シベリア抑留死亡者遺児の会

父親をシベリア抑留で亡くした遺児の会。墓参・埋葬地調査・遺骨収集・慰霊碑の建立・慰霊祭の情報を交換し風化防止に努める。

楽苦画飢16

2007-05-07 06:44:27 | シベリア抑留


第2シャフト地上図

私(柴谷様)の組ではK曹長が巻き上げ機の操作をしていた。
ある程度掘り進んだ所で櫓も組まれバケットに入れられた廃石を巻き上げ機で吊り上げトロッコに積み替え谷のような所へ捨てられた。

(楽苦我記)
穴も段々と深くなり一輪車では搬出不能となると、ウインチのワイヤーの先に容積0.6立方米位、徑70センチ程のビヤ樽の様な鉄製のバケットを取り付け櫓の滑車を介しウインチの動作に依って上下させるようにしてバケットを下に降ろし岩石の積み込みを待ち合図によって吊り上げ、上にいる作業員が滑り台に岩石を落とし先のトロッコに入れ谷側に落とす。

(解説)
他の方の説明で、その合図(鐘盤鳴)は、トンは止まる(ストーイ)、トン・トンは下す、トン・トン・トンは上る、だった。
今夏シャフタマへ出掛ける件で、この収容所からの帰還兵25名の方に「今夏シャフタマに行きます、付きましては些細な情報でもご提供下さい」と再度の。最後のお手紙を出した。
昨夕岐阜の吉村様が涙声で「行きたのは山々だが、昭和23年9月チタの事故で大腿骨骨折が悪化し、昨年手術を受けたが回復せず、両足用松葉杖使用中、その為転倒し手も骨折(場所不明)で字も書けない為返事が書けない」と泣き声でお電話頂いた。
そして「場所は秋武と柴谷が云っている、もう少し左だと私も思う、幸運を祈っている」と、10分余お話して、現地の写真などお送りする事を約束して電話を終えたが、他の方から「吉村に聞け」と言われ、何故返事が無いのだろうと思って居ただけに嬉しかった。本当にありがとう御座いました。


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