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拾い読み★≪箱根往路・朝刊②≫

2013年01月03日 07時40分35秒 | スポーツあれこれ
日体大“下克上”26年ぶり往路V!5区逆転で山に新スター!
◆第89回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝=報知新聞社後援)(2日、東京・読売新聞旧東京本社前・建て替え中―芦ノ湖、5区間=108・0キロ)
 日体大が5時間40分15秒で26年ぶり10回目の往路優勝を決めた。4区の木村勇貴(2年)で2位に浮上した日体大は、山上りの5区で主将の服部翔大(3年)が早大、東洋大を逆転し、区間賞。過去最低の19位だった前回からの躍進で、予選会から勝ち上がったチームでは73回大会の神奈川大以来、16年ぶりの“下克上V”となった。復路は3日午前8時、神奈川・箱根町の芦ノ湖畔駐車場をスタートする。
 青空に両手の人さし指を突き上げ、服部が弾むようにゴールへ飛び込んだ。最長23・4キロの難区間を征服した充実感。重責を果たした安ど感。日体大に26年ぶりのタイトルをもたらした立役者は、164センチの小さな体で目いっぱい喜びを表現した。
 東洋大の柏原(富士通)が卒業して「山の神」不在となった5区に、新星が誕生した。4区の木村から2位でタスキを受けた服部は、1分49秒差も「想定内」と自信を胸に持って追い上げた。前方に標的は見えなかったが、目線を足元に置き、山と会話するようにリズムを刻んだ。早大・山本との競り合いで前に出ると、14キロ過ぎに東洋大の定方もとらえ、16キロで一気に2人を引き離した。
 「そこで勝負に出たのは勘です。上りでの動きは自分の方が良かったので」。苦しい上りで表情さえ変えない“忍法”で、ハットリくんはライバルを幻惑。最高地点を過ぎると、下りでさらに差を広げた。場所によっては風速18メートルの向かい風も受けたが、12月の伊豆大島合宿ではもっと強い風を経験済み。「楽しかった」とどこ吹く風で天下の険を走りきった。
 天国に贈る区間賞だった。一昨年12月18日、父・重夫さんが肺がんのため50歳の若さで他界した。生前にかわした約束は「区間賞を取る」。沿道で母・順子さん(51)が掲げる遺影を目にして力を得た。前々回は3区、前回は1区で2位。ようやく果たした約束の先に、栄冠があった。
 一昨年、重夫さんの容体が悪化した際は、周囲に悟られないよう大学と埼玉・鴻巣の実家を往復した。不安や悲しみに耐えられる強い精神力があるから、別府健至駅伝監督(46)は周囲の反対を押し切って、3年生ながらキャプテンに任命した。当初は上級生と関係がぎくしゃくしたが、責任感の強さで団結を呼び、過去最低だった前回19位から飛躍。予選会を勝ち上がっての“下克上V”を達成した。
 「僕は山の神じゃない。山の星くらいですかね」。笑う服部は「この流れを使って、あしたもいい結果になれば」とタスキを託した。日体大は過去9回の往路優勝で、うち7回が総合優勝。念願のタイトルを父の墓前に報告する。

 ◆5区での逆転V 23.4キロに伸びた06年大会以降、逆転での往路優勝は7度目。4区の1位がトップで優勝したのは、前回の東洋大1回だけだ。また、今回の服部を含め、いずれも5区区間賞のチームが優勝のゴールテープを切っている。06年以降、往路Vチームが総合優勝したのは4回。

 ◆日体大 1926年創部。箱根駅伝には49年に初出場して以来、今回で65年連続65回目の出場。往路優勝10回、復路Vは10回、総合優勝は9回を誇る。タスキは白地に青。長距離部員は67人。主なOBは91年東京世界陸上マラソン金メダルの谷口浩美(現東農大助監督)ら。ロンドン五輪体操男子個人総合金メダルの内村航平(コナミ)ら、あらゆるスポーツ界でOBが活躍。


日体大・別府監督、往路Vに「私もびっくりです」
 日体大が5時間40分15秒で26年ぶり10回目の往路優勝を決めた。4区の木村勇貴(2年)で2位に浮上した日体大は、山上りの5区で主将の服部翔大(3年)が早大、東洋大を逆転し、区間賞。過去最低の19位だった前回からの躍進で、予選会から勝ち上がったチームでは73回大会の神奈川大以来、16年ぶりの“下克上V”となった。復路は3日午前8時、神奈川・箱根町の芦ノ湖畔駐車場をスタートする。
 往路優勝の記者会見。日体大の別府健至駅伝監督(46)は「みなさんも優勝するとは思っていなかったでしょう。私もびっくりです」と素直に胸中を明かした。前回大会は、8区で出場64回目にして初めて繰り上げスタートの憂き目を見るなど、史上最低の19位。たった1年での復活劇に驚くしかない。
 昨年の箱根路で惨敗する裏で、別府監督の進退問題が浮上した。そこで招へいしたのが、西脇工時代の恩師である渡辺氏だった。「練習の量や質が良くても生活態度が悪ければ絶対に勝てない。駅伝はタスキを渡すのではなく、心をつなぐもの」。渡辺氏は真っ先に生活面の改革に着手した。
 朝5時半過ぎから生徒と共に練習場の草むしりや掃除を実施。午後10時半の消灯時間も厳守させた。耐えられず辞めていく部員も出たが、一切の妥協を排除。別府駅伝監督も「私自身が変われた。(指導を)徹底できるようになった」と振り返る。
 精神面を鍛えられた選手たちは、力を出し切れる集団に生まれ変わった。10月の箱根予選会はトップ通過。11月の全日本大学駅伝は4位に食い込み、復活の気配を見せた。渡辺氏は箱根本番に向けて11月末から合宿所に泊まり込み、年末年始も自宅の兵庫に帰郷せず、これまで通り厳しい目を光らせた。過去、大会前に主力選手がノロウイルスに集団感染する甘さもあった日体大は、規律を取り戻し、ベストの布陣で今大会に臨んだ。
 見事にチームを再建した別府駅伝監督は「(往路Vは)私が大学2年(87年・63回大会)以来。優勝の味を忘れていたからうれしい。(復路は)同じように積極的かつ慎重にレースを進めたい」。復路も慢心を許さず、往路以上のドラマを見せる。

 1区区間7位・勝亦祐太(1年)「自分の走りでしっかりつなげられると思った。仕事は果たせたと思う」
 2区区間4位・本田匠(3年)「(4人抜きでチームを3位に引き上げ)今年は順位を上げて、少しでも貢献したかった」
 3区区間6位・山中秀仁(1年)「1年目で優勝。自分の区間をしっかりつなげたので上出来だったと思います」
 4区区間5位・木村勇貴(2年)「初めての大学駅伝で優勝は素直にうれしい。感謝の気持ちを持って走りました」

 ◆別府 健至(べっぷ・けんじ)1966年4月4日、神戸市生まれ。46歳。西脇工1年時の82年、アンカーとして全国高校駅伝初優勝のテープを切った。85年に日体大進学。箱根駅伝は3回出場し2年9区3位、3年8区2位、4年4区2位。89年に卒業後、NEC入り。現役引退後、同社のマネジャー、コーチを経て99年に日体大駅伝監督に就任し、05年箱根駅伝で総合2位。


ディーン給水に力!エース大迫3区で9人抜き!早大2位
 東洋大は、2、3区で2年ぶりの双子タスキリレーを演じた3年の設楽啓太、悠太の快走で3位に入った。往路優勝の日体大と2分39秒差で、2年連続4度目の総合優勝に望みをつないだ。花の2区では日大のベンジャミン(4年)が区間賞、山梨学大のオムワンバ(1年)が同2位の快走。ケニア人留学生はそろって12人抜きを見せた。
 砂が目に入ろうとも、前だけを見つめた。早大のスーパーエース・大迫傑(3年)は、当日の区間変更で3区に登場。渡辺康幸駅伝監督(39)の「3区で(先頭に)行きたかった」との考えで起用された。12位という想定外の位置でタスキを受けたことに加えて「今まで経験したことがなかった」ほどの強烈な向かい風に耐え、懸命に前を追った。
 15キロ過ぎでは同じ早大競走部でロンドン五輪男子やり投げ代表のディーン元気(3年)から給水を受けパワーアップ。「何か言ってたけど、風で聞こえなかった。でも、励みになりました」。東洋大・設楽悠に8秒及ばず「最低限の走り」と謙遜したが、区間歴代4位の9人抜きを披露した。
 ディーンとはともに世界を目指し、練習場で親しく話す間柄だが、自身が昨年6月の日本選手権で1万メートルの代表権を逃したロンドン五輪の話題だけは出なかったという。「向こうも気を遣っているかもしれないけど、自分で世界を見てみたい」。来春から米オレゴン州でも練習して世界を見据えるエースは、悪い流れを断ち切ってみせた。
チームは5区で山本修平(2年)が一時は首位に立ったが、終盤に右足がけいれんして失速。日体大の後じんを拝す2位に終わった。渡辺監督は「大迫は順位を上げてくれたが、やはり勝たないとだめ」と厳しかった。「あとは信じて待つだけ」と大迫。2年ぶりの王座を復路の5人に託した。


東洋大・双子タスキリレーで3位!連覇諦めん
 大会史上最強の双子ランナーに言葉はいらなかった。1区区間賞の田口雅也(2年)からタスキを受けた兄の啓太は、23キロ近くもトップを走り続けたが、弟の悠太が待つ戸塚中継所まで残り300メートルで日大のベンジャミンに並ばれ、抜かれた。それでも、3年連続で花の2区を任されたエースは意地を見せ、1秒差でタスキをつないだ。
 「最初から最後まで向かい風が強くてきつかったです。悠太に声をかける余裕もありませんでした」と苦笑いした。ひょうひょうとした風ぼうの設楽兄弟だが、熱いハートを持つ。兄から鉄紺のタスキと心意気を引き継いだ弟は、さらに向かい風が強まった湘南海岸を爆走。早大のスーパーエース大迫傑を8秒抑え、前回の7区区間新に続き2年連続で区間賞を獲得。「チームのために大迫に勝つつもりでした」と胸を張った。
 1年時にも2、3区でタスキリレー。過酷な気象条件でタイムは出なかったが、啓太は区間7位から同3位(日本人1位)、悠太は8位から区間賞と、ともに大きく成長した。「田口を含め3区までは本当に良かった」と酒井俊幸監督(36)も合格点を与えた。
 だが、史上初の往路5連覇は逃した。誤算は4区の淀川弦太(2年)と柏原竜二(現富士通)が昨年まで4年連続区間賞を奪った5区の定方俊樹(3年)。「4区は30秒、5区は1分、悪かった」と指揮官。その上で、連覇へ自信を見せた。補欠登録の大物ルーキー服部勇馬を勝負区間に投入する予定。「(日体大と)2分39秒差は、ぎりぎり行ける。5区間をかけて勝負したい」。2年連続4度目の栄光へ、ひたすら大手町を目指す。


前理事長・長島氏、東洋大の逆転Vを「信じています」
 2日の箱根駅伝往路で、史上初の5連覇を狙った東洋大は3位だった。新潟県山古志村(現・長岡市)最後の村長で、昨年12月の衆院選新潟5区で田中真紀子氏を破った同大学前理事長・長島忠美衆院議員(61)は「私も選挙で大差を逆転して当選したから」と、復路での逆転優勝に向け、選手にエールを贈った。
 例年、箱根駅伝は芦ノ湖の往路ゴール付近で応援することが多い長島氏だが、今年、2日は地元の新潟県長岡市などであいさつ回り。移動中に電話などでレース情報を収集した。東洋大は4区までトップを守ったが、山上りで逆転され3位。長島氏は「少し悔しいですが、選手たちは、ちゃんと力を出して走ってくれましたね」と選手をねぎらった。
 過去2回の衆院選では比例単独だったが、昨年、初めて小選挙区の新潟5区から立候補し、真紀子氏と直接対決。最終的に3万票近い差を付け当選、真紀子氏に比例復活も許さなかった。「昨年は箱根駅伝の東洋大総合優勝で幕を開け、最後は選挙があって充実した1年でした。ただその分、責任の重さを感じています」と決意を新たにしている。
 元クレージーキャッツの故・植木等さんから引き継いだ東洋大陸上競技部後援会の「箱根駅伝で優勝させる会」会長職を今も務める長島氏。3日の復路は事務所開きが行われる長岡市でテレビ観戦の予定だ。東洋大と往路1位の日体大との差は2分39秒と開いたが、長島氏は「わたしも選挙では『とても(真紀子氏に)届かないだろう』という状況でスタートして逆転した。駅伝の選手たちも必ず、往路の分を取り返して、優勝してくれると信じています」と力を込めていた。


明大4位!2区・大六野がブレーキ
 64年ぶりの総合優勝を狙う明大は往路4位につけた。5区で前回区間2位と健闘した大江啓貴(4年)が今年は同区間7位と伸び悩み、3位の東洋大に約2分差がついた。西弘美駅伝監督(60)は「負けても1分以内に抑えてほしかった」と振り返った。
 出足は快調だった。1区の文元慧(ふみもと・けい=2年)が東洋大、法大との先頭争いに食らいつき、2位で継投。文元は「区間賞を取りたかったが、1区の役目を果たせた」と胸を張った。だが、2区の大六野秀畝(2年)が区間12位とブレーキを踏み、総合6位に後退。大六野は「全然力を出し切れず、悔いの残るレースになった。思った以上に向かい風で進めなかった」と号泣した。
 それでも、目指してきた「全員駅伝」は揺るがない。「3強のうち1つでも食って、前回(3位)以上の成績を目指したい」と西駅伝監督。紫紺のタスキに、負けじ魂を込めて力走する。


5区・関口、山の神・柏原に並ぶ8人抜き!法大5位
 3年ぶりに箱根路に帰ってきた法大が躍進した。5区を走った2年の関口頌悟(しょうご)が区間2位の快走で、85回大会(09年)の東洋大1年・柏原竜二(富士通)に並ぶ史上2位の8人抜きを達成。チームは総合4位となった04年大会以来、9年ぶりの往路5位に食い込んだ。強風にあおられた5区では、中大と城西大が途中棄権するアクシデントが発生。中大は28年連続で獲得してきたシード権が途切れた。
 オレンジ軍団に「山の神」ならぬ「山男」が出現だ。山上り初体験の関口が、8人抜きのサプライズ走。関口は「僕は柏原(竜二)さんと違って凡人。山の神じゃなくて、法政の山男と呼んで下さい」とペコリ。成田道彦駅伝監督(56)は「びっくりしました! できすぎです」と喜びの声を上げた。
 強風の中、4区から受けたタスキは総合13位。関口は膝をピンと伸ばし、足を上げない競歩のようなフォームで山を上った。「高校まで群馬にいたので、冬場の強風は慣れっこでした」。群馬名物「からっ風」の中で鍛えた脚力を武器にピッチを上げ、ライバルを次々に抜いた。
 「ペタペタ走法」と自称する独自のフォームが生きた。実は生まれつき体が硬く、陸上を始めた群馬・笠懸中時代から「ロボット走り」と呼ばれていた。まだロボットのようにカクカク走るが、03年パリ世界陸上代表の坪田智夫コーチ(35)は「“すり足”のような動きで重心が安定している。ほかの選手が風でふらついている時も、関口はまったくよろけなかった」と絶賛した。
 1区でスタートダッシュを決めた同期の存在も刺激になった。西池和人(2年)が明大と1秒差の区間3位でタスキをつないだ。関口は「自分は西池のような爆発力はないが、粘りに自信はある」と胸を張った。
 7位になった06年大会以来、7年ぶりのシードが見えてきた。成田駅伝監督は「うちがシードなんておこがましいですが、明日も予想以上の走りをしてくれると助かります」と控えめだが、個性派集団が大手町でも奇跡を起こす。

 ◆関口 頌悟(せきぐち・しょうご)
▽生まれ 1993年1月8日、群馬・みどり市生まれ。19歳。168センチ、54キロ。
▽経歴 笠懸中―高崎高―法大社会学部2年。
▽競技歴 中学入学時に「部活動見学で楽しそうだった」と陸上部に入る。3年で全国中学大会3000メートル出場。福田赳夫、中曽根康弘両元首相を輩出した進学校の高崎高にスポーツ推薦で入学。2、3年時に都道府県対抗駅伝の群馬代表で5区を走り、2年は区間28位、3年は同21位。
▽家族 両親と兄。
▽読書家 今愛読しているのはシェークスピアの悲劇「ジュリアス・シーザー」。この日も宿舎でウオーミングアップ直前まで読んでいた。

 ◆5区記録めも 法大5区の関口が山上りで驚異の8人抜き。この区間では2009年(85回)の東洋大、柏原竜二(1年=9→1位)に並ぶ2位の記録となった。最多は05年(81回)に順大、今井正人(2年=15→4位)がマークした11人。区間賞は日体大の服部。日体大が5区区間賞を獲得するのは1989年(65回)の島津秀一(4年)以来24年ぶり8度目だ。また、5区で2校が途中棄権するのは初。過去には08年(84回)に順大の小野裕幸(3年)が脱水症状による全身けいれんで途中棄権のみ。


1区・遠藤、出遅れ 青学大6位
 10月の出雲駅伝を制した優勝候補の一角は往路6位に終わった。1区の遠藤正人(3年)がまさかの18位と出遅れたことが響いた。さらに、3区を走った久保田和真(1年)も4人抜きを果たしたが、2週間前に左足首を捻挫した影響でスーパールーキー本来の走りはできずじまい。
 原晋監督(45)は「遠藤は調子が良かっただけに、まさかという感じ」と首をひねった。2区を走った大谷遼太郎(4年)は「箱根はやっぱり甘くなかった。でも、出岐がやってくれると思う」と10区での起用が濃厚な前回2区区間賞のエース・出岐雄大(4年)が控える復路での巻き返しを期待した。


駒大、出遅れ9位!シード権確保に黄信号
 東洋大は、2、3区で2年ぶりの双子タスキリレーを演じた3年の設楽啓太、悠太の快走で3位に入った。往路優勝の日体大と2分39秒差で、2年連続4度目の総合優勝に望みをつないだ。花の2区では日大のベンジャミン(4年)が区間賞、山梨学大のオムワンバ(1年)が同2位の快走。ケニア人留学生はそろって12人抜きを見せた。
 昨年11月の全日本大学駅伝覇者で前回総合2位の駒大は、往路9位と大幅に出遅れた。5年ぶり王座奪回どころか総合10位以内でのシード権確保に黄ランプが点灯。大八木弘明監督(54)は「5番か6番まで順位を上げられるように努力する」と目標を下方修正した。
 エントリー9人が1万メートル28分台という快足軍団は「風邪」と「風」にやられた。4区で起用予定の選手が1日に37・8度の熱を出して欠場。箱根路で湯地俊介(3年)を初起用し、2区5位から3区2位まで追い上げた。しかし、逆風でスピードを錯覚しやすい上に「向かい風に勝てる強さがない」という指揮官の不安が的中。4区で10位に落ちた。
 首位の日体大に6分57秒差。撹上宏光ら主力4年生3人を投入する名将は「6区、7区で流れを作って追い上げたい。復路でやり直しだ!」と巻き返しを誓った。


学連選抜、健闘10位!村沢は志願の給水係
 16チーム分の思いを込めたタスキが、箱根路で躍動した。2区15キロすぎの給水ポイントで東海大の早川翼(4年)にペットボトルを渡したのは、チームメートで3年連続2区を走った村沢明伸主将(4年)。2年時に17人抜きを見せる快走を見せたヒーローの最後の役割は給水係だったが、自ら志願したものだった。
 「ここから上げていけ」と指示を受けた早川は9位に浮上。「本当は一緒に出たかったけど、励みになった。2区を走れてうれしかった」と胸を張った。チームは一時、順位を14位まで落としたが、5区の流通経大・吉村大輝(2年)が10位に上げ、4年ぶりのシードも見えてきた。「僕が出ることで大学のみんなを刺激したかった」と吉村。次回の90回大会では編成されないチームは、予選会での1校増を目指し、上位を狙う。


山梨学大・オムワンバ12人抜き!モグスに並ぶ1年生最多
 東洋大は、2、3区で2年ぶりの双子タスキリレーを演じた3年の設楽啓太、悠太の快走で3位に入った。往路優勝の日体大と2分39秒差で、2年連続4度目の総合優勝に望みをつないだ。花の2区では日大のベンジャミン(4年)が区間賞、山梨学大のオムワンバ(1年)が同2位の快走。ケニア人留学生はそろって12人抜きを見せた。
 ケニアからの留学生・山梨学大のエノック・オムワンバ(1年)が、2区12人抜きで箱根デビューした。1区・土田俊徳(4年)から16位でタスキを受けると、テンポ良く大きなストライドでチームを4位まで押し上げる快走だ。「難しいコースだったが、苦しくても我慢して前を抜いていこうと走った」。2度の上りも何の、23・2キロの重責を果たし、ホッとした表情を見せた。
 スタート700メートル付近で、あっさり東農大、帝京大を抜いた。14キロすぎの権太坂すぎまでに8位へと順位を上げ、21・7キロ付近では13人をかわし一時は3位に。「ラスト3キロから疲れ、あと1キロの地点では風がとても嫌だった」。最後は日体大に抜き返されたが、同大学OBのメクボ・ジョブ・モグス(26)=日清食品G=が持つ1年生“ごぼう抜き”記録の12人抜きに並んだ。
 9月の日本インカレ5000メートル、1万メートルで2冠。駅伝初挑戦だった10月の出雲は6区アンカーで10・2キロ区間賞、11月の全日本は2区13・2キロで37分16秒の区間新。そして、この日の激走。「来年はモグスさんの区間記録(1時間6分4秒)を更新できるように練習する」。スーパールーキーは胸を張った。

 ◆1年生のごぼう抜き最多タイ 2区で山梨学大1年のエノック・オムワンバが16位から4位に押し上げる快走。1年生の12人抜きは2006年(82回)で山梨学大の2区を走ったケニア人留学生、M・モグス(13→1位、チーム順位に組み込まれない関東学連選抜1チームも含む)と並び最多だ。次いで2011年(87回)に拓大の2区を走ったJ・マイナ(17→7位)、2010年(86回)2区の東海大・村沢明伸(14→4位)の10人抜き。


川崎監督、ため息「ひどい」中央学大13位
 中央学大は総合6位でのシード権を目標に掲げて挑んだが、往路での貯金づくりに失敗。川崎勇二監督(50)は「見ての通り、ひどいもんです。2つもの区間でブレーキをかけたら駅伝にならない」とため息をついた。2区で予選会日本人トップの藤井啓介主将(4年)が粘りの走りで8位から順位を1つ上げて後続につなげ、3区の13位から4区の沼田大貴(3年)が個人4位と奮闘してチームを9位まで引き上げたが、強い向かい風の5区で後続チームに抜かれた。指揮官は「復路は6区次第。下りの出足で失敗したら、シード権はあり得ないが、懸けるしかない」と厳しい表情で話した。

沖守、強行出場も出遅れ国学院大14位
 国学院大は2年連続10位から躍進を目指したが、1区で思わぬつまずきだ。区間エントリー終了後に1区の沖守怜(2年)が胃けいれんを発症。症状が治まり、強行出場したが、集団についていけず19位と大きく出遅れてしまった。5区の大下稔樹(2年)が区間11位の走りでチームを14位まで押し上げたが、シード圏内の学連選抜までは5分11秒と大差。前田康弘監督(34)は「復路は1つでも順位を上げたい」。復路には、都市伝説研究が趣味の中山翔平(4年)を起用予定。故障明けのため2区で起用できなかったが、3年連続10位で新たな都市伝説を築きたい。

日大・ベンジャミン12人抜き!13位から一気トップ
 強烈な向かい風も、日大のケニア人留学生の前では追い風のようだった。各校のエースが集った花の2区。首位と1分42秒差の13位でタスキを受けたベンジャミン(4年)は、次々と前の選手を抜き去った。8・3キロの横浜駅の時点で6人を抜き、7位に浮上。13・5キロで2位につけると、ラスト200メートルで東洋大もかわし、トップでタスキをつないだ。
 「最初から飛ばした。我慢したところもあったけど、最後まで諦めずに走った」。レース後も倒れず、息を切らさない余裕で、自身初となる2区の区間賞を獲得。歴代7位タイとなる12人のごぼう抜きも記録した。前回出場の11年も2区を走り、区間2位。「コースを分かっていたので、1位も抜けると思った」と自信をのぞかせた。
 予選会で2位に1分20秒差をつけ、独走Vを果たした地力を本番でも見せた。前回より力をつけたのはスタミナ。静岡・三島キャンパスでの練習では実業団選手と走り、夏の長野合宿は40キロ走を行った。鈴木従道・長距離監督(67)は「今までは後半にペースダウンしていたけど、今回はなかった。一段とたくましくなった」と絶賛。前日(1日)の夕飯は験担ぎで好物のうなぎを食べ、万全の体調でレースに臨んだ。
 エースは活躍したが、チームは失速し、往路15位。3区の佐藤佑輔主将(4年)が序盤からの腹痛で区間最下位などふるわず、「(3区以降は)あまりにもふがいない」と指揮官は切り捨てた。「日本が合ってる」という親日家のベンジャミンは、4月から実業団のモンテローザに就職。「オリンピックのマラソンで金メダルを取りたい」。新たな夢に向かって走り続ける。


5区・氏原、追い上げも実らず上武大16位
 出遅れに泣いた。1区を予定していた倉田翔平(2年)が左股関節痛のため欠場。代わりに起用された初出場の佐々木天太(2年)が区間最下位の20位と出遅れ、5区で4年連続出場の氏原健介(4年)の必死の追い上げも実らなかった。5年連続の出場で、初のシード圏内となる総合5位を目指し、沖縄・石垣島など、温暖な場所で合宿を張り、長い距離をこなした。スタミナをつけて臨んだが「スローペースの展開が向かず、駅伝にならなかった。最高順位の総合14位より上の順位を目指したい」と花田勝彦監督(41)は巻き返しに躍起だった。

東農大、練習の成果発揮できず17位
 東農大は前回大会最下位の雪辱を果たそうとしたが、往路は完走したチームでは下から2番目と、また結果を残せなかった。前田直樹監督(53)は「練習通りならこんな順位にはならないはずなのに。分からない」。前回5区の津野浩大(3年)が脱水症状となり、往路でトップと史上最大差となる41分17秒差をつけられた。そのため、今季は体調管理を徹底して万全の状態で臨んだだけに、現実が信じられない。5区で最下位から17位に上げた内藤寛人(4年)は「去年も復路は11位。みんながやってくれる」と復路5人の意地を期待した。

名門・中大棄権!29年連続シードならず
 名門の偉大な歴史が悲劇とともに途切れた。箱根山中に吹いた強烈な向かい風が、必死に上位に順位を上げようとした5区・野脇勇志(4年)に襲いかかった。
 18位でタスキを受けると、一時は15位まで順位を上げた。だが、冷たい風に体温を奪われ、低体温症に陥った。19キロ地点の最高点を過ぎると、突然ペースダウン。何度か転倒を繰り返した。浦田春生駅伝監督(50)が給水で状態を確認した21・7キロ地点。一時は大丈夫と判断して車に戻ろうとした直後だ。沿道のファンが「倒れた!」と声をかけた。ひざを強打した野脇の意識が遠のいていた。指揮官が抱え上げようと体に触れた瞬間、途中棄権が決まった。85年大会から28年間続いていた連続シードが芦ノ湖に着く前に途切れた。
 悲報が芦ノ湖に届くと、部員たちが崩れ落ちた。泣き声がやまない。花の2区を走った新庄翔太(2年)は悲鳴のような声を上げ、しばらく立ち上がれなかった。11月の全日本駅伝2区で6人抜きを見せ「箱根で結果を出す」と意気込んだエースも、向かい風の影響で足もとがおぼつかない。中継所直前に野脇と同じ低体温状態となり、中継所前で3回も転倒。9位から19位に順位を落とし「すいません…」と涙を流した。
 1区こそ9位とまずまずのスタートを切った名門は、歯車がかみ合うことなく悪夢の幕引きを味わった。「先輩たちがつなげてきたタスキを途切れさせてしまい、申し訳ない。復路は意地を見せてほしい」と指揮官。復路には10月の出雲駅伝で1区区間賞の代田修平(3年)が控える。名門のプライドを示すしかない。

 ◆低体温症 寒冷な環境の中で、体から失われる熱量が、体内で生成される熱量を長時間にわたり上回ることで起こる症状。体温が35度以下に下がると震えが起き、悪化して33度以下になると動きが緩慢になり、思考もぼんやりする。31度を下回ると昏睡(こんすい)状態になり、脈拍・呼吸数が低下して死に至ることもある。


城西大に4年ぶりの悪夢!5区・浜本が棄権
 4年ぶりの悪夢がよみがえった。城西大は11位でタスキを受けた5区・浜本栄太(4年)が、低体温症と脱水症状で5・5キロ過ぎの急な上り坂の入り口から大失速。姿勢は段々と前のめりになり、表情もうつろに。応答しなくなった18・3キロ付近で、櫛部静二監督(41)が棄権を判断した。09年(8区)以来2度目の途中棄権。00年の創部以来、初の2年連続シード権の夢は消えた。
 「(浜本は)2日前から急に緊張している感じがあった」と指揮官。5区起用は早々決まっていたが、直前になり最長区間、高低差864メートルの山の重圧に襲われた。加えて「頂上の気温は3度だった。ペースが落ちると体温も下がる」と指揮官。寒さと強風も体力を奪った。
 駒大5区・村山謙太(2年)の双子の弟で、2区を走った紘太(2年)も序盤で右太ももを痛め区間15位。チーム初の5位以内の目標に暗雲が漂う中で途中棄権となった。浜本は救急車で病院に搬送されたが、快方に向かっているという。「現実は受け止めつつ、(復路の選手は)役割を果たしてほしい」と櫛部監督は話した。来季に向け、参考記録の復路を戦う。
(以上 報知)


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山の神3代目は日体大・服部
 日体大にも「山の神」がいた-。前回総合19位に終わった日体大が、26年ぶり10度目の往路優勝を果たした。山登りの5区で、服部翔大主将(3年)が吹き荒れる強風に負けず、1時間20分35秒区間賞の力走。先頭を行く東洋大・定方俊樹(3年)を逆転し、早大・山本修平(2年)とのデッドヒートも制した。昨年「ブービー賞」の19位だったチームに、1997年(平9)の神奈川大以来、16年ぶりの予選会からの往路制覇という快挙をもたらした。
 箱根駅伝史に残る、風速18メートルの強い向かい風が吹き荒れる。山登りの5区。曲がりくねった山道で、追う選手の背中は見えない。だれもが悪条件に苦しむ中、日体大の服部は強気だった。昨年19位と惨敗したチームの主将を任された3年生は「主将は“4番でエース”が役目」と責任感を背負って、山を駆け上った。
 東洋大に1分49秒遅れで、タスキを受け取る。強風で体を前のめりにしないと足が上がらない中「強い気持ちでどんどん積極的に行く」と腕を振った。東洋大・定方の背中は見えないが、沿道のファンやチームメートが縮まる差を教えてくれた。「走りにくかったけど、周りが助けてくれたし、楽しかった」。後ろは振り向かず、突き進んだ。
 宮ノ下の11・8キロで定方の背中をとらえ、小涌園を過ぎた14・8キロで抜き去る。あとは早大・山本とのデッドヒート。15キロで逆転を許すが、16キロ付近で一気に前に出ると、そのままリードを広げた。強風をものともしない1時間20分35秒の区間賞という力走。だれもが予想してなかった日体大を往路優勝に導いた。
 忘れもしない昨年1月3日のレース直後、監督から主将に任命された。立候補した4年生もいただけに「頭の中はぐるんぐるんだった」。戸惑いは大きかった。当初、練習では4年生に「ついてきてください」と敬語をつかったため、「何をしたいのかわからない」と逆に関係が悪化した。
 チームは空中分解の危機に陥った。悩みに悩んだが「主将はエースで4番。一番強くないといけない」と考え直し、率先して練習を引っ張った。先輩にも遠慮せず「ついてこい」「つけ」ときつい言葉をはいた。10月の予選会では右ふくらはぎを負傷しながら、ペースメーカー役でトップ通過に導いた。主将として乗り越えた逆風に比べれば、この日の強風なんて恐るるに足らず。ここでも「エースで4番」を実践した。
 独走態勢を固めた箱根山の頂上付近。残り2キロのラストスパートは自然と力が入った。21・8キロの箱根神社大鳥居前。母順子さん(51)はベンチの上に立って、11年12月18日に肺がんで死去した父、故重夫さん(享年50)の遺影を掲げていた。そこには茶髪でサングラスと、いつもやんちゃだったおやじの姿があった。父の最後の言葉は「オレも頑張るから、お前も頑張れ」。在学中に区間賞を取ることも誓っていただけに「約束を果たせた。これからも見守ってほしい」。感謝の言葉が口をついた。
 元祖「山の神」といわれた今井正人(順大)にあこがれ、「箱根を走るのは5区しかない」と1年時から山登りを志願。3年目で念願の5区を任され、あの柏原竜二(東洋大)が卒業して初めて迎えた戦国駅伝で波乱を起こした。ニックネームを問われると「神ではないから“山の星”ですかね」。復路は30年ぶり10回目の総合優勝がかかる。「3年生主将」の奮闘に、次は仲間たちが応える番だ。【田口潤】

 ◆服部翔大(はっとり・しょうた)1991年(平3)10月28日、埼玉県出身。鴻巣北中時代から陸上を始める。埼玉栄高時代は東洋大の設楽兄弟、早大の大迫らとライバル関係だった。日体大入学後、1年時は3区、2年時は1区でともに区間2位。昨年1月から主将を務める。家族は母順子さん(51)。好きな女性のタイプはルパン三世の峰不二子。164センチ、52キロ。

 ◆予選会組の往路優勝 97年の第73回大会の神奈川大以来、日体大が2校目になる。ただし、神奈川大は前年大会は途中棄権しており、順位で予選会に回った大学としては初の往路優勝になる。復路では同じく97年の駒大、10年の駒大が優勝しているが、総合優勝は97年の神奈川大だけだ。


日体大、高校駅伝の神招き復活
 「強い日体大が帰ってきました!」。箱根湖畔に、表彰式を告げるアナウンサーの絶叫が響く。誇らしげな優勝戦士をながめながら別府健至監督(46)は「それぞれがきっちり走ってくれた。でも優勝は私もビックリです」と感慨深げに話した。
 信念は本番でも貫いた。この日の朝、3区岩間、4区福士の4年生を1年の山中、2年の木村にエントリー変更した。下級生の服部を主将に任命して、4年の底上げと奮起に期待。昨年10月の予選会トップ通過、11月の全日本4位と好循環したかに思えたが、指揮官は満足しなかった。勝負に徹し、最後の最後まで実力主義を徹底。心を鬼にした区間配置で選手の走りにブレはなかった。
 昨年4月に兵庫・西脇工高の渡辺公二前監督を特別強化委員長として招聘(しょうへい)。高校駅伝8度制覇の名将は「試合は超生意気でもいいが普段は謙虚に」をモットーに私生活からたたき直した。5時半起床の徹底、毎日10分間のゴミ拾い、入念なグラウンド整備、全面禁酒。それにより「腐った4、5人が退部した」(関係者)が、甘えを断絶し統制の取れたチームに芯が入った。4年生3人がエントリーされている復路で、完全復活を果たす。【渡辺佳彦】


早大2位 山本けいれんでV逸
 早大は5区で1度はトップに立つも、突き放されて2位だった。
 早大・山本修平(2年)は、必死でもがくが足が動かない。自信があった5区の山登りで一時はトップに立った。しかし、右足を襲ったけいれんで、4キロを残して日体大に突き放された。「往路優勝をしたかった。悔しすぎる」。エンジのコートの袖は涙でぬれた。
 早大にとって悔し過ぎる往路2位だ。今大会は選手層が薄く、往路制覇が目標だった。4区を終わって、1位東洋大とは2分7秒差の3位。5区には前回区間3位の山本がいただけに、渡辺康幸監督は「あそこまで行ったら勝たなきゃダメ」とため息をついた。
 隠し玉だったエースの大迫傑(3年)を3区に投入。やはり変更した1区の前田が17位発進とブレーキとなったが、大迫が9人をごぼう抜きし、3位まで押し上げた。区間賞こそ逃したが「自分の役割は果たした」(大迫)と、逆転のお膳立てはそろっていた。
 しかし、苦手とする強い向かい風が早大を阻んだ。山本は地面から跳ねるように走る。空中に浮く時間があり、風にあおられた。「俺の70キロの体が飛びそうだった」(渡辺監督)。望みを今日の復路にかけるところだが、渡辺監督は「悔しいけど、7区まで競っても、その後は離される」。2位と敗れたショックを引きずった。【吉松忠弘】


東洋大V5失敗…山で負けた
 「山の神」が去った東洋大が、山で負けた。5区で柏原竜二(富士通)の後を継いだ定方俊樹(3年)がトップでタスキを受けたが、2校にかわされて3位。史上初の往路5連覇を逃した。首位日体大との差も2分39秒にまで開いた。ただ、一時は30秒以上も離された2位早大とは4秒差にまで縮める粘りで、復路での逆転総合2連覇へ何とか望みをつないだ。
 今年は、ほほ笑んでくれなかった。東洋大にあれほど優しかった箱根の山が、敵に回った。5区を任された定方は、初めての箱根でもがき苦しんだ。風速18メートルの強風を受けた最高地点の二子山。「自分だけなのか、頂上が近づくと、止まりそうになって全然進まなかった」。焦りが走りを乱して区間10位。首位で山に挑むも、日体大と早大に逆転された。「目標の往路優勝ができず、しかも離されてしまった。力の差です」。悔しさで肩をふるわせた。
 往路4連覇の立役者「新・山の神」柏原が卒業した東洋大の山登り。選ばれたのは、同校OBで箱根を3度経験した父次男さんを持つ定方だった。「自分は神なんかじゃない。自分の仕事をするだけ」。そう言い聞かせて、2位日体大と1分49秒差でスタートした。だが、強風は思いの外、足の力をそぎ落とした。上りの後の下りで、日体大の服部と約1分半も離された。「向かい風や条件が悪いときこそ、こんなに力の差が出るのか」。酒井監督は、唇をかむしかなかった。
 アクシデントも痛かった。2、3区に双子のダブルエース設楽啓太、悠太(ともに3年)を配置。「それだけ往路を取るつもりだった」(酒井監督)。3区悠太が区間賞で走り、狙い通りに進んでいた。だが、4区で予定していた今井憲久(2年)が前日に左足首を故障。代役に入った淀川弦太(2年)が区間11位に落ちて、58秒も縮められた。最後に、流れを失った。
 山の神が去った大会で、史上初の往路5連覇を逃した。首位と2分39秒。決して小さい差ではない。だが、復路新で走った昨年のような走りができれば-。「定方は最後、よく頑張ってくれた。復路も箱根経験者は多い。トップでゴールしてくれる」と悠太。今年の合言葉は「闘争心をとき放て」。最後の1秒まで、あきらめない。【今村健人】


ディーン元気が大迫に「力水」
 ロンドン五輪男子やり投げ代表のディーン元気(早大3年)が、3区大迫傑(3年)に「力水」をつけた。15キロの給水エリアでペットボトルを手渡し、声をかけた。2人は同じ競走部の同級生で、互いに競技力を認め合う仲。そろっての五輪出場は実現しなかったが、大迫はテレビを通じて声援した。今回は大迫のサポート要請にディーンが快く応じた。親友の励ましを力に大迫はチームを3位にまで押し上げた。

法大・関口8人抜き!風の神
 「赤城おろし」の申し子が箱根の山登りで躍動した。13位でタスキを受け取った法大の関口頌悟(2年)が、昨年まで君臨した柏原竜二に並ぶ5区歴代3位の8人抜きの快走。3年ぶり出場となったチームで、シード権獲得に大きく前進する5位でゴールに飛び込んだ。ペタペタペタ…。まるで競歩のように太ももを上げない独特の走法に、関口は「あまり足を上げると疲労がたまると思って。でも、もともと『ペタペタ走法』です」とはにかんだ。
 柏原が「山の神」なら、関口はさしずめ「風の神」と言ったところか。生まれは群馬県みどり市。冬場は赤城山からの空っ風「赤城おろし」が吹くことで有名だ。中学から始めた陸上は、自然と風との闘いに。気付けば成田監督も「壊れているのかと心配される。忍者みたいでしょ」と称する走法が出来上がった。
 冷たい強風が吹いた箱根路で、その性質がものをいう。上位争いを尻目に、後方から次々に前を抜く。初出場、大きくなる声援に「どこからこんなに人がくるんだろう」。慣れた風はむしろ味方。周囲が苦戦するなか、「柏原さんと違って凡人です」という2年生が、その記録に比肩した。
 たしかに1時間22分32秒の区間2位は一見すれば平凡だが、この気象条件なら仕方ない。記録の期待は来年にかかるが「次は9区を走りたいんですけど…。ただ5区をまたお願いされたら、チームのためにやりたい」と視線を上げた。この日の朝、宿舎ではシェークスピアの「ジュリアス・シーザー」を読んでいたという自称「変わり者」。新たな山伝説の担い手になる予感は十分だ。【阿部健吾】

 ◆関口頌悟(せきぐち・しょうご)1993年(平5)1月8日、群馬県みどり市生まれ。笠懸中1年で陸上を始めて高崎高へ進み、11年に法大社会学部に入学した。5000メートルは14分26秒39、1万メートルは29分40秒56が自己ベスト。箱根予選会ではチーム2番手の41位だった。趣味は読書。元パイレーツの桑田真澄氏の著書を愛読し、「どんなケースでも全力を尽くす」がモットー。168センチ、55キロ。


中大、城西大が5区で棄権
 国道1号の最高地点、二子山の標高874メートル地点の気温は3度。風速18メートルという冷たい強風が吹く過酷な条件が、5区で初の2校の途中棄権を生んだ。最初の犠牲は、城西大の浜本栄太(4年)。18・3キロ付近で前のめりになり、櫛部監督の呼び掛けにも反応しなくなった。ふらつく足元。同監督は「目もうつろで、頭でも打ったらまずい」と判断を下した。1人での走りが長く、174センチ、50キロの細身の体を寒風がむしばんだ。体温が上がらず、低体温と脱水症状に。救急車で病院に搬送された。
 同じ症状に襲われたのは中大の野脇勇志(4年)。残り1・5キロ地点でふらつき、意識がなくなり転倒した。浦田監督は「全て私の責任。シード権を守ってきた先輩方に申し訳ない」と肩を落とした。84年連続87回目出場で初の棄権。28年連続シードの記録も断たれた。2校以上の途中棄権が出るのは、08年の84回大会で順大、大東大、東海大が経験して以来5年ぶり2度目だった。
(以上 日刊)
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