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拾い読み★≪箱根往路・朝刊①≫

2013年01月03日 07時40分15秒 | スポーツあれこれ
【復路展望】V争いは上位3チームに 日体大は矢野の起用が鍵
 日体大と2位・早大が2分35秒差、3位・東洋大が2分39秒差。4位・明大とは4分22秒の差があり、優勝争いは3チームに絞られた。
 日体大の復路は昨年12月29日のエントリー時点では5人全員が1万メートル29分台だが、補欠に28分53秒25の自己ベストを持つ矢野を残しており、どの区間に投入するかが勝負の鍵を握る。
 早大は7区の志方が28分38秒46のスピードランナーで、山下りの6区で射程圏内に詰められるか。東洋大は昨年6区区間賞の市川、8区区間賞の大津を同区間に配置して逆転を狙う。4位・明大から13位・中央学院大まで5分28秒差で、シード争いも激化しそうだ。


日体大往路V!昨年史上最低19位からV字回復
 古豪が復活ののろしを上げた。65年連続出場の日体大が、最終5区、3年生主将・服部翔大の区間賞の激走で、史上初の往路5連覇を狙った東洋大を逆転。26年ぶり10度目の往路優勝を飾った。昨年は創部初の繰り上げスタートの屈辱を味わい、史上最低の19位。その雪辱を、97年の神奈川大以来史上2校目となる予選会からの往路Vで果たした。2位の早大には2分35秒差、3位の東洋大には2分39秒差。30年ぶり10度目の総合優勝も射程圏だ。
 標高874メートルの最高到達点で受けた風速18メートルの風も、服部の、そして日体大の行く手を阻むものにはならなかった。白地に青のタスキが、最初に芦ノ湖へ帰ってきたのは26年ぶり。「前から山を走ってみたいと思っていた。走れて、いい順位でゴールできて良かった」。淡々と振り返る言葉が逆に、3年生主将の頼もしさを表現していた。
 4人全員が区間7位以内でつないで、最終5区は2位スタート。東洋大との1分49秒差を追った。早大の山本(2年)に12・2キロ地点で追いつかれても「前との差が詰まっていると聞いたので前を追うことだけを考えた」。14・4キロで東洋大・定方を捉えると、すぐに抜き去った。続く山本とのマッチレースは「僕の方が動きが良かったから、強い気持ちできついところで出たらどうかなと思って」16キロすぎにスパート。昨年区間3位の強敵を、力でねじ伏せた。
 昨年は9区へタスキをつなげず、64年の歴史で初めて繰り上げスタートを味わった末に、史上最低の19位。選ばれたメンバー以外が大会直前に飲酒するなど、チームがばらばらになった末の屈辱だった。「64年連続で出ていて、どこかで“何とかなる”という気持ちがあった」という別府健至監督(46)がゴール直後に選んだのが、服部の主将指名。「嫌なら辞めていい」と声を荒らげ荒療治に踏み切った。大会2週間前の11年12月18日に父・重夫さん(享年50)を肺がんで亡くしながら1区を区間2位で走りきった服部の強さが必要だった。
 「主将は一番速くなきゃいけない」と気合が空回りした春、関東インカレの1万メートルでは17位に沈んだ。だが、そんな服部の苦しみを察した同級生は「何があってもおまえについていく」と宣言。当初は反発した4年生も、服部の父の死を知り、学年ミーティングを行い「主将は3年生でも、部を引っ張るのは俺たち」と矜持(きょうじ)を取り戻した。寮の食堂には途絶えたタスキを「忘れないために」飾った。起床時間を常に午前5時30分に統一し、OBの原健介トレーナー(42)を招へい。朝の体操を体幹トレーニングに切り替えると故障者は激減した。11月の予選会は1位。全日本は4位。「段階を踏めて“やるぞ”と思えた」ことが、勢いにつながった。
 昨年12月15日には埼玉の実家に帰省。父の一周忌に参列した。その父との約束は、箱根駅伝の区間賞。約束を果たした服部は「復路の選手には箱根駅伝を思い切り楽しんでほしい」とエールを送った。その顔はもう、3年生主将に戸惑った春とは違う。30年ぶりの総合優勝を狙うチームの、大黒柱のそれになった。

 ◆服部 翔大(はっとり・しょうた)1991年(平3)10月28日、埼玉県鴻巣市出身の21歳。埼玉栄―日体大。全国高校駅伝は高校1年時の07年に日本人トップとなる3区2位。昨秋の全日本大学駅伝は4区で区間賞を獲得し、チームの4位に貢献。箱根駅伝は1年時に3区2位、2年時は1区2位。1万メートルのベストはチームトップの28分37秒75。1メートル64、52キロ。「ラストスパートで競り合ったら勝てる」勝負強さと安定感が武器。


名門高元監督招へい、体幹強化 日体大改革の成果出た
 「本気で変わらないと65回目(の出場)はないと思った」という日体大・別府監督が着手した改革は選手の走りに表れた。
 4月には高校の名門・西脇工の渡辺公二前監督を特別強化委員長に招へい。週1回のアドバイスで「私が一番変わった」と同監督は苦笑する。選手の見極めと適材適所。この日は3、4区にエントリーしていた4年生を外し、1年生の山中、2年生の木村に変更。山中は3区6位、木村は4区5位と安定した走りを披露し、采配の確かさを証明した。
 また、原トレーナー招へいで取り組んだのは自分の体重で負荷を掛けて体幹を強化する「スタビライゼーション」。2区区間4位の好走でチームを3位に押し上げた本田(3年)は「前は走っているとおなかが痛くなったけど、インナーマッスルで支えるようになって安定してきた」と振り返る。この日の強風でも走りがぶれなかったのは、この効果も大きかった。


「本当に私の子?」服部の母・順子さんは涙
 日体大・服部の母・順子さんは重夫さんの遺影を抱き、箱根神社の大鳥居がある21.8キロ付近でレースを観戦し「本当に私の子供なの?という信じられない思い」と涙をこぼした。
 夫・重夫さんの遺骨を加工したダイヤモンドをネックレスとして着用。本当は中継地点で一人息子に渡すつもりだったというが「早く着きすぎて、まだホテルにいたので」渡せず。それでも、遺影をちらりと見てラストスパートした息子が表彰台に立つと、乾きかけた涙が再びあふれ出した。


早大逆転V圏内2位 3区大迫が圧巻9人抜き
 2年ぶりの王座奪回を目指す早大は1区が17位と大ブレーキだったが、3区でエース大迫傑(3年)の9人抜きの活躍などで巻き返し2位につけた。史上初の往路5連覇を狙った東洋大は、柏原竜二(現富士通)が抜けた5区で遅れて3位。全日本2連覇で優勝候補筆頭の駒大はまさかの9位スタートとなった。
 ミスがあっても2位に踏みとどまった。早大は優勝候補の東洋大と駒大を抑え、トップの日体大とは2分35秒差につけた。狙っていた往路優勝はならなかったが、逆転圏内にはしっかり入った。
 1区で前回9区2位の前田が17位とまさかの大失速。最悪のスタートだったが、3年連続2区の平賀が12位に上げた。さらに、補欠から当日変更で3区に配置されたエース大迫が猛然と追い上げる。過去2年の1区区間1位で、今大会ただ一人の1万メートル27分台のタイムを持つ最速ランナーは、次々と前を行く選手たちをかわした。湘南海岸沿いでは「今まで経験したことがない。ずっと向かってきた」と突風に体をあおられながらも、ペースを落とさなかった。13キロ過ぎには2位集団に追いつき、15キロでは陸上部の同僚で、ロンドン五輪男子やり投げ代表のディーン元気から給水を受け「力になりました」。区間2位の走りで9人抜きを演じ、チームを3位に押し上げた。「順位を上げることはできた。最低限の走りはできた」。1区の失敗をエースがしっかりカバーした。
 だが、5区にも思わぬ“落とし穴”があった。昨年同区区間3位で、渡辺監督が「小さな怪獣」と愛称をつけて期待した山本(2年)。3位でタスキを受け、東洋大をとらえ、日体大の服部と中盤で競り合ったが、右脚のけいれんもあって、16キロ過ぎに突き放された。本来の力を出し切れず「向かい風の中でうまく走れなかった。情けないけれど、これが精いっぱいだった」と悔し涙を流した。
 渡辺監督は総合優勝の条件に掲げていた「往路優勝」を逃し、「チグハグなレース展開だった。きょうは勝ったとしても喜べない」と厳しい表情を浮かべた。理想の先行逃げ切りはなくなった。復路は追いかけるしかない。大迫は「復路も力のある選手がいる。粘っていけば、いい順位はついてくる」と仲間たちに思いを託した。


東洋大 山で負けた…柏原の穴埋められず
 東洋大は“山の神”が去り“山の魔物”に屈した。昨年まで柏原が激走を続けた5区を任されたのは、箱根初出場の定方(3年)だった。「自分は自分。プレッシャーは感じなかった」。トップで山上りに挑んだが、14・4キロで日体大、早大に追いつかれると14・8キロで2チームに引き離された。
 終盤は早大を追い上げたが、日体大と2分39秒差の3位。テレビ解説を務めた柏原の期待に応えられず、史上初の往路5連覇を逃した。「目標としていた往路優勝ができなかった。しかも(日体大に)離されてしまって…」と区間10位の定方は唇をかみしめた。
 1区・田口(2年)が区間賞と好スタート。双子の設楽兄弟でつないだ2、3区は兄・啓太(3年)が区間3位、弟・悠太(3年)が区間賞を獲得した。5連覇へ絶好の展開が暗転したのは4区だ。1万メートル28分台の今井(2年)を予定していたが、前日1日に左足首の故障が判明。当日変更で淀川(2年)を投入したが区間11位に沈んだ。トップでタスキを渡しながら2位・日体大との差は1分49秒。目安にしていた2分差をつけることはできず、酒井監督は「4区であと30秒は稼ぎたかった。区間11位はブレーキ」と振り返った。
 往路5連覇はならなかったが、総合連覇はまだ射程圏。「復路はみんな調子が良さそうなんで、トップでゴールしてくれると思う。“落ち着いて楽しく走れ”って伝えたい」と設楽悠が言えば、「総合優勝は諦めたくない。1区間だけじゃなく、全ての区間で少しずつ縮めていきたい」と酒井監督は力を込める。昨年、区間賞の力走を見せた6区・市川(4年)、8区・大津(3年)がそのまま同じ区間を走り、仙台育英高時代に5000メートル13分56秒52をマークした期待のルーキー・服部も当日変更での起用が有力。消えた山のアドバンテージを全員でカバーした時、Vロードが開けてくる。


明大安定4位も トップと「2分以内にできれば」
 昨年総合3位と健闘した明大が安定した走りで4位に食い込んだ。1区の文元(2年)が初出場の重圧を感じさせずに2位と好発進。その後は順位を上げられなかったが、大きく崩れることもなかった。
 西監督は「まずまずじゃないか」と順位を評価しつつも、トップに4分以上の差をつけられたことには「2分以内にできればと思っていた」と残念がった。絶対的なエースだった鎧坂(旭化成)が抜け、チーム全員での総合力をキーポイントに掲げる今年のチーム。西監督は「復路のメンバーも自信を持って送り出せる。上位3校のうち1校でも抜きたい」と日体大、早大、東洋大の牙城を突き崩す走りを期待した。


法大が躍進5位 5区関口“ペタペタ走法”で区間3位
 3年ぶりの箱根路で“オレンジエクスプレス”が復活した。過去2年は予選会次点で泣いてきた法大が、待ちに待った舞台で5位と躍進した。1区に登場したエースの西池(2年)が3位発進で弾みをつけると、4区では黒山(2年)が区間3位の好走。そして一番のインパクトを残したのは5区の関口(2年)だった。
 13位でタスキを受けると、足を痛めているかのようなバタついた走り方で猛追。低重心のピッチ走法で箱根の山を駆け上がった。「もともとのクセでペタペタ走るんです。ペタペタ走法かな。周りにもよくまねされます」。見た目は変わっているが、文句なしに速かった。赤城おろしが吹きつける群馬県みどり市出身。「冬場にはこれぐらいの風も吹くので慣れている」と冷たい空っ風にもまれた“ペタペタ走法”で、あれよあれよと8人を抜き去った。区間2位のその力走には、成田道彦監督も「壊れてるかと思う走り方でしょ?」といたずらっぽい笑み。「我慢強い子だから期待はしていた。予想以上だったけどね。復路は厳しいけど何とかシードを確保したい」と期待を込めた。


青学大は6位 10区起用濃厚の出岐に託す
 昨年10月の出雲駅伝を制した青学大は、往路6位と出遅れた。1区の遠藤(3年)が区間18位と失速すると、ルーキー・久保田が3区で区間4位と好走したが、上位争いには加われなかった。「1区が誤算だった。調子は良かったのに…。こんなもんでしょう」と原監督は振り返った。
 目標の3位まで3分33秒差。指揮官は補欠に回っているエースの出岐主将(4年)を復路の最終10区に投入する予定で「4年間頑張って、今のチームがあるのも出岐がいたから。チームをつくってくれたご褒美。今、調子がいい」と話し「力強く出岐までつなぎたい。3分なら逆転できる」と期待を込めた。


帝京大巻き返した7位 5年ぶりシードに意欲
 帝京大は2区まで15位と出遅れながら、7位と巻き返した。4区の早川(2年)は区間2位の好走で12位から6位に押し上げた。
 中野監督は「風が味方した。パワフルな走りが生かせた」と納得顔。5年ぶりのシード獲得が見えてきたが、指揮官は「攻めていきます。面白いレースができるかな」とさらなる上位進出に意欲を見せていた。


順大4区田中が区間賞 2年連続シードへ復路も安定感
 順大は4区の田中(4年)が区間賞の走りで往路8位に貢献した。「全く前に進まなかった」と苦笑いするほどの強風をはねのけ、15位で受けたタスキを7位で5区の西郷(2年)につないだ。「4区に回ったことは不本意ではあるけど自分の仕事はできた」とエースの役割をきっちり果たした。
 前回5年ぶりのシード権奪回に貢献したメンバーが多数残る安定感。田中は「目標の3位以上に向け、しっかり復路の選手を応援したい」と走り終えてもまだ気合のこもった表情だった。


駒大まさか9位 最速軍団に誤算だらけ
 最速軍団がまさかの往路9位に沈んだ。エントリー16人中8人が1万メートル28分台の記録を持つ駒大だったが、アクシデントを克服する底力はなかった。
 4区を予定していた其田(1年)が、前日に発熱して急きょエントリー変更。代役の湯地(3年)は2位でタスキを受けながら区間19位と大ブレーキで、4区を終えて10位に。昨年2区の村山(2年)を5区に起用したが、順位を1つ上げるのが精いっぱい。「4区で全てが変わった。使う予定の選手を使えていたら」と大八木監督は険しい表情を浮かべた。
 4区で誤算があったのは事実だが、序盤から波に乗れなかった。1区出場選手中No・1の1万メートル28分2秒46の油布(3年)は、消極的なレースで区間4位。エース・窪田(3年)も2区で区間7位と精彩を欠いた。「チームメートに申し訳ない。自分でレースをつくらないといけなかったのに。仕事ができなかった」と窪田。往路Vの日体大とは6分57秒差で、もはや逆転優勝は絶望的。「せめて5番くらいには入りたいなと思います」と指揮官。“復路の駒大”の意地を見せるため、全力でタスキをつないでいく。


関東学連 及第点の10位「最低限の仕事できた」
 関東学連選抜は及第点の往路10位だ。2区の早川(東海大4年)はチームメート・村沢からの給水を受けて力走。3区・野本(拓大4年)が区間17位と失速したが、4、5区と区間1桁順位でまとめた。
 岡田監督(拓大)は「最低限の仕事はできた」と納得顔。10位以内に入れば14年大会は予選会から出場できるチームが1つ増えるため、各選手は母校のために復路を駆ける。「10位以内にいけると思う」と指揮官は自信を見せていた。


先輩モグスに並んだ 山梨学院大オムワンバも12人抜き
 2区で山梨学院大はケニア出身のエノック・オムワンバ(1年)が先輩のモグスと並ぶ12人抜き。16位でタスキを受けてペースを上げ、1時間9分32秒で区間2位の記録でチームを4位に引き上げた。
 「最後が凄く疲れた。4位になったことはうれしいし最高です」。初の箱根路で花の2区を任された。「いい経験をした。これからももっと頑張っていきたい」と前を向く。上田監督も「オムワンバはよく頑張った」と称えていた。


日大ベンジャミン12人抜き!2区で13位→1位
 日大のケニア人留学生、ベンジャミン(4年)が2区で激走しチームを一時トップに押し上げた。タスキを受けた時点では13位でトップの東洋大から1分42秒差。序盤から全力で飛ばし、中継点手前400メートルで東洋大をかわしトップに立った。
 「13位だったけれどトップまで行けると思った。風が強かったが最後まで諦めなかったのがよかった。うれしいです」。昨年はまさかの予選会敗退。今年は予選会1位の57分47秒で本戦出場の原動力となった。2年ぶりの2区だったが「コースは分かっていたので自分のペースで走れた」と1度走った経験を生かし1時間8分46秒で区間賞を獲得。鈴木監督は「一段とたくましくなった。今年は小川コーチが練習で管理してくれて良くなった」と目を細めた。「将来は五輪に出たいですね」と大きな目標を掲げていた。


中大初の途中棄権 シード権28年連続で途切れる
 箱根最多の優勝14回、出場87回を誇る伝統校が初めての悲劇に見舞われた。中大は2区を任されたエース格の新庄(2年)がブレーキ。まさかの区間最下位に沈み、戸塚中継所直前ではふらふらになって辛うじてタスキをつないだ。
 19位まで後退したチームは3、4区も悪い流れを断ち切れないまま、18位で5区の野脇(4年)へ。だが、野脇は脱水症状と低体温で急激にペースダウン。なんとか山は上りきったものの、21・7キロ地点、ゴールまであと1・7キロを残して力尽きた。中大の長い歴史では初めての途中棄権で、28年連続で守ってきたシード権も失った。新庄は思わぬ結果に責任を感じて号泣。浦田監督は「記録も順位も残らないけど、1年間やってきたチームとして意地を見せられれば」と復路でのせめてもの奮起を願った。


城西大 脱水症状&低体温症で5区浜本が途中棄権
 城西大は初出場から10年連続出場の節目に悪夢が待っていた。
 11位でタスキを受けた5区の浜本(4年)が、山上りに差しかかったところで足の運びが鈍り蛇行し始めた。「こっちの呼びかけに応答もなく、顔ももうろうとしていた」と危険を感じた櫛部監督が18・3キロ地点でストップ。中大・野脇と同じ脱水症状と低体温で、救急車で病院に搬送された。点滴を受けて無事に回復したが、城西大としては09年大会以来の途中棄権。櫛部監督は「現実として受け止めるしかない」と厳しい表情だった。
(以上 スポニチ)


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日体大・服部、亡き父に捧ぐ区間賞
第89回東京箱根間往復大学駅伝・往路(2日、東京・大手町-神奈川・箱根町芦ノ湖駐車場=5区間108・0キロ)
 名門復活だ! 前回総合19位の日体大が5時間40分15秒で26年ぶり10度目の往路優勝を飾った。予選会出場からの往路制覇は、1997年の神奈川大以来、16年ぶりの番狂わせとなった。山上りの5区(23・4キロ)で、2位でたすきを受けた服部翔大主将(3年)が一昨年12月に亡くなった父・重夫さん(享年50)との約束を果たす力走。1時間20分35秒で区間賞を獲得し、史上初の往路5連覇を狙った東洋大を逆転した。3日の復路では30年ぶりの総合優勝を目指す。
 新たな“山の神”の誕生を、天国から最愛の父が見守ってくれていた。864メートルの高低差も、19キロ過ぎの二子山付近で風速18メートルを観測した“暴風”も、ものともしない。3年生ながら古豪の主将をまかされた服部が、晴れ渡った青空へ、両手の人さし指を高々と突き上げた。
 「自分は神じゃない。『山の星』ぐらい。区間賞はびっくりした。ゴールテープを初めて切って、うれしかった」
 東洋大・定方俊樹(3年)と1分49秒差でたすきを受け取ると、9・5キロで42秒まで接近。3位から追い上げてきた早大・山本修平(2年)に12・2キロで並ばれたが、併走して東洋大を追う。14・7キロで定方を抜き去り、16・9キロでは山本を突き放す。あとは独走状態。芦ノ湖のゴールに姿を見せると、早大は2分35秒、東洋大には2分39秒差がついていた。
 1年遅れで亡き父との男の約束を果たした。11年12月18日、重夫さんが肺がんのため、50歳の若さで死去した。父の意識が薄らぐ中、「区間賞を取るから見ていてくれ」と呼びかけた。弔い戦となった前回大会は、1区(21・4キロ)で力走したものの、同学年の早大・大迫傑に23秒及ばず区間2位。先月に行われた父の一周忌で墓前に同じ誓いを立てた。2年越しでかなえた悲願だった。
 1年前は自身の快走と対照的に、チームは出場64度目にして初の繰り上げスタートの屈辱を味わうなど総合19位に沈んだ。毎年のように上位につけてきた古豪にとって最悪の順位だった。レース直後、東京・大手町の待機所で、別府健至監督(46)から次期主将に指名された。
 最上級生でない服部にチームを任せることに、新4年生からは不満の声もあがったが、“お目付け役”が不穏な空気を一掃した。兵庫・西脇工高を駅伝強豪高に鍛え上げた渡辺公二氏(74)が昨年4月に特別強化委員長に就任。横浜市内の寮に住み込み、部員たちの私生活を監視した。
 グラウンドへの感謝を第一のモットーとする名伯楽は、毎日10分の雑草取りを厳命。服部は練習前、自主的にくわを持ち込み、草を刈り込んだ。上位10人の合計タイムで競う予選会(昨年10月)ではチームのペースメーカー役を務めてトップ通過に導き、11月の全日本大学駅伝でも4区区間賞でチームの4位躍進に貢献した。
 「関係がぎくしゃくしたこともあったけど、先輩たちは割り切ってくれた。復路の人たちは楽しんで走ってほしい」
 3年生主将はさわやかに笑う。別府監督が「4番でエース」とたたえる服部がつくった貯金を得て、30年ぶりの総合優勝へ向けて日体大が復路も主役を張る。(江坂勇始)

★復路は
 山下りの6区に鈴木悠介(3年)、7区は高田翔二(4年)、8区は高柳祐也(4年)、9区は奥野翔弥(1年)、10区は谷永雄一(4年)がエントリー。往路は3、4区でメンバーを変更しており、復路では2人まで変更が可能となる。往路は4年生が1人も出場せず。服部に主将の座を譲った最上級生が奮起すれば、総合優勝も見えてくる。

26年ぶりの往路優勝に日体大・松浪健四郎理事長の話 「(5区の)箱根湯本駅の手前で応援していた。昨年、19位に終わった大会後に別府監督が“あと2年やらせてください”と言ってきて、早くも結果を出してくれた。うちに神風が吹いた。始まる前は復路の方に期待していたから、総合優勝を待ちたい」

服部翔大(はっとり・しょうた)
 ★生まれ 1991(平成3)年10月28日、埼玉・鴻巣市出身
 ★陸上をはじめたきっかけ 小学6年のとき、校内の持久走大会で2位となり悔しかったから。当初は陸上嫌いだったが「いまは勝てるから好き」
 ★経歴 鴻巣北中-埼玉栄高-日体大
 ★自己記録 5000メートル13分49秒33、1万メートル28分37秒75
 ★好物 栄養ドリンクのオロナミンC。この日も飲んで出陣した
 ★理想の女性 峰不二子
 ★サイズ 1メートル64、52キロ

日本体育大学
 1893(明治26)年に日本体育会体操練習所として創立。1900年に日本体育会体操学校、41年に日本体育専門学校に改称し、49年に日本体育大学設立。現在は体育学部に体育学科、健康学科、武道学科、社会体育学科がある。陸上部は前身の日本体育専門学校時代に49年の第25回箱根駅伝に初参加。69年の45回大会で初優勝し、その後5連覇するなど9度優勝。陸上部の主なOB・OGは元マラソン選手の谷口浩美氏、新宅雅也氏や有森裕子さん、佐々木七恵さんら


区間2位?日体大・服部に“誤報”
 1区で区間7位だった勝亦祐太(1年)が、うっかりミスで“誤報”してしまった。表彰式後、「誰かがそう言っていた」というまた聞きで、服部に「区間2位でしたよ」と報告。それを信じていた主将は会見で「父との約束は来年果たしたい」と話し、報道陣の頭には「?」マークが浮かんだ。もちろん、2位の法大・関口頌悟に1分57秒の大差をつけた正真正銘の区間賞です。

日体大に“神風”当日変更ズバリ!
 1987年以来の往路優勝に、日体大の別府監督は「私が大学2年のとき以来。優勝の味を忘れていた」と喜んだ。
 1区の勝亦祐太(1年)はトップに35秒差の7位で先陣を切り、「しっかりたすきをつなごうと思った」と納得の表情。花の2区で区間4位と好走して順位を3位に上げた本田匠(3年)は「風が強かったので、(他校の)裏につかせてもらった」という作戦が奏功した。
 そして当日変更で出場した2人が、復活の往路Vに貢献。3区で区間6位の山中秀仁(1年)は「自分の区間をしっかりたすきをつなげられた」と充実の笑顔だ。続く4区に起用された木村勇貴(2年)は区間5位の快走で早大と駒大を追い抜いて順位を2位に上げ、服部の逆転劇のおぜん立て。「リラックスして走れた」としてやったりの表情だった。

★スポーツ指導者を多数輩出
 日体大の学生は、将来スポーツの指導者、つまり教員の希望者がほとんど。とくに高校スポーツ界で力を発揮しており、今冬の全国大会出場校の中で、駅伝では男子10校、女子15校、サッカーで9校、ラグビーで18校、バレーボールでは男子16校、女子23校(総監督3人を含む)で日体大出身者が監督を務めている。


早大・大迫、志願3区で9人抜き!
 1区で17位と出遅れた早大は3区のエース大迫傑(3年)が9人抜きを演じ、2分35秒差の2位。
 最後は日体大に突き放され、またもや苦汁をなめた。山上りの5区で一時は首位にまで立つ猛追を見せ、5年ぶりの往路優勝も目前に見えた早大だが、結局は首位から2分35秒差、3位・東洋大とはわずか4秒差で、3年連続の往路2位。渡辺康幸監督(39)は悔しさを隠さなかった。
 「後ろから追い上げての2位なので、いいレースに見えるかもしれないが、ボクの中ではかなり不満です。1区が…」
 2年連続でロケットスタートに成功していた1区が、今年は“誤算”だった。昨年12月29日の区間エントリーでは「補欠」にして起用区間を隠していたエース大迫傑(3年)を、昨年まで2年連続区間賞だった1区ではなく、3区にサプライズ起用。代わりに1区を走った前田悠貴(4年)は区間17位に沈み、首位の東洋大から2分4秒も遅れた。
 大迫は「前を追う方がよかったので『できれば3区でいかせてください』と監督に言った」と起用経緯を説明。3区で意地の9人抜きを見せたが、肝心の区間賞はトップ快走の東洋大・設楽悠太に譲った。
 「うちは往路1位じゃないと総合優勝できない」と主力級を往路にずらりと並べた渡辺監督のプランは空回りした。救いは、5区・山本修平(2年)の粘走で、東洋大を辛うじてかわしてゴールしたことだ。
 「まだチャンスはある。6、7区で前を追っていくしかない」
 渡辺監督は復路でのロケットスタートを逆転の必要条件に挙げ、2年ぶりの総合優勝へ望みをかけた。(櫃間訓)

大迫傑(おおさこ・すぐる)
 1991(平成3)年5月23日、東京・町田市生まれ、21歳。中学入学時から陸上競技を始め、長野・佐久長聖高2年時に全国高校駅伝で優勝。2010年に早大に進学し、箱根駅伝では1、2年時ともに1区で2年連続区間賞の活躍。来春卒業予定ながら、すでに実業団の日清食品グループ入りが内定している。1万メートルの自己ベストは27分56秒94。1メートル70、51キロ


早大・大迫、ディーンの給水で元気
 ロンドン五輪男子やり投げ代表のディーン元気(3年)が給水係として参加。3区の15キロ付近で、同級生の大迫に給水のボトルを渡した。ディーンがロンドン切符をつかんだ昨年6月の日本選手権で、大迫は男子1万メートルで0秒38差の2位に終わり、五輪出場を逃した。ともに陸上競技部で寮生活を送っており、今回のコラボが実現。その名のとおり“元気”を与えた。

東洋大“山下りの神”で逆転∨だ!
 昨年完全優勝の東洋大は3位に終わり、史上初の往路5連覇を逃した。“山の神”柏原竜二(富士通)が卒業した5区で定方俊樹(3年)が逆転を許したが、1区(21・4キロ)の田口雅也(2年)、3区(21・5キロ)の設楽悠太(3年)が区間賞を獲るなど層の厚さを見せ、日体大から2分39秒差でスタートする復路で総合2連覇を狙う。
 4年間、箱根の山を独占し続けてきた東洋大が、ついに王座を明け渡した。トップで第4中継所を通過し、史上初の往路5連覇に手をかけていただけに、酒井俊幸監督(36)も悔しさを吐露した。
 「悪条件のときこそ力の差が出る。踏ん張ってほしかった」
 “山の神”として4年連続で5区の区間賞を獲得し、東洋大の強さを象徴していた柏原竜二が卒業。今年の山上りは3年生の定方に託されたが、風速7メートル前後の強い向かい風に苦戦。「抜かれても追いついていこうとしたが、辛かったです」と、1分49秒のアドバンテージを生かせず、小涌園(14・3キロ)を過ぎて日体大、早大と立て続けに置いていかれた。
 4区を走る予定だった今井憲久(2年)が前日に足首を痛めて欠場し、代わって起用された淀川弦太(2年)は区間11位と失速。アクシデントこそあったが、酒井監督は往路3位につけたチームをたたえた。
 「3区までは想定通り。いい流れできていた。あしたの復路につながる」
 1区で田口雅也(2年)が区間賞を奪う好スタートを切ると、東洋大の誇る“設楽ツインズ”が絶妙のたすきリレー。2区の兄・啓太(3年)が日本人トップの区間3位と好走すると、続く3区では弟・悠太(3年)が学生長距離界のエース、早大・大迫傑を上回る走りで区間賞を取った。
 「復路は非常に調子がいい。東洋の走りができれば勝てるはず」
 酒井監督は復路への希望を絶やさなかった。首位の日体大とは2分39秒、2位の早大とはわずか4秒差。復路スタートの6区は昨年区間賞の“山下りの神”市川孝徳駅伝主将(4年)が4年連続で担当。大物ルーキー、服部勇馬(1年)も控える。2年連続4度目の総合優勝へ、東洋大の逆襲に注目だ。(稲垣博昭)


明大4位、目指すは昨年3位超え!
 1区の文元慧(2年)が区間2位で好スタートを決めた明大は常に上位につけ、往路4位。絶対的エースの鎧坂哲哉(現旭化成)が在籍した昨年までとは異なり、今年は総合力で勝負する。西弘美監督は「復路も自信をもって送り出すメンバー。前をしっかり見据えて、上位3校のうち1つでも食えるようにしたい」と、昨年の総合3位を上回る目標を掲げた。

法大5位!山上りの関口8人抜き
 3年ぶり出場の法大は、5区で関口頌悟(しょうご、2年)が区間2位の快走。13位でたすきを受けると、「何も考えずに前に選手がいれば、追いつこうと必死だった」と8人を抜いて5位まで押し上げた。7年ぶりのシード復活に光が差した。
 福田赳夫、中曽根康弘両元首相を輩出した群馬・高崎高出身。レース前は「シェークスピアの本を読んでいた」という異色のランナーだ。地面をするように足を運ぶ変則的な走法を本人は「忍者走り」と表現する。「上体がぶれないフォームは自分のこだわり。思った以上の結果を出せた」と喜びに浸った。


青学大アンカー出岐で大逆転プラン
 昨年10月の出雲駅伝を初制覇して優勝候補に挙げられた青学大は、往路6位に終わった。原晋監督は「去年までなら喜んでいた順位。復路も青学らしく明るく楽しくいく」と前を向いた。出岐雄大主将(4年)をアンカーに起用すると明言し、「トップと3分以内で来れば逆転も可能。マジンガーZのように、向かい風にも負けず力強く走ってほしい」と期待した。

駒大監督「5位ぐらいに入りたい」
 往路9位と出遅れた駒大の大八木弘明監督は「(区間19位の)4区のブレーキがすべて。流れに乗れなかった」と悔しさをにじませた。全日本大学駅伝でアンカーを務め、逆転優勝へ導いたエース窪田忍(3年)も2区で区間7位と不発。日体大との6分57秒差に、指揮官は「開きすぎ。せめて5位ぐらいに入りたい」と5大会ぶりの優勝へ早くも白旗を揚げた。

12人抜き!花の2区でケニア旋風
 まるでこの日の強風のように、エースが集う花の2区(23・2キロ)でケニア人旋風が吹き荒れた。日大のガンドゥ・ベンジャミン(4年)、山梨学院大のエノック・オムワンバ(1年)が、ともに12人抜きの離れ業を演じ、格の違いを見せつけた。
 まずはベンジャミン。13位でたすきを受けた時点で首位・東洋大との差は1分42秒あったが、戸塚中継所の手前で設楽啓太を追い越した。1時間8分46秒で見事に区間賞を獲得。「最後まで諦めなかった。がんばった」と4年間で覚えた日本語で喜んだ。
 “弟分”のオムワンバも、区間2位でチームを16位から4位に押し上げた。大学は違えど、伝説は今後も続く。


強風で悲劇、城西大&中大が途中棄権
 28年間シードを守ってきた中大と昨年6位の城西大は5区で途中棄権した。
 山上りで相次いで悲劇が起きた。第4中継所のある小田原で最大瞬間風速21・2メートルを記録するなど、昼すぎにかけて強い向かい風が吹きつけた悪条件下、5区で城西大と中大が相次いで途中棄権に追い込まれた。
 猛烈な向かい風に対抗するため深い前傾姿勢で山を上った城西大の浜本栄太(4年)は、最高標高付近の18・3キロ地点で足元がおぼつかなくなりフラフラに。伴走車から様子を見守っていた櫛部静二監督(41)が「ジョギングよりも遅いペースだった。頭を打ったらまずいと思った」と棄権を決断した。救急車で近くの病院に運ばれ、低体温、脱水症状と診断され、点滴治療で快方に向かった。
 さらに中大の野脇勇志(4年)は、仲間の待つ芦ノ湖のゴールまで残り1・7キロの21・7キロ付近で無念のリタイア。84年連続出場の古豪は28年間守り続けてきたシードを失った。浦田春生監督(50)は「風が強い場所に出て、足取りが一気に重くなった。強風で体温を奪われ、体力が尽きてしまった」と説明、医務テントで元気を取り戻した選手をかばった。
 冬の強風が起こした衝撃のリタイア劇。棄権した2校は、記録こそ残らないものの、復路のレースを続行する。
(以上 サンスポ)

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