古事記の物語で難解なのは天照大神の天岩戸の物語である。この難解な天岩戸の物語については前回にその答えを出した。次に難解なのは山幸彦の妻、豊玉姫のお産のシーンではないだろうか。天孫であるニニギノ命が木花咲夜姫との間にもうけた子が海彦・山彦であり、海彦を従えた山彦が娶った姫が、海神の神の姫・豊玉姫であった。そして豊玉姫がお産する時、我々の想像を遥かに超えた物語が始まる。
それは古事記の物語をそのまま記せば次のようになる。
「妾(豊玉姫)は、既に孕めるを、『今産む時になりぬ。こを思うに、天つ神の子は、海原に産むべからず。故、参出至つ。』とまおしき。ここに即ちその海辺の渚に、鵜の羽を 葦草にして、産屋を造りき。ここにその産殿、未だ葺き合えぬのに、御腹の慌しさに忍びず。故、産殿に入りましき。ここに産みまさむとする時に、その夫に申したまひしく、『凡て他国の人は、産む時になれば、本つ国の形をもちて産むなり。故、妾今、本の身をもちて産まむとす。願はくは、妾を見たまいそ』と言したまいき。」
この後の物語は、「お産の姿を見てはいけないと言うのに見てみれば、豊玉姫は`八尋鮫(ワニ)に化けて子を生んだので、山彦は驚いて逃げた」と物語られている。
「美しい豊玉姫がワニになって子を生んだ」と言う話はどう解釈すればいいのだろうか。
ここに大胆な仮説を提案したい。豊玉姫は海神の子である。山彦は海の宮で3年を過ごし帰ってきた。2000年前の海洋民族の生活習慣とはどんなものだったのか。ふととんでもない空想が広がった。「2000年前の海洋民族のお産は、‘水中分娩’が当たり前であったではないか!」と。
人間は哺乳類であり、その哺乳類も進化の過程を遡れば、両生類、魚類に至る。今でも哺乳類の仲間の鯨やイルカは、海の中で子を産む。最近の進んだ医学では、より安全なお産として水中分娩が推奨されている。
Web.で水中分娩についてネットサーフィンしてみた。その結果8万件にヒットした。そして驚く事に200件についてチェックした結果、和文が6件、残りは凡て中国発のサイトであった。その幾つかを翻訳ソフトを使って読んでみたが、中国ではかなりの数の水中分娩が行われているのが解る。
人間の子は受精後、母の体内で10月10日を過ごす。母の胎内とは羊水の中で過ごす事を意味する。羊水は殆ど海水と同じ成分であると言われている。生まれた後も耳の内耳(カタツムリ菅)の中には、羊水と同じ成分のリンパ液が残っていると言う。
何故ここまで話を引っ張ってきたのか?理由は既に理解いただけていると思う。そう。豊玉姫が八尋鮫になって山幸彦の子を生んだ姿とは、海神の子として、‘海洋民族の風習に従って、海中でお産をしていた’と言う事ではないだろうか。
古事記は更に記している。豊玉姫曰く。「凡て他国の人は、産む時になれば、本つ国の形をもちて産むなり。」と言い、「故郷の仕来りで産む(倭国のしきたりで産むのではない・・・海の国のしきたりで産む)ので、見ないでくれ。」と言って産んだ。それを山彦が見て仰天したわけである。
水中分娩について調べてみると、我が国で広がらない理由として、‘妊婦が水中で他の菌に感染するため’と記述されていた。しかし海の中でお産をすれば、そんな心配も起こらないのではないか?と考えるが如何であろうか。美しい姫が、八尺もの鮫に化ける訳が無い。その頃の倭人にとって、水中分娩とは本当に珍しかったのであろう。そのためにその様子を、上手く伝える事が出来なかったのではないだろうか。古事記を編纂した太安万侶に伝えられた時には既に、豊玉姫が`鮫`に変身してお産をした話として、伝わっっていたのではないだろうか。
神話ならもっと神話らしく、皇祖の話にふさわしい物語にすべきであったが、太安万侶は、伝承をあまり脚色せずに神話として採用したとも考えられる。
それは古事記の物語をそのまま記せば次のようになる。
「妾(豊玉姫)は、既に孕めるを、『今産む時になりぬ。こを思うに、天つ神の子は、海原に産むべからず。故、参出至つ。』とまおしき。ここに即ちその海辺の渚に、鵜の羽を 葦草にして、産屋を造りき。ここにその産殿、未だ葺き合えぬのに、御腹の慌しさに忍びず。故、産殿に入りましき。ここに産みまさむとする時に、その夫に申したまひしく、『凡て他国の人は、産む時になれば、本つ国の形をもちて産むなり。故、妾今、本の身をもちて産まむとす。願はくは、妾を見たまいそ』と言したまいき。」
この後の物語は、「お産の姿を見てはいけないと言うのに見てみれば、豊玉姫は`八尋鮫(ワニ)に化けて子を生んだので、山彦は驚いて逃げた」と物語られている。
「美しい豊玉姫がワニになって子を生んだ」と言う話はどう解釈すればいいのだろうか。
ここに大胆な仮説を提案したい。豊玉姫は海神の子である。山彦は海の宮で3年を過ごし帰ってきた。2000年前の海洋民族の生活習慣とはどんなものだったのか。ふととんでもない空想が広がった。「2000年前の海洋民族のお産は、‘水中分娩’が当たり前であったではないか!」と。
人間は哺乳類であり、その哺乳類も進化の過程を遡れば、両生類、魚類に至る。今でも哺乳類の仲間の鯨やイルカは、海の中で子を産む。最近の進んだ医学では、より安全なお産として水中分娩が推奨されている。
Web.で水中分娩についてネットサーフィンしてみた。その結果8万件にヒットした。そして驚く事に200件についてチェックした結果、和文が6件、残りは凡て中国発のサイトであった。その幾つかを翻訳ソフトを使って読んでみたが、中国ではかなりの数の水中分娩が行われているのが解る。
人間の子は受精後、母の体内で10月10日を過ごす。母の胎内とは羊水の中で過ごす事を意味する。羊水は殆ど海水と同じ成分であると言われている。生まれた後も耳の内耳(カタツムリ菅)の中には、羊水と同じ成分のリンパ液が残っていると言う。
何故ここまで話を引っ張ってきたのか?理由は既に理解いただけていると思う。そう。豊玉姫が八尋鮫になって山幸彦の子を生んだ姿とは、海神の子として、‘海洋民族の風習に従って、海中でお産をしていた’と言う事ではないだろうか。
古事記は更に記している。豊玉姫曰く。「凡て他国の人は、産む時になれば、本つ国の形をもちて産むなり。」と言い、「故郷の仕来りで産む(倭国のしきたりで産むのではない・・・海の国のしきたりで産む)ので、見ないでくれ。」と言って産んだ。それを山彦が見て仰天したわけである。
水中分娩について調べてみると、我が国で広がらない理由として、‘妊婦が水中で他の菌に感染するため’と記述されていた。しかし海の中でお産をすれば、そんな心配も起こらないのではないか?と考えるが如何であろうか。美しい姫が、八尺もの鮫に化ける訳が無い。その頃の倭人にとって、水中分娩とは本当に珍しかったのであろう。そのためにその様子を、上手く伝える事が出来なかったのではないだろうか。古事記を編纂した太安万侶に伝えられた時には既に、豊玉姫が`鮫`に変身してお産をした話として、伝わっっていたのではないだろうか。
神話ならもっと神話らしく、皇祖の話にふさわしい物語にすべきであったが、太安万侶は、伝承をあまり脚色せずに神話として採用したとも考えられる。
との記述が気になります。
この表現を逆説的読めば、「神の子でなければ、海原に産むのが当たり前」となりそうです。へぶらいびと様ご指摘の、‘水中分娩’を古事記自体が立証しているように読めそうですね。
想像力が掻き立てられて、出雲にはどうしても行かねば!!としっかり思いました。
長いし、漢字が多いから、頭がついていくかどうか、ともかくゆっくり読んでいきます。
初っ端、すごく無知な質問いたします。
学生時代にも思ったことなのですが、太安万侶は、国家的な歴史編纂(でしたよね?)をするにあたり、史実を上手くオブラートに包んだり、伝承を御伽噺のようにアレンジしたり、どうしてそんな事したのでしょう。史実らしい内容にて作るらないで、黄泉の国がでてきてしまったり、鮫に化けたり、うそだあ!と思うような大和国の歴史書のほうが、当時は理解されたんですか。
でも庶民には関係のない政治の世界みたいだし…。
聖書もノアの箱舟しかりで変なのと同じで、信心の世界に似てるのかしら。
ご質問の件ですが、神武天皇までは神代の世界と言うことにしたので、思うがままに想像を膨らませて書いたのではないでしょうか。元々神話と言うのは歴史のない時代からの伝承が基になっている訳ですが、古事記の編纂の目的はそれらの伝承を色々脚色して新しい神話を作り、神代から何とか人代の神武天皇に繋げ、万世一系とすることが第一義だった訳ですから多少の無理をしたのではないでしょうか。答えになっていますか?
なるほどです。
太安万侶は持てる想像力と空想で編纂し、さぞかし楽しかった事でしょう。
そして現在、創造と空想だけではなく、そこには史実が隠されている!
と、ここでへぶらい様の謎解きの登場。
これもまた自由に空想できて、楽しい作業かも。
また寄らせて頂きます。
葉っぱ様の深入りを期待しています。