前回‘高天原’と言う名は、天武天皇の時代に大和朝廷の出目であるイスラエルの支族の祖・アブラハムの故郷‘タガマ・ハラン’を記憶に留めるために、古事記の神達の住む世界の名とし、‘高天原’と言う漢字を当てたと言う話をした。
今回、タガマ・ハランについて説明したい。
旧約聖書に記された最初の人類・アダムとイブから数えて11代目のノアの時代に、有名な大洪水が起こりノアの家族8人だけが地上に生き残った。ノアたちの乗った箱舟は旧約聖書の中に、現在のトルコにそびえるアララト山(標高5137M)に漂着したと言われている。2003年、人口衛星による撮影でアララト山のトルコ側・標高4663Mの氷河の中に、旧約聖書に記載されているノアの箱舟と同寸法の物体が発見された事が報道された。米国ヴァージニア大学のリッチモンド教授は色々検討した結果、ノアの箱舟であろうとした。更にロシアの探検隊が現地を探索し、木製の箱舟の残骸と思われる物体を発見し、放射性炭素年代測定法を用いて調べた結果、その木材は紀元前数千年のものと推定されると報道されている。ここでも旧約聖書が架空の話ではなく、史実を基にして造られた物語であることの一端が見られる。
ノアの一族は箱舟のお陰で大洪水の被害をまぬかれて生き残り、新たな人類の歴史が始まった。現在の人類は全て、このノアの家族から枝分かれしたとされている。ノアの時代からセムへ、セムの世代からテラへと代が変わり、テラの子として生まれたアブラハムが、イスラエル民族の祖となった。そのアブラハムの生まれた地がアララタ山のアルメニア国側の、タガマ州ハラン町であった。インターネットでアララタ山を調べてみると、日本の霊峰富士山と同じ形の美しい山である。何かを感じさせる。
アブラハムの子イサク(諏訪大社の御頭祭のモデル)、イサクの子ヤコブ、そしてヤコブの時代に、末の子ヨセフがエジプトに売られてしまう。しかし全てに優れていたヨセフは、その才能を認められ後にエジプトの宰相となる。その後預言者モーゼの時代にイスラエル民族はエジプトを追われ、放浪の末に神との約束の地・カナン(現在のイスラエル)に辿り着く。この話はハリウッド映画の大作で有名な`十戒'で描かれた。
イスラエル人はここにヘブライ王国を築き繁栄を極めたが、後にバビロニア帝国とアッシリア帝国に滅ぼされ、イスラエル十支族の放浪の旅が始まった。
長くなったが以上がアブラハムと、その生誕地タガマ・ハランに係わる話である。
放浪の旅人となったイスラエルの支族は、アララタ山のような美しい山を探しながら東へ向かったのだろうか。そして辿り着いた倭国にはアララタ山と瓜二つの富士山があった。「この地こそ捜し求めていた国だ!!」と思ったのではないだろうか。その後倭国の王となり、大和朝廷を築いたイスラエルの支族が、祖国の地名を何とか後の世に残したいと思ったとしても何の不思議もない。
天武天皇の時代、国史を纏めることとなり、古事記、日本書紀が編纂された。そして記紀の神代の話の中に、遠い祖先の故郷の地‘タガマ・ハラン’を何とか残そうと考えた末、これに漢字を当て、神代の時代の神々の住み処の名にしたのであろう。大和言葉には濁りが無い。従ってタガマという音は、タカマとなり、タカァマに変化し、これに漢字を当てると‘高天’となる。ハランの`ン'は字と成り得ないので省かれ、ハラには当然‘原’が当てられた。タカマガハラのガは、~~ヶ原のヶであろう。関ヶ原、戦場ヶ原などと同じと解釈できる。このようにしてタガマ・ハランは、タカマガハラ・高天原となって、神達の住むところの名として残った。
こうしてヤマト民族の祖・イスラエル支族が流浪の旅を始めた年を、神武天皇が即位した年・皇紀元年(紀元前660年)として残し、イスラエルの祖・アブラハムの故郷を”高天原”として記紀の中に残した。それらは正に関係者しか解らないように、自らの出目の証とし暗号のようにして残したのではないだろうか。
今回、タガマ・ハランについて説明したい。
旧約聖書に記された最初の人類・アダムとイブから数えて11代目のノアの時代に、有名な大洪水が起こりノアの家族8人だけが地上に生き残った。ノアたちの乗った箱舟は旧約聖書の中に、現在のトルコにそびえるアララト山(標高5137M)に漂着したと言われている。2003年、人口衛星による撮影でアララト山のトルコ側・標高4663Mの氷河の中に、旧約聖書に記載されているノアの箱舟と同寸法の物体が発見された事が報道された。米国ヴァージニア大学のリッチモンド教授は色々検討した結果、ノアの箱舟であろうとした。更にロシアの探検隊が現地を探索し、木製の箱舟の残骸と思われる物体を発見し、放射性炭素年代測定法を用いて調べた結果、その木材は紀元前数千年のものと推定されると報道されている。ここでも旧約聖書が架空の話ではなく、史実を基にして造られた物語であることの一端が見られる。
ノアの一族は箱舟のお陰で大洪水の被害をまぬかれて生き残り、新たな人類の歴史が始まった。現在の人類は全て、このノアの家族から枝分かれしたとされている。ノアの時代からセムへ、セムの世代からテラへと代が変わり、テラの子として生まれたアブラハムが、イスラエル民族の祖となった。そのアブラハムの生まれた地がアララタ山のアルメニア国側の、タガマ州ハラン町であった。インターネットでアララタ山を調べてみると、日本の霊峰富士山と同じ形の美しい山である。何かを感じさせる。
アブラハムの子イサク(諏訪大社の御頭祭のモデル)、イサクの子ヤコブ、そしてヤコブの時代に、末の子ヨセフがエジプトに売られてしまう。しかし全てに優れていたヨセフは、その才能を認められ後にエジプトの宰相となる。その後預言者モーゼの時代にイスラエル民族はエジプトを追われ、放浪の末に神との約束の地・カナン(現在のイスラエル)に辿り着く。この話はハリウッド映画の大作で有名な`十戒'で描かれた。
イスラエル人はここにヘブライ王国を築き繁栄を極めたが、後にバビロニア帝国とアッシリア帝国に滅ぼされ、イスラエル十支族の放浪の旅が始まった。
長くなったが以上がアブラハムと、その生誕地タガマ・ハランに係わる話である。
放浪の旅人となったイスラエルの支族は、アララタ山のような美しい山を探しながら東へ向かったのだろうか。そして辿り着いた倭国にはアララタ山と瓜二つの富士山があった。「この地こそ捜し求めていた国だ!!」と思ったのではないだろうか。その後倭国の王となり、大和朝廷を築いたイスラエルの支族が、祖国の地名を何とか後の世に残したいと思ったとしても何の不思議もない。
天武天皇の時代、国史を纏めることとなり、古事記、日本書紀が編纂された。そして記紀の神代の話の中に、遠い祖先の故郷の地‘タガマ・ハラン’を何とか残そうと考えた末、これに漢字を当て、神代の時代の神々の住み処の名にしたのであろう。大和言葉には濁りが無い。従ってタガマという音は、タカマとなり、タカァマに変化し、これに漢字を当てると‘高天’となる。ハランの`ン'は字と成り得ないので省かれ、ハラには当然‘原’が当てられた。タカマガハラのガは、~~ヶ原のヶであろう。関ヶ原、戦場ヶ原などと同じと解釈できる。このようにしてタガマ・ハランは、タカマガハラ・高天原となって、神達の住むところの名として残った。
こうしてヤマト民族の祖・イスラエル支族が流浪の旅を始めた年を、神武天皇が即位した年・皇紀元年(紀元前660年)として残し、イスラエルの祖・アブラハムの故郷を”高天原”として記紀の中に残した。それらは正に関係者しか解らないように、自らの出目の証とし暗号のようにして残したのではないだろうか。