく推進派は叩かれる。
・デモやボランティア、募金活動が盛んに行われる。
・被災地のために何かしたい、その思いから積極的に行動する人、なかなかそうは行かない人。
・何をするときも、よくわからないけどなぜか「罪悪感」のようなものにさいなまれる。「がんばろう日本」「がんばろう東北」というキャッチフレーズ。その錦の御旗を掲げれば、とりあえず罪悪感が薄らぐような気がする。
・放射性物質の飛散状況、原発の現状のことにかぎらず、普段様々な問題が隠されて、報道されずに来たということを知る。



うーん…。
こうして書いてみると、震災前は生活の中で「当たり前」「こういうもの」だという認識に、疑問をさしはさむことがなかったが、震災後は文字通り根底から価値観が揺さぶられ、「何が正しいのかわからない!」「そもそもなぜこうなっていたの?」そんな状況になっているのだと思います。

以前から社会構造のきしみ、問題について言及する人々はいたけれども、なぁなぁにされていた。疑問を持つ人は「関心があってすごいね~」というような、「社会から良い評価を受けるための能力」を持っているような扱い。



…ただこうして震災から半年以上がすぎた今「もはや震災後ではない」ような風潮がうすうす感じられます。早く過去のものにしたい。そのような意思を感じます。。


さて、住職さんが「どういう未来を望んでいるか」ということを言語化することも宿題として出していたと思うので、これも少し考えてみました。


●林の考える「この先つくりたい日本の未来」
・とにかく放射性廃棄物、汚染水の処理方法を確立する。
・子どもたち、若い人たちの被爆をできるだけ防ぐよう、移住制度を作る。汚染の強い食物は食べないようにさせる。
・原発に頼らないで暮らしていけることを日本国民全員がしっかりと認識する(特に中部地方は浜岡原発が止まっている今でも、何不自由なく暮らせている)。
・停止している原発の沈静化のためには長い期間を要するため、人員、公的資金をきちんと配分する。
・原発がないと結局火力に頼らざるを得ず、二酸化炭素排出が・・・という不毛な議論を防ぐ。原子力の原料であるウラン採掘、濃縮の段階でものすごい量の二酸化炭素が排出されていることを国民に認知させる(こういうことこそ首相が先陣を切って国民に説明すべきじゃないだろうか?)。
・電力会社による独占をやめ、電力自由化を実現する。スウェーデンなどで実現されているのだから、日本でできないはずが無い。



「復興支援」「被災地への援助」「原発停止」という言葉は言えるけど…。

やっぱりそれぞれ本当の言語化がされていないんですよね。
それって、どういうこと?何をすることなんだ?と自問しなければいけないと思いました。

あと、最近、田口ランディの「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」という本を読みました。その中で、東海村の臨界事故が挙げられていましたが、この事故の根本的な原因は、国を支えていた原子力に関わる人々のことが社会から限りなく遠ざけられ、無視され、軽んじられてきたからだ、という内容が印象的でした。

日本中の原発がそのうち停止状態に入ります。しかし被災地の福島第一原発を含め、原発の収束には長い時間が必要です。これを大切で、重大な作業であることとして社会が受け止めることが大事なのだと思います。




なんだか原発のことに偏ってしまいましたが、こんな感じのことを考えました。。
私がくすぶっているのは、「この先つくりたい日本の未来」を実現するため、自分は何ができるのか、何をすべきなのか分からなくなってしまったからです。
そもそも日本だけの未来なのか?世界のことは、考えなくていいのか?
全く答えが出ないのです。くすぶっています。

ともちゃんも書いてましたが、対話を通して自分のことをもっともっと知りたい。そして、自分の進むべき道を決めたいです。
もちろん自分のことだけじゃなくて、名古屋千年ゼミに参加してくれるみんなと、ともにお互いのこと、社会のことを知って行きたいです。対話によって、何かを見出したいです。

えー。ぐだぐだしてきたので、この辺で終わります。
コメントしてくれるとうれしいです。

住職さんから頂いた宿題♪

2011年10月27日 | 近況報告
住職さんからいただいた宿題♪
皆はやってみた?

私はやってみました。
自分は大きくとらえる癖があるなーとしみじみ。
もっと現実問題として細かく考え→実行していきたいなと思いました。

皆の震災前、後の世界はどう違うのかも知りたいなと思います。
良ければコメント等でお話できるとうれしいでございマース。


「ともにとっての震災前の世界(日本)」

・経済発展してきて、成功した平和な国に住んでいる。
・争いも少なく、教育・医療・福祉も(だいたい)安定。
・諸問題は色々あるが、仕方ない。皆頑張っているし、そのうえでも問題は出てくるものだ。
・少しずつ価値観を変えていく必要性を感じる。
 が、うまくいっているため、急に変えなくてもよい。このままでもなんとかなっていく世界。
・でも、このままだと確実にうまく回らなくなる日が来る。
・便利で豊かだがそれと引き換えに目に見えない大切なものを確実に失ってきている。
 しかしこの便利さが今の日本を発展させてきた一つの要因であることは間違いない気がする…改善点はあれ ども、この世界でいいんだろう…ね?…(もやもや…)


「震災後の世界(日本)」

…改善点はあれども、この世界でいいんだろう…ね?…………だと……?
全然ダメじゃん!!
ダメすぎるじゃん…orz
ダメというか、いやほんと、住めなくなるから。
というのが震災後に感じたこと。

テレビも政治もこの世界の仕組みも、それぞれの立場からなっていて、少なくとも「国民を守るシステムになっていない(もしくはシステムが機能していない)」だからこそ自分は自分で守るしかない。(←当たり前かもしれないけど、それに気づかなかった、というかなんとなく感じてたけど直視するのを避けてきた所もある)
便利な生活、発展のために汚されてきた大地。
それを自分は見て見ぬふりしてきた。見て見ぬ振りができるという価値観、感覚の麻痺。
この感覚の麻痺や価値観は社会にも言えることではないか?
(もちろん麻痺してなくて、守ろうと活動していらっしゃる方は沢山いる)
自分は今も麻痺しているのか、この社会でこの消費する生活を続けており、この社会の一端を「生活する」ことで担っている。
でも、この生活を続けていくと何が残るのか?
綺麗な環境がない、生きる知恵や、生きていくための深い思いやりが薄らいだ世界だったりするんじゃないか?自分だったらそんな世界に住みたいか?住みたくない。
自分だったら嫌な世界を子供に残すのか?残したくない。
じゃあどうすんの。どうしよう…いまできることからするしかない…。

という世界に只今住んでおりまして、そんな感じでくすぶっておりまして。
そのためくすぶり会に参加させていただいております(笑)
おや。住職さんの仰ったことを語源化してたら「参加動機」が出てきたよー(笑)

でも絶望ばっかりじゃなくて、この世界も好きです。
好きな人たち、愛する人たちがいるから。
放射能の問題はあるけど、地球は本当に美しいから。
生命の輝きは変わらないと思うから。

色々「起こってしまった」ことはあるけど、自分は「今」の生の時間を頂いているわけで、「今ここから」の時間がある。あるということに感謝したいし、「震災後のこの世界を生きている日本人」として、今生きていることに感謝しながら生きていきたいと思っています。

前回「偽善」の話がでましたが、自分はむしろ偽善しか持ってねーと、しみじみ感じます。
っつーか偽善ってなんだ。
私の偽善の解釈は「自分に都合の良い善意」です。
そう考えると残念ながら自分には「偽善」しかなさそうです。でも「偽善は持てている」という考え方もある。
自己否定すると生み出せなくなるけど、自己への疑いの眼差しは、時に自分を助けるなと思います。
「自分は偽善しかできていない。そのため人に迷惑をかけるかもしれない、だから偽善が迷惑になっていないか注意しよう、もっと人と喜び合える善意を考えていこう」って。

自分を知っていくって大事ですね。
でも「汝自身を知る」ということは私にはすんげー難しいです。二十何年自分やってきて、正直殆どわかってない。なので私はこの「名古屋千年ゼミ」の場をお借りして、みんなと対話したいと思っています。
住職さんが言っていた通り、対話することで見えてくるものってたくさんあると思う。
自分の輪郭や、相手のことも、見えてくると思う。

なので、コメントなどで対話してくれる人がいればうれしいなと思います。
もし興味のある人あれば、よろしくです♪

徳林寺に突撃訪問してきました!!つづき

2011年08月11日 | 近況報告
前の記事のつづきです。もうちょっとお付き合い願います笑


さて、、裏口から入ると住職の高岡さんが!!簡単に名古屋千年ゼミのことを話すと「詳しく聞かせてくれ」と中に招き入れてくださいました。

高岡さんに「都会でくすぶっている人々を集めて対話の場を作りたいので、徳林寺の畳の間を使わせていただけないか」という相談をしました。すると。

「場所なんていくらでもあるからやってみなさい」
「若いうちはくすぶったほうが良いよ、誰しもそういう期間があるもんだし、大事なことだ」

なんと!!いきなりこんな答えをもらえるとは思ってもみませんでした。
なんでも最近、NPOの設立を検討されているようで、その活動に関連したものとしてやってもいいよ、とのことでした。

確かに、徳林寺の活動に参加した人との交流の中で、新しいくすともを見つけることもできそうです。


ただ足助千年ゼミと同じく、名古屋千年ゼミも「人を集めること」が第一目的では無いので、「あくまで来たい人が来ればよい」というスタンスは守ろうと思います。
なので、場所を借りつつ、たまに徳林寺のイベントにも参加させていただく感じで行くつもりでいます。

実は、「ミツバチの羽音と地球の回転」という映画の監督をされた鎌仲ひとみさんも、この徳林寺で上映会をしたいと申し出て、徳林寺を貸しきって「つながりのまつり」を企画されたそうです。

基本的に徳林寺は、Webページの住職高岡さんからのお言葉にもあるように「開かれたお寺」であることが分かります。
お話しているときも本当におおらかなで、ネパール語がお上手で、気さくな方だと感じました。




このように、本日はとても収穫の多い日でした。
もう少し作戦会議をして、9月ごろには名古屋千年ゼミ第1回を開催できるように頑張ります◎

徳林寺に突撃訪問してきました!!

2011年08月11日 | 近況報告
タイトルのとおりです笑

本日10時ごろから、名古屋千年ゼミの実現に向けていっしょに活動しているKさんと、天白区相生山の徳林寺に行ってきました!Kさん、本当に行動力があるなぁと思います。すごいです。

いや。相生山という場所だけあって山でした。参拝者用の山道を上って行ったのですが、例のごとく?自転車で名東区から駆けてきた私にとってはキツイことこの上なし。。

徳林寺は、やっぱり不思議な雰囲気のあるお寺でした。
なんだかここだけ、時間の流れがゆっくりになっているような、名古屋にいる気がしないような、そんな雰囲気を感じ
ました。

しばらく徳林寺を散策・・・へぇ、アトリエもあるんだ。。この鐘楼、カッコいいね◎
なんでお寺にカラフルな旗がかかってんのかな?等々話しながら回ってました。

すると、ちょっと本堂の裏のほうから話し声が聞こえたので、のぞいてみました!(今思えば、よくやりましたよホント。)
ネパール人の方が数人いて、びっくり!

そこでKさん、ひるまず声をかけます。
「住職さんいますか?」
-「ジュショクサン?・・・オショサン?」
「そうそう和尚さん!」
-「お仕事。あと1時間位で帰るかな」

突撃訪問ですし、住職さんとお話しすることはできないのか。。そう思っていったん作戦会議。

「名古屋千年ゼミの場所選びはそもそもどうするべきなのか?」
・・・名古屋千年ゼミだから、名古屋でやるのが当然に思われます。結局名古屋千年ゼミの主旨が、「都会にいてくすぶっている人たちが気軽に来れる場を作りたい」ということですから、名古屋で開催すべきです。

「畳のある場所がいいんだよね」
・・・車座になって話せる場が必要です。足助千年ゼミはすげの里の板の間で行われましたが、きちんと座布団がありました。でも畳だとすぐ、ねっ転がれるじゃないですか!ごろごろしたい!

「でも、徳林寺ちょっと交通の便が良くないよね」
・・・桜通線が野並から延伸され、地下鉄相生山の駅ができ、そこから歩いて5,6分の立地ですが、山を登らなければならないため少々面倒な気もします。初めてだとたどり着けないかもです。気軽に来れる場所としてマッチするでしょうか。。でもここの雰囲気、すごく良いんですよね。。

「徳林寺以外の場所・・・生涯学習センターとかでも畳あるよね」
・・・確かにお寺以外にも畳がある場所はあります。しかし、生涯学習センターとかなら交通の便も良いでしょうが「都会の喧騒を離れる」というのも場所選びの要素として重要だと思うので、その点で言えばあまり魅力的ではありません。

「結局、お寺しかないね。それ以外だったら、誰かのおうちを貸してもらうとか、もういっそのことお店を貸切にしてやるとかしかないよね」
・・・お寺でやりたいです。


すると、、、話してる間にさっきの本堂の裏からネパール人の方が現れ、手招き。「オショサン来たよ」なんと!!
これは行くしかない。行くしかない!さっそくついていくことにしました◎
ちょっと長くなっちゃったので続きはまた次の記事で。。。