倭国、大和国とヘブライ王国

ヤマトとはヘブライ王国の神・ヤハウエの民を意味するヘブライ語‘ヤァ・ウマトゥ’が変化したものであろう

素戔鳴尊と氷川神社

2006-02-01 16:46:33 | 歴史
 スサノオは斐伊川の上流の須佐に降臨し、大蛇退治の後須賀に宮を築いたという。現在どちらにも神社がある。そして実はどちらも斐伊川の上流なのである。先に斐伊川は八つ以上の支流があり、それが八岐大蛇の話に繋がったとした。それほどスサノオと斐伊川の関係は深い。ここに今一つその繋がりの深さを示す話を見つけた。
先に大宮市のJR大宮駅前に在る氷川神社の話をした。この氷川神社は明治天皇も参拝したという由緒ある神社で、御祭神はスサノオと大国主命、稲田姫が祭られている、武蔵野国一の宮である。
斐伊川はその音を取り、別の漢字を当てると氷川となる。その昔出雲族が関東地方にも勢力範囲を伸ばしたと言う仮説を立てた。そのような史実があれば出雲の祖スサノオを関東地方に祭ったとしても可笑しくはない。スサノオを祭る神社の名をなんとするか?地名から取るかスサノオの出目に係わる名から考えたであろう。出目からとすれば斐伊川である。漢字が使われ始めた頃は、殆どが漢字の音のみで訓は考えずに当てている。従って斐伊川に氷川と言う字を当てても何の不思議はない。
地方暮らしが長かった私には、氷川神社はあまり馴染みがない。しかし関東地方、特に東関東に目を向けるとかなりの数がある。先日読んだ原武史氏の著作『出雲という思想』に、この氷川神社に関連する記述があったので紹介する。
氏の調査によると氷川神社は東京都には59社、埼玉県には162社あるのに対して、他の都道府県には7社しかないという。それも荒川より西に集中しているという。そして氏は記紀の記述の中に、武蔵野国は大和族より先に出雲族が治めていたと思われる話が見られるとしている。
神社から日本の古代史を眺めてきた私にとって、正に力強い情報である。そして「天孫族と出雲族の国譲りの最終戦争があったのは、関東地方で有る」という仮説を後押しする話が同じ氏の記述の中にあったのだ。それは先ほど氷川神社と名のつく神社200以上が荒川の西にあるという話に対し、天孫族の国譲りの時のヒーローの一人、建経主神を祭る香取神社の分社が、荒川をはさんで東側(千葉側)にほぼ同数が配置されているという事実である。神社を兵士に変えれば、荒川をはさんで出雲族と天孫族が決戦を前にして陣を張っていた様が想像できる。
先に古事記の国譲りの物語では、建御雷神(茨城の鹿島神宮の御祭神)とこれを補佐する建経主神(千葉の佐原市の香取神宮の御祭神)が、出雲の建御名方神と争ったことが記されている。私は鹿島神宮の建御雷神が利根川の北を攻め、建経主神が利根川の南を攻めたという仮説をたてた。
この原武史氏の氷川神社と香取神社の配置は、正に私の仮説を裏付ける‘天孫族と出雲族の戦いの様そのものであると言えるのではないか!
出雲族は天孫族(大和一族)が倭国を従える以前に、この関東地方までもその勢力範囲に治めていたという話の、大きな裏付けとなると考える。