ちょこっとGUM

今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

拾い読み★箱根駅伝≪復路・朝刊記事1≫

2016年01月04日 07時02分32秒 | スポーツあれこれ


青学大・原監督「水飲むな」時代に率先水分補給
 快挙とともに2連覇を達成した原監督の采配にスポーツ報知の箱根駅伝担当・竹内達朗記者(46)が迫った。箱根駅伝を3回走った東洋大OBは青学大に1年間密着。何度も原マジックに目を見張った。
 なぜ、青学大は強いのか。原監督の指導方針が徹底しているのが理由だろう。口癖は「自分で考えなさい」だ。「指導者から言われた練習をしているだけでは絶対に強くなれませんよ」。原点は約30年前、広島の名門・世羅高時代にさかのぼる。「今では水分補給の重要性が知られていますが、私の高校時代は『水を飲むな』という指導が当たり前でした。私はおかしいと思っていた」
 青学大OBで04年に母校に原監督を招へいした中心人物の瀬戸昇さん(47)=中国放送勤務=は、世羅高で原監督の2年後輩。「夏、クロスカントリーの練習で野山に入ると、キャプテンだった原さんは率先して小川の水を飲んでいた」と明かす。「川の水を飲んだ方が体にいい、と考えたからです」。原監督は平然と振り返る。
 いわゆる“オレ流”は指導者になった現在もブレていないが、柔軟性も併せ持つ。「学生が練習メニューなどについて『僕はこう考えます』と言ってきたら、私と正反対の意見でも、まずは思うようにやらせます。それを踏まえて最善の策を考えればいい。その方が学生も納得します」。昨年度まで練習に遅刻した選手には「丸刈り」のペナルティーがあった。原監督は前時代的な“体育会特有”の罰則には賛成しないが、選手同士が決めたルールを尊重する。今年度、4年生を中心に話し合った結果「ミスをしたら丸刈りの罰は意味がないのでは。丸刈りにすればいい、という考え方になってしまう」という結論に達し、撤廃した。原監督の「指導しない指導」で、大人だったチームは本物の大人になった。

 ◆原 晋(はら・すすむ)1967年3月8日、広島・三原市生まれ。48歳。世羅高3年時に全国高校駅伝4区2位。中京大3年の日本インカレ5000メートル3位。89年に中国電力陸上部に1期生として入部。主将として93年の全日本実業団駅伝初出場。27歳で引退し、サラリーマン生活を経て、2004年青学大監督に就任。12年の出雲駅伝で大学3大駅伝初優勝。176センチ、81キロ。家族は妻・美穂さん(48)。




青学大・神野、右腹痛の原因明かす「腹筋がつりそうな痛み」
 39年ぶりの完全制覇で2連覇を達成した青学大の原晋監督(48)と優勝メンバーが日本テレビ系情報番組「スッキリ!!」(日曜・前8時)に生出演。5区を走った神野大地(4年)は右腹痛の原因は「腹筋がつりそうな痛み」と明かした。
 神野は昨年2月に左大腿(だいたい)骨を、6月に右すね下部を疲労骨折。11月1日、全日本大学駅伝8区で約5か月ぶりに復帰したが、区間8位と苦戦していた。昨年を振り返り「ほんとにこの1年間はすごい試練で、こんなに苦しめられるかって言うぐらい苦しんだ。最後に箱根駅伝という大きな大会で優勝することができて、最後まで諦めなくてよかった」と安堵の表情を浮かべた。
 18・5キロの最高地点(874メートル)の手前では右腹痛に襲われたが、「差し込むって言うよりも腹筋がつりそうな痛みになって、(上り坂で)腹筋よく使うんで」と明かした。笑顔と本来の力強い走りを取り戻した理由については「みんながよく貯金作ってくれたんで、自分のところで貯金崩すわけにはいかないという思いで最後まで走りました」とコメントした。
 応援してくれる祖母の磯部安江さん(74)については「去年の箱根も応援してくれて結果が出せて、今年も結果が出せたので(祖母の)支えあっての結果かな」と照れながら答えた。レース直後にすぐ連絡した祖母からは「ほんとによくがんばってくれたね」と言葉を贈られた。神野は「最後の箱根駅伝でいい走りを見せることができてよかった」と終始笑顔だった。

 ◆神野 大地(かみの・だいち)1993年9月13日、愛知・津島市生まれ。22歳。中学1年で陸上を始め、中京大中京高から2012年に青学大総合文化政策学部入学。箱根駅伝は2年で2区6位、3年で5区1位と金栗四三杯(MVP)を受賞、4年は5区2位。卒業後は実業団のコニカミノルタへ進む。家族は両親と兄。165センチ、44キロ。


【元箱根ランナー、漫画家・高橋しんさん箱根駅伝観戦】切磋琢磨しているから信頼し合える 
 青山学院大の完全優勝で終わった今年の箱根駅伝。山梨学院大1年時の1987年にアンカー10区を走った漫画家・高橋しんさん(48)が3日、スポーツ報知に観戦記と今大会で最も印象に残った場面のイラストを寄せた。描いたのは、ゴボウ抜きの場面でもゴールシーンでもなく、出場選手と控え選手との絆をつなぐ給水シーンだった。
 観戦して描いてみたいシーンと出会ったのは5区でした。
 22キロ地点。青学大の神野大地選手が同じ4年生で寮長の伊藤弘毅さんから給水を受けた場面です。直前に下腹部を押さえたりして苦しそうなシーンもあった神野選手でしたけど、給水を受けた後は笑顔で走っていたことが印象に残りました。
 「笑顔でゴールテープを切れよ」と励まされた神野選手は「弘毅の激励で最後の力を出せた」とレース後に話したと記事で読みました。メンバーから外れた伊藤さんは自分で給水係に名乗り出たと聞きます。箱根で選手同士が渡すのはタスキだけではなく、給水も、声による情報も、声援も全部同じで「渡すもの」なんだと思いました。
 経験者の立場から書くと、長距離は淡々と走っているように見える選手たちも、みんなギリギリのところで走っている。何もなければペースは落ちていくものです。そんな時、誰かの励ましが本当に力になるんです。五輪選手と違って、箱根の走者は「同じ世界にいて、自分の隣で頑張っている人」なんです。
 もちろん伊藤さんには、選手に選ばれなかった悔しさもあると思います。メンバーに選ばれるか選ばれないか、多くの場合は紙一重です。でも、ギリギリのところで切磋琢磨(せっさたくま)している関係だから信頼し合えるんです。
 87年大会【注】、1年生の時は10区を走らせていただきましたが、2年、3年、90年大会の4年時もメンバーから外れました。谷口浩美さんに憧れて、山下りのスペシャリストになりたいと思って6区での出場を目指しましたが、かなわなかった。やっぱり悔しかった、という思いはあります。
 でも、サポートメンバーとして一緒になって箱根を戦いました。3年生の時、2学年下にケネディ・イセナ選手というケニアからの留学生がいて、スパートを掛けるのを苦手にしていたんです。一方の私は1500メートルのトレーニングを積んでいたので、上田誠仁監督から「スパートの掛け方を教えてやってくれ」と言われ、一緒に練習に取り組んだことを覚えています。後輩が入学すれば「負けるか」と当然思いますけど、最後は「少しでも後輩の力になればいい」と思えるようになりました。
 4年生の夏から練習の合間に漫画の原稿を描くようになりました。就職課から「働きながら漫画を描く道もあると思いますよ」と言われましたけど、専業の漫画家を目指しました。自分は、北海道から何も知らずにやってきて「肉体的にも精神的にも人間はここまでできるんだ」というところまで頑張った、という思いがありました。漫画家を目指している人の中で「自分くらい頑張ってきた人はいないんだ」って自分で自分を納得させたんです。今にして思えば、もっと頑張った人だっていたかもしれないんですけど…。
 1年生で箱根を走った時、その後の打ち上げで学長先生があいさつをしている時、私は倒れちゃったんです。自分はボロボロになるまで走ったんだという実感が今でもあります。
 昨年11月、母校を訪れて選手たちの前であいさつする機会がありました。「箱根に出られなかったら『オレは負けたんだ』と思うかも知れません。でも、そうじゃないです。ずっと後になって、わかると思います」ということを伝えました。
 箱根駅伝に出たことはもちろん、箱根駅伝を目指して自分は頑張ったんだということが今でもずっと自分の中にあります。
 私が卒業してから26年後となった今年の箱根。神野選手に給水ボトルを渡した伊藤さんも、きっと同じ思いを抱いて年を重ねてくれると思います。(漫画家)

 【注】高橋さんが出場した1987年大会は、往路を日体大、復路を順大が制し、順大が総合優勝を果たした。創部2年目だった山梨学院大の10区に出場した高橋さんは区間11位。同大は総合15位だった。

 ◆高橋 しん(たかはし・しん)本名・高橋真。1967年9月8日、北海道士別市生まれ。48歳。士別高から山梨学院大に進み、1年時に箱根10区を走ったほか、全日本大学駅伝にも出場した。卒業後の90年に「好きになるひと」で第11回スピリッツ賞を受賞し、同年に漫画家デビュー。代表作に「いいひと。」「最終兵器彼女」など。




時代は青学!39年ぶり往復完全独走V2!
◆第92回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝=報知新聞社後援)(3日、芦ノ湖―東京・読売新聞東京本社前、5区間=109・6キロ)
 青学大が5時間27分30秒で往路に続いて圧勝し、総合10時間53分25秒で2連覇を飾った。1区から1度もトップを譲らない完全Vは、第53回大会(1977年)の日体大以来39年ぶり12例目。2位の東洋大に7分11秒差の圧勝だった。Vメンバー10人のうち、エース一色恭志(3年)と復路区間賞の3人が東京マラソン(2月28日)に挑戦。名将・原晋監督(48)率いる最強集団は箱根3連覇だけでなく、世界を舞台にした戦いに挑む。(晴れ、気温6・6度、湿度63%、南西の風1・7メートル=復路スタート時)

 フレッシュグリーンの一人旅だった。1区の久保田和真(4年)が18キロ地点で抜け出し、青学大は他校に影も踏ませず、東京―箱根間を往復。渡辺利がV2のゴールテープを切った。「昨年は勢いで勝った。今回はプレッシャーを乗り越えて連覇した。青学大はさらに強くなりました。チーム青山の勝利です」。原監督は胸を張った。
 厚い選手層だけでなく、熱い気持ちが勝因だ。昨年12月27日、登録メンバー16人以外が参加した学内記録会1万メートル。今回17人目の選手としてメンバーから漏れた安藤悠哉(3年)が29分7秒でトップだった。他校ならエース区間を走れる好記録。前回アンカーを務めたスターは腐らず激走し、観戦した登録メンバーをうならせた。ゴールテープの価値は、学内記録会も箱根駅伝も同じだった。
 唯一の不安材料も一丸で乗り切った。往路を制した直後、原監督はつぶやいた。「6区が怖い。アクシデントが起こりやすい区間だし、ウチは1年生だから」。早朝6時、芦ノ湖のスタート地点で緊張を隠せない小野田の傍らで、前日5区で復活走を見せた神野大地主将(4年)が激励した。「往路メンバーと同じ練習をしてきたんだから、小野田も絶対に快走できるぞ!」。前回6区2位の村井駿(3年)も付き添いの仕事に徹した。先輩の献身的なサポートを受けた1年生は飛ぶように箱根の山を下りた。「お陰で楽しく走れました」。区間2位で39年ぶりの完全Vへ好発進した。指揮官が「6区が終わった時点で、総合優勝は間違いない」と確信する快走だった。
 心技だけでなく体も強い。7区の小椋、8区の下田、10区の渡辺利は2月の東京マラソン出場を決めているタフガイだ。42・195キロに比べ、約半分の各区間で失速などしていられない。3人は区間賞を連発した。2区のエース一色、登録メンバーの橋本崚(4年)、池田生成(3年)も一緒に出場する。一色は明かす。「昨年、箱根を勝ったからには次のステージを目指さなければならない、とチームみんなが思っている」。常に先の目標へ走っているから、力に底が見えない。
 1920年、箱根駅伝は「世界で通用する選手を育成する」という目的で創設された。前回5区から今回の10区まで、16区間トップを走り続ける最強チームは、大会の理念を体現する使命と力を併せ持っている。(竹内 達朗)

 ◆原 晋(はら・すすむ)1967年3月8日、広島・三原市生まれ。48歳。世羅高3年時に全国高校駅伝4区2位。中京大3年の日本インカレ5000メートル3位。89年に中国電力陸上部に1期生として入部。主将として93年の全日本実業団駅伝初出場。27歳で引退し、サラリーマン生活を経て、2004年青学大監督に就任。12年の出雲駅伝で大学3大駅伝初優勝。176センチ、81キロ。家族は妻・美穂さん(48)。





東洋大完敗…青学大に大差7分11秒、悔し2位
 2年ぶりの王座奪回を狙った東洋大は11時間0分36秒で、優勝した青学大に7分11秒の差を付けられての2位。往路1~3位は順位が変わらず、青学大の強さが際立った。
 フィニッシュエリアでアンカーの渡辺を待ち受ける服部勇馬主将(4年)の目は真っ赤だった。青学大が連覇を決めてから7分11秒。「苦労した仲間が頑張った姿を見たうれしさと、勝てなかった悔しさ。さまざまな思いが頭の中にあった」。王座奪回は夢と消えた。
 3分4秒差で迎えた復路での反撃を託された6区の口町が、青学大のルーキー小野田に1分10秒も差を付けられる誤算。「自分の役割を知っていたのに果たせなかった」。7区以降の4区間でも青学大を上回ったのは9区だけ。戦力の違いを見せつけられた。
 昨年11月の全日本大学駅伝は、1分4秒差で青学大をかわして初優勝。士気が上がったが、箱根への調整中に優勝の立役者だった堀龍彦、野村峻哉(ともに2年)が故障した。ベストメンバーを組めなかったのも敗因の一つだが、酒井俊幸監督(39)の指摘は昨年の日本シリーズだった。「ヤクルトが勝てた試合は接戦で、ソフトバンクが勝つ時は完勝。それと一緒で接戦に持ち込めなければ、やはり勝負はできない」。往路の3分4秒差を7分11秒差に広げられ、脱帽するしかなかった。
 チームは5人が卒業。指揮官は「勇馬の穴は1人では埋められない。今の4年生がつくり上げたものを伸ばして、全員で成長していくしかない」と残るメンバーの成長を期待する。弟で最上級生となる弾馬(3年)は「兄はエースと主将として本当によくやっていた。自分もエースになれるように見習っていきたい」と雪辱を期す。チームは4日午前5時30分から練習を開始。王者との大差を1秒でもけずりだすため、再スタートを切る。(遠藤 洋之)





駒大、3大駅伝全部「銅」昨年失速の馬場が8区で2位
駒大は11時間4分0秒で今季の学生駅伝すべて3位で終戦。往路1~3位は順位が変わらず、青学大の強さが際立った。
 1年分の思いを込めて走り抜いた。駒大の8区・馬場が笑顔を取り戻した。「自分らしい走りはできた。(応援で)個人名も呼んでもらえたし、幸せでした」。ラストランは区間2位の好走。完全燃焼した。
 昨年大会は首位で小田原中継所を出たが、低体温症に陥り区間17位と失速。チームV逸に責任を背負い一時は競技を辞めようと考えた。母の文子さん(55)や同僚の励ましで復帰。昨年7月に1万メートルで自己記録を更新するなど復調した。問題は「何区を走るか」だった。
 前回5区で区間17位の大ブレーキ。大八木弘明監督(57)には「自分で決めていい」と選択を任された。「自分の中では箱根イコール5区。最後の年だし、走りたい気持ちもあった」。だが、昨年末に2度下見しても結果が出ない。「チームに迷惑はかけられない」と山を退いたが、遊行寺の上り坂に汚名返上の場を移し「8区でお願いします」と申し出た。
 戸塚中継所の手前3キロ付近で、沿道の文子さんと目が合った。「よく頑張った。笑顔で終われて良かった」と母。悪夢を払拭した息子は「4年間、大学に通わせてもらってありがとうございましたと伝えたい」と頭を下げた。
 ゴール地点には前日に続き仏教学部に在学中のタレント、萩本欽一(74)が待っていた。欽ちゃんの「しりとり行くよ、絆!」の号令に、部員全員で「なかま(仲間)!」と声を張り上げた。「後輩に伝えたかったのは諦めない姿勢。言葉でなく、体で伝えることができた」と馬場。8年ぶりの頂点は逃したが、諦めない姿勢は受け継がれた。(武藤 瑞基)
 




早大4位!代役6区・佐藤が快走!見事区間6位
 早大がアクシデントを乗り越え、往路から1つ順位を上げ総合4位に入った。前日(2日)、前回6区区間賞の三浦が右腓骨(ひこつ)付近に痛みを訴えた。寮のある埼玉・所沢で、相楽豊駅伝監督(35)から芦ノ湖に来るよう連絡を受けた佐藤は声を上ずらせた。「6区ですか?」。5、8区に備えていたため、コースは未知。下見は前半10キロを車で走っただけだった。
 佐藤は、同部屋に泊まった三浦に「走ってくれて、ありがとう。走力は他校より上だ」と送り出され、沿道からも「三浦の代わりに頑張れ」と声が飛んだ。最後の3キロは今まで経験のない疲労が襲ったというが、区間6位と踏ん張って「最低限の役割を果たせた」と胸をなで下ろした。
 佐藤が作った流れに同じ一般入試組の同級生、井戸が乗って9区区間賞を獲得。次期エース候補は「この経験を後輩に還元したい」と来季の雪辱を期した。





順大6位、27歳小盛が感動の30メートル給水ラン
 順大が6位で3大会ぶりにシード復帰した。
 7区・稲田は小田原中継所で9位からスタートし、11・2キロの二宮付近までに6位へ順位を押し上げた。さらに前を追う15キロ地点で「年上だけど仲良しなので、お願いした」という給水係が待っていた。学生陸上界では“昭和最後の男”小盛玄佑(4年)だ。
 広島の名門・世羅高で全国高校駅伝優勝メンバーとなったが、経済的な理由で進学を諦めた。それでも「箱根駅伝を走りたい」という一心で5年間働きながら走り、働き、学費をためた。故障に苦しみ、27歳になって迎えた夢の舞台で走れた距離は、わずか約30メートル。「4年間の全てをぶつけろ。力まず楽しめ」。水とともに熱い思いを託された稲田は、日大を抜き5位に浮上した。
 「全て出し切っての区間5位。そしてシード獲得に感動した」。小盛は仲間とともに3年ぶりに味わう喜びに浸った。人一倍強い思いで追いかけた夢はかなわなかったが、4年間の学生生活は大きな宝物だ。今後は体育教員を目指し、新たなスタートを切る。(大和田 佳世)





日体大、名誉挽回した名将と山下りの名手がつかんだシード復活7位
 日体大が往路13位から総合7位に上がり、2大会ぶりにシード権を獲得した。13年の豊川工高(愛知)監督時代の体罰問題を経て、昨春に就任した渡辺正昭駅伝監督(53)が規律を徹底させてチームを再建。6区の秋山清仁(3年)が58分9秒の区間新を樹立するなど、選手も起用に応えた。順大も6位で3大会ぶりにシード復帰。明大は14位で出場しなかった08年以来、8年ぶりにシード権を逃した。
 アンカーが7位で大手町に戻り、熱血漢の頬が緩んだ。渡辺駅伝監督は厳しく鍛えた教え子をねぎらった。「運営管理車から選手の背中を見ていると、皆のタスキをつなぎたいという思いが伝わってきた。諦めずによく我慢してくれた」。初采配でチームの目標だった8位を上回り、2大会ぶりにシードに復帰した。
 豊川工高監督時代の13年、熱意のあまり平手打ちなどの体罰が問題になって依願退職。一時は陸上界から身を退いた。それでも、同高を全国高校駅伝2位の強豪に育てた手腕を評価され昨春、16年間務めた別府健至駅伝監督(49)の後を受け、母校の駅伝監督に就任した。「自主性と自由は違う」が信条。生活管理を徹底し、各自バラバラだった朝食時間を練習後に統一。選手が交代で作るみそ汁の味つけも「塩辛い味付けに慣れると(水分を多く取って)汗をかき過ぎ、スタミナ不足に直結する」と口を挟んだ。豊川工でも指導した奥野主将(4年)の協力もあり、チームをまとめた。
 指揮官の抜てきに6区58分9秒の区間新で応えた秋山も、不遇からはい上がった。女子主体の順天高(東京)陸上部で過ごした無名選手。同期の男子は2人だけで、女子のペースメーカーを務めることもあった。人数不足で駅伝に出られず、箱根を夢見て練習。「区間賞は狙ったが、区間新まで出て驚いた。高校では名前を上げようがなかったのでうれしい」。最近10年で初めて融雪剤をまかなかった暖冬の箱根山を軽やかに下り、前回の三浦雅裕(早大)の記録を22秒短縮。コース変更前の千葉健太(駒大)参考記録(11年)も2秒上回った。
 名誉挽回に成功した名将と、全国に名前を売った山下りの名手。渡辺駅伝監督が「やっぱり気持ち。心のまとまりが大切。(シード回復を)来年につなげたい」と言えば、秋山も「想定外のいい走りができた。さらに上を目指す」とチームの復権を誓った。13年大会以来の総合Vへ、伝統校が上昇気流に乗った。(細野 友司)





神奈川大、4秒届かず繰り上げ タスキ途切れた
 わずか4秒差で、神奈川大のタスキが途切れた。鶴見中継所を目指す9区・大野に、運営管理車に乗った大後栄治監督(51)から「あと1キロだ。3分でいけばつながるぞ」と猛ゲキ。だが、タスキを待つ10区・大川の約15メートル手前でタイムオーバーとなり、繰り上げスタートとなった。
 11年ぶりのシード権獲得を目指したが、11時間20分7秒で総合13位。故障者が多く17位に沈んだ前回よりはランクアップしたが、指揮官は「優勝した青山とは技術、能力、意識の差が大き過ぎる。タイムで30分近く違った現実を冷静に見つめないと話にならない」と手厳しかった。
 9、10区で一番、悔しい思いをした2人はともに2年。大野は「次はピーキング能力を上げる」、区間8位と健闘した大川は「去年は3区で18位。今年は後半にペースアップできたので、来年はエース区間で勝負したい」とリベンジを誓った。(桃井 光一)





明大、選手層に泣き8年ぶりシード陥落
 明大は14位で出場しなかった08年以来、8年ぶりにシード権を逃した。
 再興しつつあった紫紺の伝統が再び途切れた。前年4位から14位に転落。区間最下位のブレーキとなった5区の籔下響大(3年)は「本当に申し訳ない。僕のせいでシード落ちしてしまった」と泣き崩れた。7年間守ったシード権を手放した。
 17位で折り返し、7区の牟田が区間3位、9区の斎田も同4位の力走で12位に押し上げた。だが、最後の望みをかけたアンカー、山田が「区間新を狙うつもりで飛ばした」が、後半に失速。巻き返しを誓った復路が9位では総合10傑に届くはずがない。
 昨季から大六野秀畝、有村優樹(ともに旭化成)ら最強世代と呼ばれた主力が卒業。西弘美駅伝監督(63)が「今季は育成の年」と我慢するように、チームの底上げを重視した。出雲8位、全日本6位と結果を残したが、実力を知る横手主将は「今季はまとまらないと勝てない。泥臭くやっていこう」と声をかけ、引き締めてきた。
 現実は非情だった。10人中6人が初めての箱根路で経験不足を露呈した。でん部の痛みを押して強行出場した3区・坂口裕之(1年)が区間最下位。一夜明けても自力で歩けず、大手町でチームを迎えられなかった。指揮官は「故障している選手を使わざるを得なかった。選手層が薄かった」と戦力不足を認めた
 シード権は途切れたが、箱根への道が閉ざされたわけではない。「予選会に向けて心機一転やっていきたい。強かった明治を取り戻したい」。西駅伝監督は古豪の再建を誓った。(井上 信太郎)





中大、屈辱の28年ぶり繰り上げスタートで初の4年連続シード落ち 
 箱根史上最多14度の優勝を誇る名門・中大に、暗い歴史が刻まれた。往路16位から巻き返しを期した復路も14位に終わり、シード圏10位と6分27秒差の総合15位。歴代最多90回目の出場で同校初となる4年連続シード落ちの屈辱を味わった。7区で3人抜きの区間6位と意地を見せた藤井主将は「シードを残して終わりたかった」と唇をかんだ。
 青学大の圧倒的な強さの前に10区鶴見中継所で、28年ぶりの繰り上げスタートという屈辱にまみれた。箱根初出場の9区・相馬が区間19位に沈み、青学大と25分51秒差まで開いた。「5キロ過ぎから左ふくらはぎに痛みが出て完走がやっとでした。タスキが途切れて、チームに本当に申し訳ない」と声をつまらせた。「2区以降は青学大の影も見えませんでしたね」と浦田春生駅伝監督(53)もお手上げだった。
 レース直後の集会では怒号が飛び交った。選手や関係者ら約200人が集まった前で「浦田監督、クビだ、クビ!」「来年こそ頑張れよ! 期待してるぞ」など、熟年OBから厳しいゲキが飛んだ。1区で区間4位と力走した町沢大雅(3年)は「来年は全員でもっと追い込んだきつい練習をして、4年生が軸とならないと」と再起を誓った。
 箱根経験者は6人残る。「厳しい現実を突きつけられている。来季は練習の継続や意識の変革が必要。芯の強さをどう作るか」と浦田監督。創部100周年を迎える20年の総合Vへ向け、屈辱を糧に予選会から再出発する。(榎本 友一)

 ◆28年前の中大の繰り上げスタート(6区を除く) 前年3位のシードで出場した88年大会。往路を4位で折り返したが、復路で往路首位の順大が6区の仲村明(現順大駅伝監督)から4人が区間賞の独走。ほとんどのチームがついていけず、10区で中大を含む11チーム(参加15チーム)が繰り上げに。それでも最終的に総合5位に入り、シード権は確保した。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 拾い読み★2016-004 | トップ | 拾い読み★箱根駅伝≪復路・朝... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

スポーツあれこれ」カテゴリの最新記事