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北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

移転ご挨拶

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松本城ですが? 一寸いたずらしています:長野県松本市

2008-04-11 11:47:50 | カメラと写真

 ある時期の写真が欠落しています。子供達が幼かった頃です。旅行中の写真の多くは、子供を真ん中にした記念写真かスナップです。景色は添え物にしか過ぎません。旅のブログで紀行に添えるには、はばかられるものが多いのです。昨年8月に掲載した八方尾根の写真でも試みましたが、人物を消して風景だけにしています。さらに試行を続けています。 真を写すのですから、CG等で付け加えることは取り敢えず避けました。そこで数枚の同じ場所で撮影した写真をスキャナーで取り込み、人物の入らない部分を切り取りつなぎ合わせます。本物だけを使い、作り物ではありません。松本城が完成しました。



 昭和63年(1988)お盆休み、八方尾根からの帰り松本に寄った時です。家族で町並みを眺めながら徘徊しています。おしゃべりに夢中で、意外に風景も歩いたコースも記憶の外にあります。写真を見て、行った場所を再確認する始末です。旧開智学校の玄関前です。縮尺と角度が合わず、一部にボケが残っています。



 この建物がどこかは、松本市のHPで分かりました。古い黒板塀の通りを歩き、骨董屋を覗き歩いたのですが、暑い最中のコンクリートの町歩きは、東京より涼しいはずの松本でも、かなり堪えた記憶だけはあります。
 最近では妻と2人だけの旅行が多いので、人物は殆ど写っていない風景ばかりになっています。写真の整理で、小学生や中学生の子供達を眺めていると、つくづく幸せを感じます。週末には、知人が計画したというかなり大勢の旅を娘夫婦に誘われ、久しぶりに賑やかな人任せを楽しめる事になりました。後数年で古希を迎えますが、健康であれば楽しみもまだまだ付いてきます。志村さんやうたのすけさんを見習って・・・。


トリガーレバーのカメラです:キャノンRP 三越本店屋上:中央区

2008-03-10 10:33:25 | カメラと写真

カメラと写真談義 その2

 昭和30年代、フィルムの性能が上がり粒状性が良くなり、35ミリカメラが主流になってきました。興味を持ったのは、一眼レフの出現です。昭和34年頃(1959)長兄が発売されて間もないミノルタの一眼レフ(SR)を買いました。ペンタプリズムでないので、左右逆(鏡像)で、クイックリターンもなくシャッターを切るとミラーが跳ね上がって暗くなったままになり、フィルムを巻き上げるとミラーが下がりファインダーに像が戻りました。
 発売されてそんなに経っていなかったと思いますが、ペンタプリズムが付き正像となり、ミラーもシャッターを切ると跳ね上がり瞬時に戻るクイックリターン方式の搭載されたアサヒペンタックスを次兄が購入しました。何故か、写真が残っていました。



 koba3の初めてのカメラ、昭和35年頃買った一眼レフは「キャノンRP」です。現在も手元にあり、稼働状態ですが、殆ど使うことはなくなりました。



 このカメラRシリーズは、僅か数年で姿を消した失敗作です。交換レンズのバヨネットマウントはその後のFシリーズとは互換性がなく、カメラの買い換えもままならない状態になりました。

 この時以来、8ミリ映画のカメラは「スーパー8」でなく「シングル8」、ビディオは「ベータ」、PCは「NEC98」、PCソフトは「一太郎」「ロータス」とこれほど敗者の轍を踏んできた人生は他にないでしょう。次世代DVD を選ぶとすればおそらく考え抜いた末 Blu-ray Disc でなくHD DVDを選んでいたでしょうが、まだ、手を出していなくて免れました。今までのこの損害を、メーカーに補償要求したい!!!

 キャノンRPは同時期のR2000の普及機で、軍艦部が固定され1000分の1シャッターでした。それでも4万円台していて、当時の大卒初任給が2万円を切っていましたから、かなりの贅沢品でした。発売間もないニコンFとの選択で、交換レンズの買える範囲にあったキヤノンを選んだのが、人生下り坂の入り口となりました。ニコンF初代でしたら、マニア間では今でもプレミアが付くことがあります。
 露出計はセミ連動型で、カメラ前面に装着しシャッタースピードダイアルに歯車を噛ませ、絞りを設定した後ダイアルを回し、露出計の針と指針を合わせる物でした。と説明しても、全自動のデジカメ全盛では、“ナンノコッチャ”と言われるのが落ちでしょう。

 

 特徴は、フィルムの巻き上げ機構です。底面に付いているトリガーレバーを、左手でピストルの引き金を引くように引くのです。



 速写性を高めるためでしょうが、以後この方式は見たことがありませんから、設計者の勇み足だったのでしょうか。望遠レンズは、この頃の定番オールラウンドプレイヤーと言われた135mmレンズですが、ズームレンズ全盛の今では、中途半端と言われています。



 交換レンズは、かなり後まで買えなかったようで、昭和41年頃、試写をしています。日本橋三越本店屋上、デパートには必ずあった子供自動車です。電気自動車かと思ったのですが、エンジンのようにも見えます。子供の頃、名古屋の松坂屋の屋上では、電気自動車でしたから、乗ることを楽しみにおめかしして出かけたことを思い出します。



 昭和36年(1961)新宿御苑のフィルムに、珍しくポートレートがありました。多分兄のペンタックスに望遠レンズを付けて、他人の撮影会を隠れて撮影した覚えがあります。余命を数える年になり、思い出が膨らんできました。



「二眼レフ」って 死語? 明治神宮:渋谷区

2008-03-08 11:49:47 | カメラと写真

カメラと写真談義 その1

 旅と山歩きはそれ自体が目的であり楽しみです。きれいな風景や花や木を眺め、見知らぬ土地で見知らぬ風物に触れると、心が洗われます。その感動を目に焼き付けておけば良いのですが、何かで表現して記録したり、他人に自慢したくなります。絵心のある人なら写生やデッサンで表現出来るのでしょうが、あいにく全く心得がありません。そこで誰でも出来る、機械がやってくれる“写真”を手段としました。

 今まで使用してきたカメラを思い出と一緒に纏め、旅や山の端境期の頃掲載することにし準備を進めていたのですが、みゅうみゅうさんから、2月29日の新宿御苑の項に「二眼レフって何ですか?」とコメントを頂き、急遽思いつくままに掲載することにしました。
 二眼レフそのものを見たことのない世代が多いことに驚愕です。幸い稼働状態の健在な二眼レフが有り、棚に眠っていたのは「MAMIYAC3」です。



 交換レンズ2本と、ウエストレベル、アイレベルのファインダー2種、セルフタイマーやセコニックの露出計も揃えてあります。交換レンズやファインダーの交換が出来る機種は珍しく、この頃垂涎の的だった高価な中判一眼レフのハッセルブラードやゼンザブロニカに代替えしようとした意図が見えます。



 現在町で見かけることは先ずありませんが、中古カメラの専門店では、展示され僅かながら売買されています。上のレンズがファインダーで、下が撮影用です。

 

 レンズは上下2本一緒にはずれます。



 上から覗き込むウエストレベル、一眼レフと同じに目に当ててみるアイレベルファインダーへ交換した状態です。



 フィルムの巻き上げは、側面のクランクで行います。



 MAMIYA Cシリーズは特殊なカメラで、普通の2眼レフはもっと軽く小さいのですが、箱形には変わりなく嵩張ることは同じです。マミヤは、レンズ交換機構のためより大きく重いので、ホルダー無くては支え切れません。
 ローアングルでの撮影に適しており、大きなフィルムのきめの細かさから、ポートレートや印刷原稿の撮影によく使いました。このカメラで撮った明治神宮本殿、地面すれすれに構えています。トリミングしていないので真四角に近いサイズのはずですが、印刷原稿の為リバーサルフィルムで撮影して、割付のために残した紙焼きがありました。スライド枠の所為で多少縦方向に長く、昭和58年(1983)の撮影ですから褪色していました。